19-8




『ブレット卿オリーヴ』


後ろを振り向かなくとも、もう近くに己とオリーヴ以外の人はおらぬと気配で知れる。

背中には未だ少年を背負っておるけど、彼は気絶しておるので、会話を聞かれる危険はない。

名を呼んでも反応しなかったので、二度目は強く呼べば、彼女の肩がぴくりと揺れた。人の声を聴けるなら、彼女の心はまだ壊れてない。それでもボロボロだろうがな……サクラは瞼を伏せそうになった。


『哀しくて…悔しいのだろう?……なら、貴様はここで子供のように泣きじゃくってる暇などないはずだ』


私とて運命を嘆いて泣きたくなることは何度もある。

今だって、この時代に飛ばされて、本来の時代のユーリ達や…何よりコンラッドに会いたいと願ってる。

想いを認めてからずっとコンラッドが恋しくて、恋しくて、どうにかなりそうで。でもこの時代に眞王陛下に飛ばされた。

そういう約束だったから、後悔しても身から出た錆で、己の場合は、文句を言っても仕方ない事だった。だがオリーヴは違う。

私の嘆きたくなる悩み事は、己自ら行動した結果でしかないが――…彼女は、いきなり肉親を奪われて、現実を受け止めきれておらぬのだ。泣いて、嘆いて、世界を憎むのも…致し方ないことだろう。


――だが…オリーヴはそれでは駄目なのだ。

哀しいかな、彼女は軍人なのだ。戦いに身を置いてる軍人なのだ。嘆く暇などありはしない。

私とて、優しい言葉を掛けてあげたいさ。酷い言葉を投げてるのは自覚しておる。

ここで何も言わず彼女から眼を背けたら――…オリーヴは復讐の道を辿るか、生きた人形になってしまうかもしれぬ。軍人としてのオリーヴは死してしまうかもしれぬ。

軍人でなくなったとして、果たして彼女は一般人に戻れるのだろうか。


「……あなたに…あなたなんかに判らないでしょッ!」


オリーヴは顔を俯かせたままそう叫んだ。

激昂した彼女の拳が、ぐしゃりと砂利を握りしめておるのを、私は見てしまった。彼女が哀しみと同じくらい悔しいと思ってる感情が――その土を握る拳から…嫌でも伝わる。


「あたしは、両親を同時に亡くしたのよッ」

『だからここで泣くだけか』


サクラの感情の籠ってない声が静かに振り落ちた。


『泣き寝入りするつもりか?』


怒りすら込められてるような、静かな声に、やっとオリーヴは顔を上げたのだった。

オリーヴの真っ赤に腫れたピンクの瞳と、サクラの漆黒が交じる。


『ここは貴様の父親が任されておった街なのだろう?ならば貴様は泣き父の想いを受け取って街を守るべきではないのか!』


絶対零度の眼差しを受けて、オリーヴは聞き分けのない子供のように顔を涙でぐしゃりと汚した。

漆黒の姫が放つ言葉はどれも正論で……正論だからこそ、刃となって身を突き刺す。背けたいのに背けることさえ許されない、泣き叫んで何も考えたくないのにそれさえ許してくれない。

オリーヴは、ぐじゃぐじゃの感情と顔をサクラに向けて、睨んだ。

両親を失った哀しみを、他人が判るはずもないのに正論ばかり口にする。両親を失った喪失感と、両親の命を奪った人間へと憎しみが――…目の前に立ちはだかるサクラに向かう。


「あんたに何が判るっていうのよッ!地位も力も手にしてるあんたにっ何が解るって言うのッ!全てを手にしてるあんたなんかに――…」

『貴様は――…助けを求める住民を、哀しみにくれて見捨てると言うのだなッ!』


叫ぶオリーヴに負けじと大きな声を出した。


「…な…によ……、なによっ!何よッ!」


様々な感情に揺れ動くオリーヴの襟元を掴んで、無理矢理己に眼を向けさせ、真っ赤に腫れた双眸を見据える。

泣くだけならそれこそ子供でも出来る。私とて泣き叫びたい事だって、殻に閉じこもりたい事だって何度だってあった。それでも立ち止まってはならぬのだ。


『私とて、大切な者を失う辛さは、もう何度も経験してる』


そう言って数秒瞼を閉じたサクラを見て、オリーヴは息を呑んだ。

はっと口を開けたまま固まり、中途半端に開かれた唇から吐息が漏れた。


『目の前にいたのに、力を持っておっても何も役に立たぬかった。目の前で大切な者が息を引き取るのを……ただ見守るしか出来なかった…そんなことは気が狂いそうになるほど経験してる』


前を見据えて進むのを止めてしまえば、これまで己の無力のせいで死してしまった仲間達はどうなる?

