20-4
『貴様等は、上に立つ者として、指示を出す者として、その責任を、失う命を背負う責任に苦しめ』
彼女と話していて、ふと耳に残る彼女の言葉が過ぎった。
「…ん、?」
十貴族に堂々と言い放った彼女に、衝撃を覚えたのを、昨日のように思い出せる。
漆黒の姫を喚ぶと伯父が騒いだあの日――…産まれて初めて、黒と出逢った。その衝撃も大きかったから。
「……お前は、耐えられないほどの人を亡くした経験があるのか?」
『…………』
コンラッドの質問に、無言が返って来た。それは肯定だと答えたも同然で。
話しの話題が己自身に移ったため、眉がぴくりと動いた。図星…と申すか、コンラッドに対して嘘をつき通せる自信がなく、せめてもの抵抗に目線を逸らす。
「(こいつは…失った命を背負って、苦しんでるのか…)」
コンラッドの眼に、サクラの姿が小さく映った。
ついさっき彼女は、目の前で命を散るのを、“もう”見たくない。と、言っていた。“もう”って…嫌になるほど経験してるのか。
このご時世だ。毎日どこかで誰かが命を落としている。
同じ場所で鍛錬した仲間が、次の日にはいなかったりするなんてことはざらにある。
いちいち構っていたら心がすり減ってしまう。誰かがいなくなる現実に、コンラッドは哀しみを感じなくなっていた。
ああ、またか…と、深く考えないようにしていた。一度考え込んでしまうと気が滅入ってしまうから。
薄情な自分がそうなのだ。他人の為に命をかけようとしている彼女は、どれだけの傷を心に作っているのだろうか。
傷つくと分かっていながら、彼女は他人を助けようと奮闘するに違いない。バカだと心の中で罵る。
――サクラは不思議な女性だ。
母親や他の女性のように煌びやかな服装に身を包んで、難しい問題は他人に任せて、贅沢しようとはしない。
綺麗に着飾るのに力を入れて、男に甘えて、自由に生きる。女性というのは、そういった生き物だと思っていた。
サクラに洒落っ気がないと言っているのではなく。彼女は彼女で、身だしなみはきちんとしていて魅力的だ。だが、好き好んで戦場に立つのは、サクラくらいで、周りにいる女性とは全てが違った。
女性で軍に身を置くものは、身内が人間に殺されている者や、家が貴族の者達。サクラと違い、身近な理由が彼女達にあるのだ。
唯一、他の女性と同じなのは、精神的に弱そうな一面。
躓いても誰かに丸投げしないで、傷つきながらも自分でなんとかしようとするサクラの姿は、惹き付けられるのと同時に、儚く感じて、手を差し伸べずにはいられない衝動を自分に与える。
支えたい。
一歩間違えば、脆く崩れそうな彼女を近くで支えたい。
甘い考えを持って、無垢な子供のような夢を現実にしようと頑張っていて、馬鹿にされようと非難されても揺るぎない意思を貫いて、俺にないものを持っている彼女は大きく見えて――。
一人で生きていけそうな逞しさなのに、女性らしいたおやかな一面もあるサクラ。
もしかしたらどの女性よりも、脆い性格をしているのかもしれない。
ずっと見てないと、彼女は弱さを隠してしまう。俺には関係ないのに、弱さを隠そうとするサクラに対し苛々が溜まる一方なのは、何故だろう。
「バタールは、お前のお蔭で被害は最小限で済んだ」
『そうか』
重い空気が二人の間に流れて。コンラッドが落とした溜息の音が大きくサクラの耳朶に届いた。
「人間が逃げて来たあの村の者達も、お前に感謝していた」
『…そうか』
「家族を助けられたと喜んでた兵士もいた。だから――…」
落ち込まなくてもいい。
そう言われて、私は目を剥いた。コンラッドは、私を元気づけようとしてくれておるのか?
オリーヴの御両親の事や、全身火傷の魔族や、転がる人間の亡骸や、瞼の裏に焼き付く光景は、己を許さぬと叫んでいるというのに。
忘れてはならぬのだと思って、記憶に刻んだ私に、優しい言葉を掛けてくれると言うのか。すうっと心が軽くなったのを感じて、己でも気付かぬ内に、私は傷ついていたのか、と。
――嗚呼…思い知りたくなかった。
私の心の傷は、傷だと認識してはならぬのに。
コンラッドの言葉が、胸の中に広がっていく。熱を知らなかったのではと思うほど胸の中がじわりと温かい。
「結果的に、お前の評判も上がった。これでシュトッフェルのヤツも、お前に危害を加えようなど思わんだろう」
『――?』
「…はぁ。サクラ…お前、眞王廟に戻ってなかったらしいな」
『ゲ。(バレてる)』
サクラがしまったと顔を顰めて。
思ったことを素直に面に乗せたサクラを見て、コンラッドは呆れてまたも溜息を零した。
「体調管理くらいしっかりしとけ」
『うっ』
「今回はいい結果に転がったかもしれないが、駆けつけた町で倒れるとか笑いものだぞ」
『うッ。返す言葉もありませぬ』
今日のコンラッドは良く喋るなー。
何だか嬉しくなって、頬が緩みそうになる。ここで笑ったら、私の頭が疑われるだろうからぐっと力を入れて堪えた。
何だろう…コンラッドの雰囲気?こう…ずっと感じておった棘のようなものが無くなってるような気がする。
コンラッドも私の事を認めてくれたのかな。
少しでもコンラッドに近付けたのだろうか。心の距離が縮むと、隠した想いが溢れてしまう。それでも嬉しいと思った気持ちは、誤魔化せぬかった。
「……」
『……』
「これからどうするつもりだ?」
――はて。どうとは…?
