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――それは突然俺の中に流れ込んだ。


 第二十三話【希望を信じて】





「なんで…気付かなかったんだろう」


茫然と呟いたウェラー卿コンラートに、彼の婚約者である土方サクラの弟――土方結城が、「うん?」と、小首を傾げていたが。


「そうかそれで…」


俺は、視界の端にユウキを捉えていたのに構ってやる余裕がなく、自分の右手を見つめた。

右腕にあるブレスレッドがキラリと光っている。ガーネットの石があしらわれたソレは、チキュウへ飛ばされる前にサクラに貰った物だ。告白と同時に永遠のお別れのような空気を醸し出していたサクラに。


――どうして気付かなかったんだ。

このブレスレット…否、サクラがこれとお揃いのブレスレットを左腕に嵌めていたけど――…そう、二十年前のサクラもまったく同じブレスレットをしていたではないか。

自分ではない男を想って幸せそうにそれ等を扱うサクラを見て、サクラが持っていたブレスレットも指輪も忌々しいと思っていたのを思い出す。あれ程、気に食わないと思っていたではないか。

どうして今の今まで忘れていたのか。誰かに隠されていたかのよう。

戦争中のあの頃、何度、自分ではない男を愛おしいという顔で笑うサクラを憎いと思った事か。俺が初めて守りたいと思った笑顔を独り占めする男を、何度憎いと思った事か。


「コンにぃ?」

「はっ。まさか、俺…だったなんて、」


サクラが大事にしていたピンクの魔石があしらわれた指輪は、サクラと再会して離したくなくて、あげた物だ。

チキュウでは、男女の仲になったら贈り合うその指輪を、チキュウには俺はいないからと男除けもかねてあげたじゃないか。それと全く同じ物を、二十年前のサクラも持っていた。

知らずに似たような物を俺が買って、サクラに渡したのだと解釈するには偶然が重なりすぎている。

偶然だと一蹴りするには、ブレスレットの説明がつかない。だってサクラもユウキも、このブレスレットは最近チキュウで買ったと言っている。



俺が贈ったものを二十年前のサクラも持っていた――と、いう事は…。



「(それならサクラは…)」


さっき教会で別れたサクラは、生きていて、俺のように眞王陛下の手によって、………過去に?飛ばされた?

十貴族達が人間の国に勝利する為に漆黒の姫を喚び出そうと眞王廟に集まったあの日――…確かに、彼女は怪我をしていた。俺が見付けて手当てをしたから良く覚えている。

あの怪我は、さっき起こった爆発によって負ったものだとしたら、全て辻褄があう。生まれ変わったサクラが記憶がなかったのも頷ける。


サクラは生まれ変わったのではなくて、時代を越えたんだ。

彼女が“漆黒の姫”だという事を考えれば、なにも不思議ではない。過去の眞魔国は、彼女の力を必要としていた。それは眞王陛下も同じだろう。

此方の時代の眞王陛下が過去の自分の記憶を持っていたからこそ、サクラをあのタイミングで飛ばした。

ならば、サクラはあの戦争で命を落としたんじゃない。

この時代に帰って来たから――…血盟城に戻って来なかった。きっとこの時代に戻る事を判っていたんだ、だからオリーヴに自身の死を伝え、俺に青龍を渡して、……消えた。


「(今どこに?)」


――俺は俺に嫉妬していたのか。

ほっと安心するべきか、散々嫉妬してきた過去の俺の記憶が鮮明に蘇って、複雑だ。ああ…でも、結局は俺を選んでくれたんだと嬉しさで頬が緩む。

爆発に巻き込まれていたサクラの安否も気になっていたから、高い割合で正解だろう自分の答えに、小さく息を零した。良かった、サクラは生きてる。


「ユウキ、俺はサクラを捜しに行って来るよ」

「う、ん?あねうえを?」


陛下は、此方へ戻られてる筈だから、ひとまず安心。

俺の仮説が合っていたら、サクラは眞魔国に戻って来ているだろう。現にチキュウにはいないようだし。

サクラの魔力によって飛ばされてる間に、眞王陛下の御言葉を聞いたけれど……俺に、“腕”を与えておきながら、どうして人間の国へ飛ばして下さらなかったのだろうか。

眞王陛下ならば、サクラに飛ばされてる俺を違う場所へ導くなど簡単だろうに。彼の御考えは、俺にはわからない。


「コンにぃは、あねうえが…どこにいるか知っておるのでござるか?」


サクラに会いたい。サクラを捜したい――…。

然し、俺には…しなくちゃいけない事もある。

眞王陛下はどこまで先を見越しているのだろう。箱の情報に続き俺の左腕を失くしたのを待ってましたとばかりにあの左腕を俺に与えて……コンラートは魔族にとって絶対である眞王陛下について考え、薄ら寒いものを感じていた。

