19-7



『誰かおるのだろー何処におるのか聞こえたら返事をしてくれ』


火の勢いは緩やかになっておるが、激しく燃え上がっていた建物の床は煤汚れており、注意しながら歩かねば足場が崩れて落ちてしまう。

耳を澄ませて注意深く歩いておると、僅かに人の声がした。


『どこだ』


――二階か?

小さいが確かに声が聞こえる。

卍解の状態だから、建物の中を練り歩くのは動き辛いが、崩壊しかけだからか視野が広く、そのまま二階へ進む。

進んでる間も、己の背中から生えてる水の翼から一枚羽が抜けて、火の粉を溶かしていく。



「ここ」

『!』

「ここだ!こっちだ!」


抜け落ちそうな階段をいざ昇ろうとしたその時、更に奥から声がしてるのを耳が拾って、クルミらしき女性は一階にいるのかと方向転換。

か細い声を辿ると――…飛び込んできたのは、記憶にあるボブヘアー姿ではなく長い髪をしたクルミがいて。その彼女の脚の上にクローゼットが乗っていた。避難する前に下敷きになったのだろう。

クルミの側には衰弱した様子の少年が姿があり、恐らくおばあさんの孫だろう彼の腕の中には、猫がいた。


――あー…猫を探しに火事の中を飛び込んだのかー。


「そ、双黒!?」

『あー…驚くのは後にしてくれぬか?……骨折しておるのか?』

「っ、あぁ…そうみてーだ。それよりもそこのガキを――…」


クルミの声を遮る形で「クルミッ!」、外で聞こえていた彼の兄の声が大きく響いた。

己の眼もクルミの眼も、室内の入り口に向かう。


「兄貴」


外で待っておれぬかったのかと、息を切らして乱入して来たロッテの姿を見て、そう思った私だが。

ふと痛みから顔を顰めるクルミを見て、丁度良かったと思い直した。悔しいが、己一人では、大きなクローゼットをクルミの脚の上から退かせてあげられぬ。


『これ退かすの手伝ってくれぬか』

「っ!は、はい」


黒を見に宿す己と会話する兄に向かって戸惑いの眼差しを向けるクルミを、二人して黙殺した。説明してる暇などないしな。

ロッテが入って来れたのは、完全に鎮火したからだろう。引き止めていた男性はどうしたのだろうか。

己の身長よりも遥かに高いクローゼットを、私の手を借りずに軽々と抱えたロッテ。


――くッ、悔しすぎる!倒れたソレを見てどうしようか狼狽えた数分前の己を返して欲しい。と申すか、やはり筋肉は必要だろう。

筋肉をつけようとする度に、オリーヴやグウェンダルに止められるので、未だに私の腹は割れておらぬ。悔しすぎる!

ユーリと筋肉つけよう同盟をこっそりと立てている私としては、筋肉欲しい。最低でも、腕に筋肉が欲しい!

男女の差はとりあえず横に置いておき、私は心の中でひっそりと誓いを立てた。


『診せてみろ』


外気に晒されたクルミの太ももから足首まで真っ赤に染まっており、足首は可哀相なくらい腫れておった。

私は、ギーゼラやユーリのように治癒魔術はどうも苦手なので、鬼道でクルミの怪我を治そうと――…傷口の場所を判断してその位置の布を破る。

クルミやロッテに見下ろされているのを感じながら、手を翳して、魔力を流す。

霊力ではなくて魔力を使うのも、もう慣れたぞ。これも修行の成果だと自画自賛する。


「傷口が――…」

「消えて…いく…!」


頭の上に、クルミとロッテの驚いた声が降り落ちた。


『一見、怪我をする前に戻ったように見えるだろうが、傷口を塞いだだけなので、無茶をするとぱっくり開くからな』


魔族が使う治癒魔術は、対象者の免疫力を上げるらしいが、己の鬼道は止血と傷口を塞ぐ。

一目みただけでは、織姫の力みたいに、傷を作る前の状態に戻った錯覚をするが、実は違うのだ。調子こいて動き回ると傷口が開く。

私も尺魂界で善く怪我の後に血が止まったからと動き回ってたら、いつのまにか怪我をした時よりも酷い状態にまでになってしまったなんて事が何度もあったので、無茶をしたくなる気持ちはよく判る。

その度に、四番隊隊長の卯の花さんや、己の部隊の副隊長である薫に説教をされていた。なので、驚きから眼を見開いておるクルミに念を押した。

骨が折れておるのならば、己の術で骨をくっつける事など出来ぬ。見た目は治ったように見えるだろうが、中は折れたままなのだから。痛みは少しは軽減してるだろうがな。

茫然と頷くクルミを見て、うぬと満足気に微笑む。


『さて、ここもいつ崩れるか判らぬ故、早く出るぞ――…っ、』


気絶したるだけの少年を抱えて、残りの二人にそう言いながら立ち上がると、くらりと眩暈がした。

瞬きした一瞬で視界が真っ白になって、血の気が引いていく感覚。

青龍を卍解してるのに、朱雀を実体化させて、魔力を使いまくりだから己の身体に疲労が溜まってしまってるようだ。だが、ここで倒れるわけぬはいかぬ。

どうしたのかと視線で言ってるロッテとクルミに、再度降りるぞと告げて、己を律して疲労感に蓋をした。







「――ロッテ!」


外に出た途端、ロッテを必死で引き止めていた男性が駆け寄って来た。


「クルミも大丈夫なのか!?」

「…あぁ。あたいは大丈夫だ」


彼にそう答えるクルミが己に視線を寄越したので、名も知らぬその男性の眼も己に寄越された。

吐息にも取れる「っぁ…」っと、小さな声が彼の口から漏れる。


――…何だ?

