20-3
『そう言えば、あれからどれくらい経っておるのだ?』
「……」
『あ、れ?』
コンラッドの目尻が、くわッと吊り上った。デジャブ。
この表情は、何度もお目にかかったことがあるぞ。そう、必ず私が説教をされるオプション付きで。たらりと冷や汗が垂れた。
危険だ。この質問は、このタイミングでするのは危険だった。いや、それよりもこやつに尋ねるべき質問ではなかった。危険だ、早く話題を逸らさねば、危険だ!
いろんな人に説教をされてきた過去を持つ私の経験が、警報を激しく鳴らしておる。
“病人食”の科白に引っ掛かりを覚えて、そのまま言葉として投げかけてしまった数秒前の己の頭を強く叩きたい。
『そ、外は、かなり暗いようだが、今は夜?かな?あ、ははは。やー静かだ、なー……』
「お前は二週間、倒れてたんだ」
『えっそんなにッ?』
「そこまでして、なんでお前は頑張れるんだっ」
「訊いたぞ、お前火を消した後に、治療したってな」と、怒鳴るような勢いで言われて、目が丸くなる。
耐えられんって感じの顔をしてるコンラッドに、きょとんと小首を傾げる。放たれた言葉の羅列は、想像していたものではなくて。
「お前は眞魔国の出身ではない、赤の他人だ!この戦争には全く関係ないだろうッ。どうしてそこまでっ、」
『っ、(赤の…他人…)』
「一歩間違えたら死んでたかもしれないんだぞッ!!」
ヨザックには物わかりのいい科白を吐いたのに、彼女を目の前にしたら、言わずにはいられなくて。なんでか腹が立ったのだけれど。
拳に力をいれてそう言った途端に見えたサクラの寂しそうな眼差しに、コンラッドは続けて紡ごうとしていた言葉を飲みこんだ。
自分の意見は正しいはずなのに、罪悪を感じた。
サクラのふっと笑みを零したそれさえも寂しそうに見えて、これ以上何かを言えば彼女は泣き出すのではないか、と。どうしてこんなに狼狽えるのか、自分がわからない。
『私は…』
コンラッドが黙ったので、静寂が訪れた。
もしもこの部屋に時計があれば、秒針の音がやけに耳につくだろう、それくらいの静けさだ。
『眞魔国が平和になって欲しいと思ってる。その為には、見てるだけではダメなのだ』
「……勝手にあいつに呼び出されたのに、どうしてそこまで尽くせるんだ」
『“漆黒の姫”だからと言っておきたいところだが――…、』
眞王陛下と取引したのは、未来のコンラッドの腕を守りたかったから。
ぎこちないながらもやっと兄弟仲が修復して来た彼等。
争いのない国を目指して頑張るユーリの姿。
出逢ってきたいろんな人の姿を見て、コンラッドに敵国に渡って欲しくなかった。……正直に言うと、八割方はコンラッドが辛いめに遭うのを見たくないという私情だが。
とにかく大切なものを沢山作ったあの時代に繋げたくて。それだけの想いで、私はこの地で踏ん張ってる。
この想いは、この時代のコンラッドに言ったところで理解してくれないだろうし、混乱するだろうから、言えぬ。力なく笑った。
『目の前で傷つく人を、見たくないからかな』
「偽善だな」
『…そうだな、私もそう思う。だが目の前で、命が散るのはもう見たくない。耐えられぬのだ』
己の手が届く範囲ならば、どんな手を使ってでも救いたい。
「戦争中なんだ、仕方ないだろう」
『仕方なくなどない!命をそんな言葉で切り捨ててはダメなのだ』
コンラッドも、共に戦った部下や友を、戦場で亡くした。
戦いに出れば、犠牲者を一人も出さずに帰って来るのは、百パーセントの確立で不可能だ。必ず数人は命を落とす。
サクラの言い分は綺麗ごと。
でも、目の前で救える命を救いたいと――…戦場に立つ兵士達、誰もが一度は感じてるもので。覚えのある感情に、コンラッドは何も言えなくなった。
剣を振るって、毎日誰かが命を落とすのに慣れて。
一番最初に感じていた昔の綺麗な心まで捨ててしまっていた。そうしないと生きて来れなかったから。
彼女と決定的に違う点は、戦う理由だと思う。
