[sideジュリア]
サクラ達が、バタールで救出活動をしていたちょうどその頃――…ジュリア達はようやく国境付近の村に辿り着いた。
頭上には、太陽が真上に昇っており、辿り着くまでに結構な時間をかけてしまったらしい。
長い間、馬に揺られて疲れてはいるが、息つく暇もなく、ジュリア達は、その光景を眼にしてしまったのであった。
「――…な、」
「何をしているのですかッ!」
バタールに隣接しているこの村は、戦争の被害から逃れてやって来た人間達が住んでいる。
人間嫌いなフォンシュピッツヴェーグ卿が、人間を素直に魔族の地に住まわせているのは、何か良からぬ考えがあるのかもしれないと思っていた所だったのに。
魔族の国民よりもキツイ徴収を行ってるとかだろうと見当をつけていたのに――…その光景を眼にして、ジュリアも、何事にも動じないアニシナも、絶句した。
二人について来た部下達も、彼女達の背後で、言葉を失っている。
「おや?」
空高く上がる黒煙。
首から滴り落ちる真っ赤な液体。そしてソレを持つ男達。
村の中央に集められた人間達は、ジュリア達よりももっと酷い顔をしていた。
そうそれは――地獄絵図のような光景だった。出来れば夢であって欲しいと願ってしまうくらいに。
「フォンウィンコット卿に、フォンカーベルニコフ卿ではないですか。何しにこちらへ?見ての通り、大体の用は済ませましたが――…、」
「……大体の用とは何です」
いち早く衝撃から立ち直ったアニシナが、滅多に奏でない低い声で、愉しげに生首を…それも髪を引っ掴んで人間達にこれ見よがしに見せている男に、問うた。
尋ねたが、鈍った脳でも、もう理解している。けど、聞かずにはいられなかったのだ。
男の周りにいる兵士達も、彼と同様に……人間だっただろう首を持っていて…吐き気がする光景。平然と首を持つ悪魔のような彼等を同じ魔族だと思いたくない。
「え。ご存じないのですか?」
「おや、てっきり御二人も、フォンシュピッツヴェーグ卿の命令で来られたのかと思いましたが、違ったのですね。では何故、このような地に?」
名前も知らない…顔は、何度か見た事はあるが、大した家の出ではないリーダー格のその男は、心底忌々しそうにこの地と口にした。
私は、彼が口を開く度に、吐き気を覚えていた。不愉快を通り越して、胃から何かが込み上げて来そうだ。
しかも、目の前にいる男は、フォンシュピッツヴェーグ卿と言った。
なら…そこで震えている女性や子供達の、大黒柱を晒し首にしているこの状況は――…フォンシュピッツヴェーグ卿が下した命令によって作り出されたと言うの…?
信じられない。平気でそんな命令を下すフォンシュピッツヴェーグ卿が、それを平気で愉しそうに遂行する目の前の男達が、信じられない。
きっと隣に立つアニシナも、私達と一緒に来た兵士達も、私と同じ事を感じているに違いない。その証拠に、アニシナの拳がぷるぷると震えていた。
「もう一度、問います。貴方がたは、何をなさっているのですか?」
晒し首にされてる人間の男は、ここに住んでいた者達だ。
バタールを奇襲した人間の兵士達を晒すなら、百歩譲ってまだ話は判る。全く関係ない人間達がこのような仕打ちを受けているの?
フォンシュピッツヴェーグ卿の監視下にあるここに住む彼等は、貧しい生活を強いられている。
稼ぎ頭の男手を失ってしまえば、収入源を失って彼女達は心の支えさえも、これから先どうやって生きていくのよ。これ以上過酷な生活をさせるつもりなの?