とにかく。眞王陛下に導かれた先で、もしかしたら過去から戻ったサクラが人間の国へ飛ばされた可能性も無きにしも非ずだから、サクラの姿を捜しつつ潜入を頑張ろう。


「…多分ね」


不安そうに、だけど期待を乗せたその黒曜石のようなつぶらな瞳に、俺は曖昧に言葉を濁す。

どれも仮説であるし、サクラ捜しばかりもしてられないのも事実で。

だけど、俺とユウキを比べたら、俺の方がサクラがいるだろう場所に心当たりがあるから、肯定の返事をしたかったのも本音で。




ぐるぐるる


「……」

「おなかすいたーでござる」


一瞬で、空気を変えた気の抜けた音に、思わず笑ってしまった。

ユウキがぷうっと頬を膨らます、その姿が彼の姉にそっくりで、更に笑いを誘う。ずっと笑ってたら、ユウキの顔が拗ねたものに変わって、頬の筋肉に力を入れて笑いを噛み殺した。


サクラがいつ此方へ戻って来れるか判らないので、空腹のユウキをそのままには出来ない。

俺がチキュウへこのままいたら、眞王陛下としても困るだろうと俺は踏んでいる。だから、陛下やサクラと同じく水に近付けば、眞王があちらへ送って下さるだろう。ジュリアの魂を運んだ時と同じように。

生憎、俺には魔力はないから、有り難い眞王の御力を肌で感じる事は出来ないけれど。俺はそう確信している。

そうでないと、箱の脅威を食い止める為に、俺にわざわざ“左腕”を与えた意味がなくなる。“コレ”は、絶対誰にも渡さない。


――ユウキに何か食べさせてからでも遅くはないか。

愛おしい彼女の弟だから、見て見ぬふり出来ない。と、腰を上げれば、ユウキがパァーっと顔を輝かせて、「コンにぃ、なにか作ってくれるの!?」と、カルガモのように俺の後をついて来る。


「期待してるとこ悪いが…俺は料理下手だから、サンドイッチくらいしか作れないよ」

「えー。はっ!それはけんそんってやつなのだな!」

「違うから。カレーのルウがあれば、カレーも作れるけど…」


とてとてと可愛らしい足音を立ててついてくるユウキを振り返る。


「それがしはハンバーグが好きなのでござるぅ」


――それは作れっという催促か?