昔…士官学校に通ってる頃、フォンクライスト卿に、何のために剣を振るうのか訊かれて、まともに答えられなかった苦い記憶が蘇った。
教科書で習ったような剣筋のフォンクライスト卿など相手にならないと思っていたが、赤子の手を捻るように何度も負かされたのだ。
俺の方が絶対に強い。驕りではなく、絶対の自信があった。
きっと今、あいつに立ち向かっても、相手にしてくれないかもしれない。何でも、戦う理由がお気に召さないらしい。
――何のために、か。
以前なら、何を戦中に甘いことを。と、フォンクライスト卿を馬鹿にした当時のように、サクラを鼻で笑ってただろう。
甘いと思ってるのに彼女の事を不快に感じないのは、心のどこかで、誰かの為に剣を振るう彼女を眩しく思ってるからかもしれない。
『誰かが亡くなれば、誰かが悲しむ』
「戦争中だからな。珍しいことじゃない」
『…悲しんだ後に憎しみも生まれるだろう?悲しみの連鎖や憎しみの連鎖を止めたいのだ』
「だから頑張れるとでも?」
『あぁ、そうだ。私は争いが如何に、哀しくて醜いのか知っておる』
静かに耳を傾けてくれるコンラッドに、『人間が憎いからと言って、争っても…何も残らぬ。お互いが憎しみ合うなど、悲しい』と言葉を重ねた。
「そんな甘い考え、お前くらいなもんだ」
『ふっ。そうだろーな。だがな、思い描くだけでは何も変わるまい?私一人でも平和を望んでも罰は当たらぬだろう』
「平和って……結局は人間の国を滅ぼさなければ、訪れないぞ。お前が嫌ってる血を血で拭うしか方法はない」
確かに…もう引き返せぬ事態。
ユーリが良く口にしている人との会話だけで鎮静を試みるのは、不可能に近い。
彼等の国を滅ぼすのではなく、負けを認めさせて、それから同盟なり一時休戦に持ち込むなりしたい。お互いに歩み寄らないと、平和にはならぬだろう。ユーリも未来で、苦労しておった。
未来でも人間の国との我々魔族の国には蟠りが消えてなかったのだから――…過去である此方で、そう簡単にことが運ぶとは思っておらぬ。
綺麗事を並べるだけで、事態が良くならない。
戦いが始まってるのだから、戦うしかもう道は残されてないのだ。それでも、お互いの被害を最小限に留めたい。
力を振るう己が何を言ってるのだと、叩かれても仕方ないけれど、やっぱり願わずにはいられぬ。願うくらい、自由であろう。
『いつか…、いつか人間達と魔族が仲良くする未来が来るといいな。争いがなくなって平和な世に』
「ふんっ、そんなもの夢物語だ」
『だから動かぬだけでは、事態は何も変わらぬって申しておろうが』
「お前一人が動いたところで、血を重んじる魔族達は、俺のような魔族と人間の混血の者達や、お前だって、排除されるかもしれないんだ」
『……認めてくれてる魔族も少なからずいるぞ』
「混血の者達を仲間だと思ってない奴等のために、俺は剣を振るってるわけじゃないっ。平和なんてどうでもいい」
コンラッドは、今まで誰にも言わなかった気持ちを、自然とサクラに吐露していた。
真っ直ぐと、甘い考えを現実にしようと未来を思い描く彼女が、純粋で真っ白な存在に思えて。キラキラして見えて。
それに比べて何のために…否、居場所が欲しくてがむしゃらに剣を手にした俺とは、全く別の生き物に感じた。天と地ほどの差がある。
そう思った瞬間に、自分が汚らしい存在に思えて堪らず、積年の怨みや思いが、外へ流れ出してしまったのだ――…。
こんな子供みたいな感情を、彼女にぶつけたってどうしようもないって、頭の中の隅にいた冷静な自分が囁いていたけど、一度音にしてしまうと途中ではせき止められなくて。きょとんと瞠目してるサクラを睨んだ。
「どうせ誰も、認めてくれはしないんだッ!」
『そう言ってるわりには、貴様は毎日頑張っておるではないか』
「それぐらいしか俺に価値はないから」
『コンラッド…』