鉄の臭いや建物が燃える焦げてる臭い、気を抜いたら吐いてしまいそうなのを堪えて、今度は私がアニシナと同じ質問をもう一度口にした。
「何って…人間の息を止める為に来たんですよ」
「フォンシュピッツヴェーグ卿に、見せしめに男どもを消しておけって言われたんですよねー」
「知りませんか?昨夜、隣の街に人間が押し寄せて来たらしいんですよ。だから見せしめ」
口ぐちに語られる言葉の羅列は、私達を怒らせるには十分だった。
私の隊の者も、アニシナも、魔族として誇りを持っているが、無駄な血は流さなくてもいいと常々思ってる。人間も魔族も、血を流さなくていいのに、願うは平和な世の中に。
後に引けなくなったさなかに現われたサクラは、どれだけの衝撃と希望を私に与えてくれたか。
彼女の登場に、彼女の考え方に、考えを改めさせられた人もいるというのに、目の前にいる男共はッ。
「見せしめ…?」
あまりの答えに、アニシナの口癖さえ封じられた。まさに絶句。
「貴方がたは、バタールに人間の兵の奇襲があったのを既に知っていたのにも関わらず、救える命よりも彼等の命を奪いに来たと言うのですか」
さも当然のように肯定したこの隊のリーダー格の男に、私はぴくりと額に青筋が立てた。
「人間が我々魔族の眼を掻い潜って侵入したのですよ?我々魔族が忌々しい人間どもを見落とすはずがありません。ここにいる人間どもがリークしたに違いないのです。フォンシュピッツヴェーグ卿の指示は当然でしょう」
「救いを求めて来た人間達なのよ。しかもフォンシュピッツヴェーグ卿が彼女達をこの地に住まわすことを許したのですよ…それなのに…なんて酷いことを…」
「憎い人間には変わらない。これ以上、我々の魔族の地を汚さないためにも、火種は早々に消して置くに限る」
――もう何を言っても無駄ね。
彼等に、何を言っても、私達の願いは伝わらない。
「っあなた達ッ!」
「アニシナ」
彼等に激怒して飛びかかろうとしていたアニシナの腕を掴んで止める。
キッと睨まれたグリーンの瞳から、なんで止めたと非難していたが、私は首を左右に振ってみせた。
「…伝わらないわ。それよりも怪我人を治療しましょう」
「………そうね。判ったわ」
ふうっと呼吸を整えたアニシナと、怒りと幻滅を瞳に宿したままのジュリアの視線が、背後にいたギーゼラに向かう。
何も言われてないが、二人が何を言いたいのか理解したジュリアの隊の副官であるギーゼラは、部下に指示を飛ばした。
重傷人は、辛うじて生きている男の人間達で。
彼等を守るように女性や子供が地べたに座っていたので、ギーゼラは安心させるように笑みを浮かべて、「安心して下さい。治療するだけです」と、伝えた。
けれど、目の前で仲間達が殺された恐怖、次は自分が殺されるかもしれない恐怖が身体にこびり付いている彼等は――…ギーゼラの慈愛のある笑みにすら怯えた。ギーゼラの顔が哀しみに染まる。
「ひいっ!や、やめてくれっ」
「っ父ちゃんがなにをしたって言うんだよッ!」
腕から血を流しながら倒れてる一人の男性に近寄ると、その分後ずさられる。
彼の前に、一人の子供が飛び出してきて、ギーゼラの前で両手を広げて男性を庇いながら立ちはだかった。
胸を打たれるその行動は、助けようとしていただけなのにと――…それだけでもショックを受けるのに、その子供を慌てて抱き込んでギーゼラを睨みあげる女性の登場が、更にギーゼラの心を抉った。
ショックで硬直するギーゼラの隣りを、ジュリアが通り過ぎ、男性達が反応する前に傷口に手を翳して。
みるみると痛みが引いていく感覚に、怪我を負っていた男性は目を見開かせたのだった。
「あ、…んた……」
「魔力を持ってる魔族は、こうやって免疫力を上げることによって細胞を元気にさせるんです」
「痛みが…引いていく…」
「生きたければ、生きたいと強く願って下さい。私達はその想いをもとに免疫力を上げることが出来るので」
驚きに満ちた男性の声に喜びが籠められてるのを感じ取った子供と彼の奥さんが、男性の傷口とジュリアと側に立つギーゼラを交互に見遣る。
やり取りを見ていた他の人間達も、強張っていた表情を少しだけ和らげた――のを見て、アニシナも、女性達の治療を開始させた。
重傷なのは生き残った数人の男性だけだけど、女性達もまた暴力を受けたらしくあちらこちらに傷が見受けられたのだ。女性に何てことをとアニシナは怒りを露わにした。
「何を…何をしてらっしゃるのだッ!まだ男どもを殺し終えてないんですよッ!!治療など人間どもには不必要だ」
子供達にも本来の無邪気さが戻って、笑みを見せていたのに、まだいたあの男の叫び声で、緊張と恐怖で誰もが押し黙った。
穏やかになりつつあった空気を切り裂いた闖入者に、ジュリアの冷たい視線が向けられる。
「私達は、漆黒の姫の命のもとやってきました。貴方がたは退きなさい!眞王陛下の命に背くことになるわよ」
まずは一人目の治療を終えて、すっと立ち上がったジュリアに、全員の視線が集まった。
彼女の発言に凍りついたのは、ジュリア達よりも先に来ていたフォンシュピッツヴェーグ卿の下についている隊の者達だけ。
話の見えないこの村の住人達は、皆一様に、「…漆黒の姫?」と小首を傾げた。漠然と、治療してくれた女性達と、自分達を傷つけた男が言っていた“漆黒の姫”という存在が、自分達の味方なのだろうと思った。