そう言えば、随分前にサクラが持っていたお弁当を一緒に食べた事があった。

弟にせがまれて作ったと言っていたのを思い出して、ユウキはハンバーグが好物なのかとくすりと笑う。


「調理場はどこかな」

「ちょーりば?」


ユウキがこてんと頭を右に傾けたので、「キッチン」だと言えば、直ぐさま、「きっちん!は、こっちー」と元気よく案内してくれた。

こじんまりとした調理場は、当たり前だが血盟城よりも遥かに狭く、一般の民家にしては広かった。

まあ王城なだけあって血盟城にある調理場はいくつもある。サクラや陛下が知っている調理場はほんの一部だ。サクラもユーリも、陛下と姫専属のコックがいる事を知らない。


「なにつくってくれるでござるかー」


手が行き届いているところがサクラらしい――視線を走らしてそう一考した。ところどころに、サクラの姿が垣間見えて、胸がじんわり温かくなる。同時にくすぐったい。

朝に洗ったのだろう食器がまとめて置かれていて。マグカップやお皿が全て二つずつなのを見て、ユウキから訊いた家族構成を頭に浮かべる。


「ユウキはサクラと二人暮らしなのか?」

「そうでござるよー」

「いつもサクラが料理を?」

「そうでござるよー」


訊いてるのか訊いてないのか判らない答えが返って来た。


「学校とバイトを両立しながら家事をするなんてユウキのお姉さんは凄いな。流石サクラ」

「あたりまえでござろう!それがしの、じまんのあねうえなのだ!あねうえの作るハンバーグはぜっぴんだぞお」

「知ってる」


――この位の男の子はどれくらい食べるんだろうか。

自身の弟を脳裏に浮かべて、ワンプレートでいいかと一人ごちる。自慢出来ないが、自炊しない為、料理のレパトリーが少ないのである。


「冷蔵庫、開けてもいいかな?」


幼いユウキに訊いても意味のないことかもしれないとは思うが、一応礼儀として尋ねておいた。ユウキがこくりと頷くのを見て、眞魔国にはない冷蔵庫を開けた。

人工的な灯りの中に、大量の苺大福を見付けて、くすりと笑う。――サクラだな。

大好物は苺大福だと言ってるくらいだから驚きはしなかったけど……多すぎやしないか?次に会えたら、甘い物は控えるように言わなきゃな。

その他にも、常備菜らしいものが。ちゃんと自炊をしているんだな、流石俺のサクラ――と、自分のことのように誇らしくなって。惚れ直す。


「(これ…きんぴらごぼう?を、温めるだけでいいか。あ、肉じゃがもある)」

「カレー…あ!むらたどのが何かあったらユーリのははうえに言うんだよ、って!」


冷蔵庫の中を物色するのに集中していたから、脈絡のないユウキの言葉に、反応が遅れる。ん?今度は何を言い出したんだ。


「あねうえが帰ってこぬとほーこくしなければ!」

「ちょ、っと待て!」

「あぁ!でんわばんごう、それがし知らない!コンにぃは知っておるか?」


居間に戻ろうとするユウキを慌てて止める。小さい体の前にしゃがみ込み、目線を合わせた。

村田が誰なのかは知らない。だが、ユーリの母親とは面識がある。会うのはマズイと思い、ゆっくりとユウキに言い聞かせる。

ユウキにとってサクラが帰って来ないのは一大事だろうけど…報告されるのはマズイ。


「サクラは俺が絶対見つけるから、ね?電話はしなくていいんだ」





 □■□■□■□



意外とわんぱくなユウキのお蔭で、大変だった。


「いっただきまーす」

「はい。どうぞ召し上がれ」


自分が暫く帰ってこれないのを覚悟していたのだろう。冷蔵庫や冷凍庫には、作り置きのおかずが入っていた。

温めるだけで済みそうだと安心した俺は、重大な事を忘れていて。電子レンジの使い方が解らず、結局、何かを作らなければならないはめになったのだ。

とは言っても、凝ったのは作れないから、探すに探して見つけた市販のパスタソース。で、パスタを茹でて和えただけとなった。いいんだ。食べれるから。


「ちょっぷすてぃっく」

「あぁお箸ね」

「コンにぃは、がいこくの人であろう?お箸は使えるのでござるか?」

「これはフォークで食べるんだよ」


なんてあちらでは考えられない穏やかな時間を過ごした。あちらは今ごたごたしているから…皆ピリピリしてる。もちろん俺も。

こんな風に誰かと食卓を囲むのも――…かなり久しぶりに感じる。

レタスはサクラがいなくなって悲しんでないだろうか。


「もー行くでござるか」


――悲しんでくれてるのか。

短い時間だったが穏やかに過ごせたので、悲しそうに顔を曇らせる未来の弟の姿を微笑ましく思った。なのに、


「じゃあ…さいごにおにぎりつくってくれぬか」

「………まだ食べるのか」

「うめぼし入りのおっきいの!」


次の瞬間には、何故かおにぎりと催促されて。落ち込んでいたのが嘘かと言いたくなる程の変わりようだった。


「わかった、わかったから!」


どうせ食器を洗うついでに、ぱっと作るよ。作ってあげるから、腰にしがみ付かないでくれ。

コンラートは笑顔を絶やさない裏で、そうぶつぶつ零し、後始末の為キッチンに引っ込んだ――…。だから、ユウキが、コンラートが作ったおにぎりをこそこそと黄色の通園バックに入れているのを見てなかった。


「じゃあもういいかな?俺はサクラを捜しに行くから、ユウキはここで大人しく待ってるんだ」

「うむ!」


考える間もなく頷かれて。

本当に分かってるのかと疑いたくなったが、早くあちらの世界に戻りたくて、まあいいかとさらりと流し、この家に来た入口――お風呂場の浴槽に足を踏み入れた。

後ろから、とてとてと足音がしていて。ユウキは、見送ってくれるらしい。

扉を開けると、ひんやりと冷気が流れて、水面に渦を見付けた。やはり眞王陛下は待っていてくれたようだ。


「とうっ」


最後にユウキを振り返ろうとしていたコンラートの腰に衝撃が――…、


「ぇ」


驚いて後ろを振り返ろうとしたが、背中にしがみ付いたユウキにより、コンラートは浴槽へ落ちたのだった。

予想してなかった衝撃に間抜けな声と共に、心臓がひやりと跳ねたのは……コンラートだけの秘密だ。





(なんてことだ)
(ユウキまで巻き込んでしまうとは)
(コンラートが最後に見たのは、)
(楽しそうに渦の中に呑まれるサクラの弟の姿だった)



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