「もしお前の言う平和になったとしても、人間の国だろうが眞魔国だろうが、俺達のような半端もんには居場所はないんだ。誰も受け入れはしない」
ほんの数秒だけ、彼の瞳の奥に――血に飢えた獣のようなものを垣間見た。
誰にも認めて貰えず、母親が魔王で、且つ兄や弟は純血の魔族で、彼だけがと、彼を取り巻く環境を想像して、実際に目の当たりにして、理解した気になっていた。
「どちらの血もこの身体に流れているからな」と、自嘲気味に笑う彼を見て、己の考えは浅はかだったと悔いる。
眞魔国では人間に家族が殺されたと、ハーフの自分達が憎しみの眼で見られ、人間の国に行けばきっとそこでも向けられる反応は変わらない。
どこにいても、余所者なんだ――と寂しそうに言葉を吐くコンラッドを見て、私の心がツキンッと痛みを覚えた。
『良くも悪くも、コンラッドが変わらぬと周りも変わらぬ』
「……」
『厳しいようだが、その考えを捨てぬ限り、』
「お前には分からんだろッ!俺がこの血にどれだけ振り回されてるか」
『ならば、貴様が魔族と人間の架け橋になれば善かろう。人間の血と、魔族の血が流れておる貴様だからこそ出来る事だってあるのだ』
「……はっ。そんなものは――…、」
『コンラッドは、御父上を嫌ってはおらぬのだろう?尊敬しておるのだろ?息子の貴様がそのようでは、御父上が可哀相だ』
私の言葉を訊いて、コンラッドは顔を顰めていて。
彼の父親もまた彼と同じく剣の腕がぴか一で、そんな父親を彼が尊敬しておるのだと、私は知っておった。故に、憎しみを魔族にも人間にも向ける彼を悲しいと思った。
どうしたら、彼を闇から救えるのだろうか。
『可能性は自分で潰してはダメだ。どちらの血も受け継いでるコンラッドを、私は素敵だと思う』
「っ」
『血を憎むだけでは何も始まらんぞ』
コンラッドの喉がひゅうッと鳴った。
そんな言葉をかけられた経験など、今までなかった。向けられるのは認めないといった言葉の数々だった。
ここにも居場所はないのだと面白くなかった。訊いてはないが、ヨザックのヤツもそう思ってるだろう。俺達のような者達の境遇は、何処へ行っても変わらない。
何をまた綺麗ごとをと悪態吐こうとしたが――…なんでかな、目頭が熱くなって、口端から掠れた息しか出てこなかった。情けない。
溢れ出す何かを、下唇を噛んで、体の中に押し留めた。
「お前…変わってる。変だ」
『貴様はごちゃごちゃと余計なことを考えすぎなのだ』
私を救ってくれた彼を、今度は私が救ってあげたい。
『それに誰も認めてくれぬという言葉は訂正しろ』
「はぁ?」
『私がいる。少なくとも、私はコンラッドを魔族だと認めてる』
コンラッドが人間だからとか魔族だからとかそんなの関係ないのだ。
コンラッドがコンラッドだからこそ私は惹かれて、この時代で頑張れている。私を救ってくれた彼だからこそ、私は彼を救いたい。
私をいつも簡単に助けてくれるくせに、自分は心の闇に呑まれるなど、私は許さぬぞ。
『まあ、私はコンラッドが魔族とか人間とかどうでもよくてなー』
「…はぁ?矛盾してないか?」
『私はコンラッドを血で判断しておらぬから』
「……」
『コンラッドがコンラッドだから。私はコンラッドが眞魔国に必要な存在だと思ってる。いてくれるだけでいい』
「お前よくそんな科白、恥ずかしげなく言えたな。照れとかないのか」
『うぬ?…なぜ照れておるのだ』
「て、照れてない!」
訊いてるこっちが恥ずかしくなる言葉の羅列を並べるサクラを慌てて止めようとしたが。
否定した自分を無視して、彼女は、『コンラッドがここにいるから、私も頑張れるのだ!』と、あの眩しい笑顔で欲しかった言葉をくれた。
真っ直ぐに心の中にサクラがくれた明かりが灯る。
「お前、絶対変だ!」
(サクラのくれた言葉が、)
(笑顔と共に脳裏に色濃く記憶された)
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