コンラッドの質問の意図が解らず、小首を傾げた。
「暫くは、俺の部隊も戦いに駆り出されることはない。お前、新しく隊を作っただろ」
『(そうだった)』
「血盟城にいるなら、シュトッフェルと嫌でも顔を合わせることになる」
『まあ…そうだな』
そうか、この季節だと、事態は動かぬのか。
コンラッドの方がこちらの戦いに詳しいから、彼が言うならそうなのだろう。冬は厳しいからなー致し方ないか。
鍛錬をするにしても…あーそうだった。オリーヴをバタールに連れて行きたいがために、漆黒の姫の名の許に部隊を作ったのだった。
バジルや、ナツや、オリーヴ。
まだ三人しかおらぬが、彼等の腕がどれくらいのものか知るいい機会かも。
“零”以外を背負いたくなかった私は過去のもの。今は、零と同じくらい大切な存在が出来て、守りたいと思ってる。
隊を作ったのだから、覚悟は決めてる。彼等を育てて、彼等の命を守る責任が私にあるのだ。シュトッフェルや人間の国の動向も探りたいが、彼等に時間を割かなければ。
「だから…だな、その…」
口をもごもごとさせるコンラッドに、怪訝な眼差しを送る。何が言いたいのだ。
「この地を離れてはみないか」
『……は、?』
「今度、フォンウィンコット卿の城に行くことになった。当主に、軍の剣の指南を頼まれたんだ」
『それって……今いる部隊を抜けるのか?』
事の重大性に、声が大きくなってしまった。
コンラッドが首を縦に振るのを見て、息を呑んで――ハッとした。だから、コンラッドとジュリアは仲が良いのか!否、良くなるのか!
二人はまだ接点がないようだったから、現当主であるオーディルに頼まれた剣の指南の話を、彼は受け入れるのか。
ジュリアとキスアンの二人は、血盟城にいたが、彼等の父親は見たことがない。此方には来てないようだった。
滞在するようになって知ったが、フォンウィンコット家にはその特殊な血のせいで、高い魔力の子供は生まれないらしい。ジュリアは特別で。
キスアンはまだ若いので、軍には所属しておらず、まだ戦場に立った事はないのだと、風の噂で聞いた。何故だから知らぬが、彼は焦っているらしい。好き好んで、戦場に立つのはお勧めしないのだけれど。
って…コンラッドが王城からいなくなるって事は――…また己の知る未来に近付くのでは?
今後の流れを読む為には、ヤツのいる王城にいた方がいい。
でも、コンラッドがいなくなるのは、寂しい。ぐらぐらと揺れる。
『グリエはどうするんだ。置いて行くのか?』
「あぁ」
『良く納得したな、グリエのヤツ反対しそうだが…』
ヨザックは、コンラッドがいるから同じ部隊にいたのだろうし。そのコンラッドが本部からいなくなるのなら、彼は怒ると思う。
ヨザックだけじゃない。彼の部隊には人間と魔族のハーフが沢山いるのだ。コンラッドが率いていたから彼等の居場所は保たれていた。
救いの綱の彼がいなくなると、ここでは生き辛くなるはずだ。猛反対しそうなのに、良く話が通ったものだ。
コンラッドの未来を思えば、シュトッフェルの言いなりになる本部にいないで、十貴族の頼みを訊いた方が彼の未来は広がっていくのではなかろうか。
寂しくは思うが、ここは笑顔で見送るべき――…あれ?さっきこやつ私にこの地を離れないかとか抜かしておったが……まさか…。
「あいつ…ヨザックには、何も話さないで向かうつもりだ」
『なぜ、私に?』
じわりと期待が胸に広がって、ドキドキと心臓が耳を澄ませた。
ゆっくりと彼のキラキラとした瞳と、合わさる。視線だけで、鼓動が高鳴るのだから、否定しても心はいつだって素直だ。
「数年、戻ってこないかもしれない」
『…うぬ』
「フォンウィンコット家の兵は拳闘に優れていることで有名だ」
『……』
「剣術の修行をするにしても、あいつらにいろんな戦いを教えられる絶好の場所だと思うのだが、」
あいつ等とは…オリーヴ達のことだろう。
オリーヴとバジルは、士官学校も卒業した軍人なので、剣術も槍術もある程度習ってる。問題は、ナツか。
彼は、勢いだけで、兵学校すら通っておらぬ。一般市民のナツが兵学校に通うのは、経済的にも余裕がないのだから、行ってなくて当たり前で。ナツには一から教える必要があるのだ。
ジュリアもまた武術に優れてるのだと、訊く。
「一緒に行かないか?」
コンラッドの提案に、呼吸が止まるかと思った。
彼から貰った指輪を握りしめて。少し時間をくれと答えるのがやっとだった――…。
(傍にいたいから)
(一緒に行きたいと素直に言えたら)
(どんなに幸せだろうか)
→