生きるために、種族とか関係なく、恥を忍んで魔族の土地で生きながらえている自分達は、縋れるものなら何でも縋る。
何処にいても敵はいるのだ。今更人間の国にも帰れず、ここにいても剣を向けて来たあの男達みたいな魔族が偉いと思ってる人達は沢山いるだろう。
そんな中で見えた希望の光を――…自分達は、決して離さない。見苦しかろうと、子供や家庭を守る為に、生きるために、なんだってやると――ジュリアと男達が火花を散らしてるのを横目に、必死で生に縋りついていた。
「サクラの勘が当たったんだわ」
彼女が何であんな事を言い出したのか、ようやく合点がいった。
こうなる事を避けたかったんだろう。恐らくサクラは、フォンシュピッツヴェーグ卿とグリーセラ卿が何かを企んでいると訝しんで、あの短時間でいろんな考えを巡らせていたのだ。
それで治癒魔術に長けてる私達の部隊と、アニシナをこの村にと託してくれたんだ。……結果的に、遅かったけど。
「平和を望んでるだけなのに……」
――お互いが憎み合って、なんて悲しい世界なの。
顔を合わせれば、ちゃんと会話だって通じる相手なのに。魔族よりも低能だと見下して、人間の土地をも奪おうとしている。
歴史を辿ると、私達の…フォウィンコット家の祖先は、眞王陛下と共に宗主に立ち向かい見事勝利を手にして、世界を平和に導いた。
なのだが――…人間にはない力を持つ私達を異端だと恐ろしいと言い始めた彼等は、私達の祖先を遠くの土地へと追い遣った。そしてこの地で魔力を持った同じく人間に裏切られた者達が集まって魔族の国が出来上がったのだ。
そうした裏切りがこの戦争の前提にある。
裏切られたけど……祖先を追い遣った人間を快く許せるかと問われると素直に頷けない、だけど、私は争いはとても悲しいことだと思うの。きっとサクラも同じ考えをしてると思う。
憎しみは憎しみしか生まないし、悲しみからは悲しみしか生まれない。私はこの戦争で、そう学んだのよ。
「ジュリア…」
「悲しんでる暇などありませんよ!そんな暇があるなら、一人でも早く治療すべきです」
自分を労わるギーゼラの声と、はきはきと喋るアニシナの声。
魔族のそれも貴族のジュリアの弱音と本音を聞いてしまった住民達は、戸惑ってる様子で。
ジュリアは、こんな時でも変わらないアニシナの叱咤の言葉に、その通りだと笑みを零す。
「漆黒の姫なんて…実際に存在してるんでしょうか」
「知るかっ!」
啖呵を切ったジュリアを、一般兵達はおどおどしていて。思わず呟いたような言葉に、隊を纏めていた男が、苛々と、怒鳴り散らかした。
その怒鳴り声は、この小さな村に嫌でも響いていたが、驚いたのは人間達だけで。治療に専念していたジュリア達は見向きもしなかった。
“漆黒の姫”が、眞魔国を訪れたのは、約半月前のこと。
上に位置する十貴族の者達を始め、彼女が行動を共にしていたウェラーの隊の者達しか…他にも見た人もいるのだろうけど、あのシュトッフェルの直属の部隊の者は実際に目にしてはないようだ。と言うか、サクラの存在を知らないみたい。噂を耳にしても実際に“黒”を眼にした者はほんの僅かだ。それでも兵士の士気は上がっていたから、気にならなかったんだけど……。
故に、ジュリアが放った科白に動揺したのも数秒間だけで、シュトッフェルから何も聞かされてなかった兵士達は、半信半疑の様子。
「ど、どうします?」
「ここは一旦、退いた方が…、」
「うるさいっ!」
揺れる兵士達に、男は隠しもせずに舌打ちした。彼もまた、“漆黒の姫”を見た事がなかった一人だった。
「我々は、フォンシュピッツヴェーグ卿の命を受けてここにいるのだ!他の者の指図は受けんッ!――人間の男共を一匹残らず殺せッ」
野太く轟く声に、耳にした男の部下達は「っは!」っと敬礼して、刀に手を添えて――…。
力強く上がる声の数々を耳にしたジュリアとアニシナが顔を上げた時には、既に遅く。
「殺せッ!」
怪我を負ってない人間は一人もいない状況で、逃げ切れる人など皆無で。
人間の男性達は、危機が迫ってると気付けても逃げられなくて、ただ情けなく悲鳴を上げるだけ。彼等の眼に映る血走った魔族の眼球は、悪魔のようだった。
「殺せッ!一人でも多く殺せ、殺せ!殺しまくるのだッ!」
残酷な命令を下す男の背後から、命を受けた部下達が、鞘から剣を抜き、腰を抜かしてる…簡単に殺れそうな者達の心臓目がけて振り下ろす。
治療に専念していた彼女達が制止の声を上げるよりも早く、刃は太陽の下で鈍く光った。
声にならない男性達の悲鳴が。
彼等の恋人や奥さん、子供の甲高い悲鳴が。
振るい立たせる兵士達の低く放たれた低い声が。
息を呑むジュリア達の、感覚が鋭くなってしまった鼓膜を無情にも突き刺した。
「殺せェー!!!!!!」
絶望を覚えた人々と、声にならない悲鳴を呑み込んだジュリア達の間に一陣の風が吹き抜けて、
『っ、間に合ったか…、?』
視界いっぱいに、“黒”が広がった。
(ふわりと降り立った彼女は――…)
(魔族と人間の希望になってくれる。と、)
(ジュリアは、思った)
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