共に戦って、共に仕事をして、共にご飯を食べた仲間達の無念の想いは、看取った私が引き受けないで誰が引き継ぐのだ。

軍人として戦いに身を置いておるオリーヴも、私と同じだろう。

ここで歩みを止めて何になる。何のための戦いで、なんのための軍人なのだ。哀しみで立ち止まるなどと…では何故、軍人になったのだ。

そんな覚悟もなく軍人になった愚か者ではなかろう?少なくとも私の知るオリーヴは、軍人として誇りを胸に生きていた。


『その度に己の無力を痛感し修行に明け暮れ、そしてまた守ろうと奮闘して。それの繰り返しだ。それが生きるって事だ、それが戦いに身を置く者のそして上に立つ者の宿命だろう!』


零を背負っていた時、何人の仲間を失ったと思ってる!

失う度に無力さを痛感して、これから先誰の命をも散らせぬと誓って――…何度挫けようと、そのた度に己に誓いを立てて覚悟して生きて来た。尺魂界にいた頃の話だがな。

今世でも守りたいものが出来た。私はそれらを守るために、眞魔国を守ろうと誓ったのだ。

それはきっときっかけは違えど、オリーヴも同じ想いなのであろう?

肉親を失う哀しみと一緒にするなと言われるかもしれぬが、彼女にはここで立ち止まって欲しくない。憎しみを原動力に変えても、軍人として立って欲しい。


『貴様の父親にもそんな誇りを持っておったのではないか?』

「っ、うぁぁぁぁ!」

『……泣くのは全てが終わってからにしろ。喚くのも全てが終わってからだ』

「うぁぁぁぁあああああー!!!!!!」


咆哮のような…もはや雄叫びと言っても過言ではないオリーヴの泣き声が、ぽつりぽつりと魔力入りの雨音に負けじと響く。


「っあぁぁぁぁぁぁぁああああ!!!!!!!」


これだけ申しても彼女に何も響かなかったのなら、このまま私がここにいても無意味で。

広場に向かわなければと意識を切り替え、掴んでいた彼女の襟をそっと放した。

己の魔力入りの雨に、雨は嫌いなのだがな…と、嘆息した。背を向けた先から鳴り響く悲痛なソレには瞼を閉じて、雨音に耳を澄ませた。

視界が霞みそうになって来ておるが…それも気のせいだと思う事にした。


――ぐずッ

彼女がいる方向から鼻を啜る音がして。


「…取り乱して申し訳ございませんでした」


と、小さい声が放たれた。

けれど…私は、己の後を確かな足取りでついて来る彼女に、何も言葉を返せぬかった。

何が言えよう?

私と彼女は、親しい友人同士ではない。じゃれあう間柄でなく軍人としての冷たい関係だ。肉親の死に泣く彼女に、私は敢えて冷たい言葉を投げた。

そんな私が何と言えよう?

よく立ち直れたなと申すのも白々しく、もう大丈夫なのか?と声を掛けるのも嘘くさい。だから私は沈黙しか返せぬかった。


『(嗚呼…心が痛い)』





 □■□■□■□



「っありがとうございます」

『いいか、暫くは絶対安静だからな』


広場に行けば、沢山の怪我人で溢れかえっておった。

そのほとんどが火傷で、顔の半分が焼け爛れてたり、女性なのに肌が真っ赤に染まって痛々しい人もいた。中には、全身火傷で命を落としてしまった子供もいて、思わず視線を逸らした。

兵士の方は、バジルが診てるらしかったので、私は住人の方を診てる最中だ。

クルミやロッテの姿が見えないが、彼等も治療に専念しているだろう。

オリーヴは、辿り着いた途端に兵士達がいる方向に行っていたから……まだ父親が生きてるかもしれぬと希望を捨ててないのだろうと窺えた。

それについてはもう何も言わぬよ。この悲惨な現状を見ても、何も思わぬのなら彼女もそこまでだから。

まあ未来の彼女を知ってる身としては、さほど心配しておらぬがな。オリーヴなら乗り越えてくれるだろうと信じて。

ただ間に合わせれなかった罪悪感だけが――…己の胸の中に重く沈んでいた。


「漆黒の姫様っ!こっちもお願いします」

『あぁ』


火傷が酷い患者には、玄武が作ってくれた薬を塗って、そうでない患者には鬼道を施す。火傷の場合は玄武特性の薬の方が効くのだ。

因みに、朱雀には己の中へと戻ってもらい代わりに玄武を出した為、今は玄武しか実体化しておらぬ。卍解も既に解いていた。

玄武が消えるその瞬間を初めて目撃したナツは、笑ってしまうくらい驚いておったなー。

ナツの声に頷いて、次の人を診る。次の患者は――…、


『……おい、刀傷を受けたのはこやつだけか?』

「はい……その…酷い傷を負った兵士の方達はもう……」


ナツの言葉の続きを訊かなくとも判ってしまった。


『そうか。ならばバジルが…あ、グレー頭の男が兵士達を診てるのは、火傷の奴ばかりなのか?』

「はい、そうみたいです」


私はもう一度『そうか』と呟いて、連れて来られた一人の男性の前に膝を付く。

雑に巻かれた包帯は既に機能しておらず、真っ赤に染まり、緩んでいた。

包帯を解いて傷口を見ると、彼の腹に斜めから傷が出来ていて――…私の手も真っ赤に染まる。そっと呼吸が荒い男の額に手を添えると、伝わる熱はとても熱く案の定、発熱していた。