戸惑いと何か言いたげな眼差しをしておる二人と、押し黙ったままにロッテをチラリと見れば彼もまた似たような瞳をしておったので、小首を傾げた。…ってあ!そうか!


『この子は無事だぞ。煙を吸い過ぎたみたいだが、命に別状はない』


話の流れを呼んでそう答えたのに、三人は微妙な表情を浮かべたので、私は眉をひそめた。とその時――…。



「あぁぁぁぁぁあ」



絶叫が聴こえた。



「あああああああああああああ!!!!!!!」

『(この声は…)』

「かあさまぁぁぁ!!!!」


打ちひしがれるオリーヴの声。

もう声音から、悲痛な想いが籠められていて――…耳を塞ぎたくなる。知り合いの声だから余計に、彼女の絶望の声は全身を突き刺す威力があった。


「とうさまぁぁぁ!!!!」


響き渡るオリーヴの声に、さっと視線を逸らしたロッテの友人だろう男性。

私の視界の端で引っ掛かった彼の反応に、瞬時に脳内で弾き出された答えは、残酷なもの。

ロッテを引きとめていたその男性も、ロッテと同じく警備兵の格好をしてる。つまりは、この街を任されていたオリーヴの父親の部下になる。その彼が気まず気に視線を逸らしておるのは……一つの答えしか出て来ぬのだ。

懸念であって欲しいが、響き渡る哀しみの泣き声に、僅かな願いも消された。


「あの方は…」

『ここを統括していた貴族の娘だ』


彼女の父もまたは軍人だろうから――…人間達と戦って……多分命を落としてる。

泣き叫ぶ彼女に近寄る影が現われない事が、そう物語っておった。軍服を着てる面々を見れば誰もが視線を逸らしておるのでそうなのだろうと、己の気分も沈む。

私の知る未来で、ニコラに叫んでおったオリーヴの苛立った声も、尚も響く泣き声と重なって耳朶を震わした。


「まさかっ…ブレット卿……?」


聴こえる声を辿って行くと、見えて来たオリーヴは、炭と化している残骸を前に泣き崩れている。

全身で哀しいと叫んでる彼女の姿は、悲痛そのもので。

眼を逸らしたくなる光景を眉を寄せて見つめるロッテとクルミに、私は『…あぁ』と、肯定した。

二人の表情に、彼女がオリーヴではないと認めたくないと書かれてあって、でも嘘は付けぬので肯定した。一、兵士として、責任を感じておるのかもしれぬ。


『あぁ。血盟城から共に来たのだ』


オリーヴの視線の先にあるのは、間違いなく焼死体。

認めたくないけど、考えたくないけど、あの焼死体は彼女の母親…のなりの果て。

ふらりと彼女に近寄るロッテに続いて、クルミとロッテの友人の警備兵も、オリーヴに近付いて。「…守れず申し訳ございませんでした」と、ロッテやクルミを始めとした数人の警備兵達が彼女に謝罪を口にした。

だがその行為は…母親の死だけで止まらず父の死をも知らせるもの。

右手をこめかみに当てて敬礼のポーズを取ってる彼等を、オリーヴは見向きもせぬかった。認めたくないのだと思う。


『……』


こんな時、私はどんな言葉をかければいいのか判らぬかった。

彼女が私の知っておる彼女ならば、敢えて檄を飛ばすのだが…今の己とブレット卿の間に親しい絆は無いのだから――…どう言葉を掛ければいいのか。答えは出そうにない。でも、見て見ぬふりも出来そうにない。

涙を流させるために、私はオリーヴをここへ連れて来たのではないのに。結局、間に合わなかった。

泣き叫ぶ彼女をただ莫迦みたいに佇んで見てるだけだった私の耳に、


「漆黒の姫さまー」


己を呼ぶ少年の声がした。

ふっと意識が戻って来た感覚に、背中に感じる重みを今更ながらに感じて、救い出したお婆さんの孫を背負っておったのだと思い出す。

チラリと振り返ると、想像通りナツがこちらに駆けてくるところで。

敬礼しておった警備兵達――ロッテとクルミの姿もあったが、彼等がナツが口にした“漆黒の姫”の通り名に、眼を剥いているのが視界に映った。己の存在はまだ国には浸透しておらぬらしい。


「漆黒の姫様、早く広場にいらして下さい!グレー頭の人も治療してるんですけど……」

『怪我人が多いのか』

「はい」


ある程度火も治まったから、焦ってるナツに促されて広場に向かう事にした。


「っおい待って!…いや、待ってください!」

「俺とクルミも行きます」

「あたい達もそれなりに治癒魔術使えっから…使えますから」


クルミとロッテに続いて、同じく軍服を身に着けている人達が、そう言ってくれて。

向けられた視線の数々はどれも哀しみを瞳に宿らせておらず、彼等の眼差しは希望とやる気に満ちていた。頼もしい限りである。

近寄って来たナツからどうするのかと困惑した眼差しで見つめられたので、皆で行くぞと告げたのだが――…ふと、一番肝心な彼女の姿が引っ掛かって、集団から外れて背後を振り返る。

オリーヴは…ぞろぞろと広場に向かう人達など見ておらず、地に手をついて打ちひしがれておった。

泣き声を出すのも力尽きたのか、微動だにしない彼女の背中は、己が知ってる彼女よりも小さく儚く見えた。一瞬でも視線を逸らせば消えてしまうのではないかと思ってしまう。


『ブレット卿』


チラチラと立ち止まっては己に視線を寄越してるナツに、『先に行ってろ』と、告げて、動かぬ彼女に声を掛けた。

背後でナツが、他の人達を先導して歩く気配がして――…人の気配が遠のいて行く。






(未来の貴様の部下達は、)
(あんなにぼろぼろになろうと)
(国の為に、民の為に、前に進んでおるぞ)



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