「っ、はっ、はぁ」

『!おい…無理をするな』


添えていた額から退かそうとした手を、男に強く掴まれた。

脂汗を顔全体に流す男の焦点は、ぼんやりとしており、意識が朦朧としてるはずなのに、己の手を掴む彼の手は力強かった。

口をぱくぱくさせておるから、何かを伝えたいらしい。話を訊くよりも止血が先だと、ナツに指示を飛ばすも、男はその口を開かせたのだった。


「っ兵が」

『…あぁ』

「兵がっ……人間の兵が」

『あぁ、知っておる。もう大丈夫だ、安心しろ』


苦しそうに喘ぐ男を安心させるように、優しい声音で微笑む。


「火をつけたのはっ…やつらだっ……早く知らせなければ」

『大丈夫だ。もう火は消えた』


だが、私のそんな苦労も、彼には届いておらぬらしく、悪夢を見てるかの如く同じ科白を繰り返しておる。

その様子はとても異様で。


「姫様……こいつ…もう正気じゃない」


隣りで同じく聞いていたナツの震える声がした。

ナツは…兵士としてこういった場所…戦地でなくとも緊張感漂う命を掛け合いの場は初めてだろうから――…ナツが怯えるのも当然か。


「っ、気付いたっ…ときには…街全体に火の手が回って……やつらを見つけた仲間がっ……仲間はっ」

『おい、しっかりしろッ!街は無事だ。貴様は治療に専念しろ』


私は、震えるナツを横目に、うわ言のように呟く男の頬を軽く叩いた。彼の瞳に黒が映り込む。


「っぁ…あなたは…」

『血盟城から駆け付けた』

「漆黒の姫さまだぜー。オッサン、もう街は大丈夫!火はちゃんと消えたんだ!」


やっと焦点が合った事に、ほっと胸を撫で下ろす。隣りでもナツが元気な声を掛けておった。ナツなりに、元気づけようとしてるのだろう。


「やつらっ…強くて……取り逃がしてしまいました」

『何人だったのか、見たのか?』


正気を取り戻した事を確認して、私は治療に取り掛かった。

まずは止血からだと傷口に己の魔力を注ぎながら鬼道を施していく。その間も情報収集は怠らぬ。


『誠に人間の兵だったのか?』

「ゾラシアから来たと言っておりました」


――ゾラシア?

聞いた事があるなと内心眉をひそめた。


「やつらは…火を放つ組と、見張りだった俺…私達の隊と対峙してる組に別れていまして、少なくとも二十人はいたはずです」


起き上がろうとする彼を制して、治療に専念しろと告げる。

彼の申してる通りならば、人間の兵士達と対峙して生き残ってる魔族の兵は彼だけだ。

騒動に起きた警備兵達――ロッテ達の煤汚れた姿を見る限り火を消そうとそちらに意識が向いていたはずだ。故に。詳しい状況は…恐らく彼からしか訊けぬだろう。


「ですが途中で、一人の男が俺…私達が魔族だと知って驚き、ここじゃないと言って去って行きました」

「ここじゃない?」

『標的はここではなかったと言うことか』


――嫌な予感が当たったな。

ジュリアにあちらを頼んでいて善かった。

私が危惧していた事とは違ったが、人間の兵達が魔族がいた事に驚いたのであれば彼等の目的は国境付近にある村の方。

そこは魔族の土地だが、戦争で家族を亡くした人間や、家を失くしてやむ追えず避難してきた人間達がいる村なのだ。

魔族に誇りを持ってるシュトッフェル達が、その村を良く思っておらぬのと同じく、人間の国の者達も…そこに住む人間を裏切り者だと思ってるのかも……そう考えると辻褄が合うな。


「!す、ごい…」

『見た目は治ったように見えるが、止血しただけだからな。中は損傷したままだから、暫く安静だ、動くなよ?』

「はい、ありがとうございます」


もう何人診ただろうか?

くらりと立ち眩みがして、瞬時に右足で踏ん張る。

疲れが確実に溜まってと嫌でも痛感したが、怪我人はまだ他にもいるわけで。私は、重傷人を中心に、治療して、治療して――…魔力を使いまくった。

己の助手として治療のお手伝いをしていたナツが、己の後ろをちょこまかしていた。ナツには、水と綺麗な布を集めて貰って、薬を塗って、かき集めて貰った布で巻いて貰う。それの繰り返しで。

大方、診終って――…ナツが地べたに転がった。





(うへぇ〜…ん?姫様…どこに行くんですか?)
(隣りの村だ)
(さっきの人が言ってたの気にしてるんです?)
(……あぁ。玄武は置いて行くから、何かあっても大丈夫だろ)
(ぇ、えっ…ちょっと待ってくださいっ!)


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