19-4
『私と彼女は、今からバタールに向かう』
苛々が止まらぬけれど、聞かれたので一応答えてやれば、シュトッフェルは莫迦にするように笑い、ゲーゲン・ヒューバーは顔を歪めた。
ゲーゲン・ヒューバーは、従兄弟のグウェンダルと雰囲気も似てるのに、考え方や浮かべる表情は、似ても似つかなくて。二人が従兄弟だと教えてくれなければ、私は二人を結びつけたりはせぬかっただろう。
未来で会った事もあるし実際に喋った事もあるのだが、その時の彼は既に拷問されて顔の約半分が火傷で爛れていた故――…今、視界に映る彼の方が顔の印象も明るく、若く見えた。
どちらかというとゲーゲン・ヒューバーは野性的で、危険思想の持ち主のようだ。権力に固執するシュトッフェルに金魚のフンのように引っ付いておるので、そう思われても致し方ないと思う。
「向かうって、何しに行かれるおつもりですか」
『敵が数人来たと通信が入ったのだろう?って事は、その街には戦えるヤツがおらぬのだろう?行かねば、どう街を守るつもりだ』
「漆黒の姫様、私が守りたいのは御国であります。一つ小さな街が無くなったところで痛くも痒くもありません。その街の犠牲があってこの国は守られたのです」
「っ、あんたねッ!」
『――守られた?』
オリーヴが、耐えきれぬ様に声を荒げて。私も加勢して大声を上げようとした。が、シュトッフェルのヤツの言い方が引っかかって眉を寄せる。
シュトッフェルはよくぞ聞いてくれたとばかりに、満足気な顔をしてみせた。
「ええ。守られたのです!骨飛族から通信が入ったのは、昨夜の事。街に攻め入られてからもう半日が経っています。今から行かれても間に合いません、無意味でありますよ」
「なっ…、」
『………』
勝ち誇ったシュトッフェルの笑みを横目に、仮に手遅れだったとしても、この国に人間のそれも兵士がいるのだ。それを野放しにするなんて、第二の被害が起こると容易に想像がつくのに、何故余裕でいられるのか。
憎んでいると言ってるのならば、人間の国へ戻れぬように命を奪いそうなものだが。シュトッフェルが何を企んでるのか、頭を悩ませても判らなかった。
悩むついでに、心の中で、下衆だなと罵っておくのも忘れない。
昨夜の通信で、己達があたふたしておるのを、上から目線で笑っていたのだろう。
チラリとグウェンダルを盗み見ると、彼も驚いたような顔をしてたので知らぬかったのかと見て取れた。
『それでも行くぞ』
余裕な顔をゲーゲン・ヒューバーさえも浮かべているのが気になったが、実際にこの眼で見なければ、疑問の答えに辿り着けぬだろうと。力強く奴等に告げた。
はっと隣で息を呑む音がして、オリーヴが驚くのが音から伝わる。
オリーヴにとって、衝撃な事実ばかり知らされて頭の中を整理できておらぬのだろうなと一考した。
『行かぬとわからぬこともあるからな。――行くぞ、ブレット卿』
「はっはいッ!」
「お待ちくださいッ!勝手に動かれては困りますッ!国民の前にそのお姿で行かれるおつもりですか」
喚くシュトッフェルは無視。
「ブレット卿っ!命令に背くつもりかッ!」
喚くヤツを鉄の心でスルーした私に対して、オリーヴは全身を硬直させたのだった。
その言葉は彼女にとって呪縛のようなもの。私は、思わずため息を吐いてしまった。
――何処までも邪魔な事をするヤツだな。
「あたしは」
「お前の上司はそこにいるフォンヴォルテール卿だろうがッ!勝手な事は許さんッ!」
「っ」
「漆黒の姫様もですぞ」
『………私に、意見するつもりか?』
声を荒立てるヤツに、私は低く唸る。と、途端に狼狽えはじめるシュトッフェル。
あやつの思惑通りにコトが運ばれてるのは気に喰わぬ。手の平で転がされてるような……。
「っ!お、おまえ…ブレット卿が行く事は許さんッ!規律は守れ」
「で、ですが…」
「お前も黙ってないでなんか言わんかッ!」
「私は…」
一見冷静に、何も変わっておらぬように見えるグウェンダルだが、彼の声が詰まってるように聴こえて。彼も何か思うところがあったのだろうが摂政には逆らえぬといったところか。
グウェンダルの心情を察して、また重い溜息が口から零れ落ちた。
いやに静まり返る外野に視線をぐるりと向けると、深緑や、白、カーキ色や、青色、様々な軍服に身を包まれた彼等は、複雑そうな表情を浮かべている。
最初こそ、オリーヴの様子を何の感情もなく見ていたようだが……遠目からこちらを眺めてる彼等の表情から見ると、何か言いたそうな感じだった。微妙な空気が満ちている。
注目されてるグウェンダル達に視線を戻すと、彼等の間には、緊迫した空気が流れていた。これでは言いたい事があっても、言えまい。まあ立場云々もあるがな。
『彼女が、彼の部下だから更に言えば貴様の部下になるから、命令には従えと?』
と言えば、間髪容れずにシュトッフェルから当たり前ですと返答があり。
オリーヴは眉を寄せて、拳は強く握りしめ、下唇を噛んでいた。その表情から彼女の葛藤が第三者にも伝わる。グウェンからは視線を逸らされた。
『判った。ブレット卿オリーヴ。こやつらに従ってこのままここにいるか、私の部下としてバタールに向かうか選べ』
瞬時に口を開けたシュトッフェルを一睨みで黙らせて、オリーヴを見据える。
オリーヴが言葉に詰まったのは、ほんの一瞬。耐えるように瞼を閉じた次の瞬間には、決意に満ちたピンクの双眸がそこにあった。
「あたしは、サクラ様とバタールに行きます」
『訊いたか、フォンシュピッツヴェーグ卿。眞魔国に来てばかりで勝手が違う故に、暫くウェラーの部隊に厄介になっておったが――…丁度いい。今、これを以て、ここに私の部隊を作る』
腕を組んで、ふんッと鼻を鳴らしてみれば、悔しそうな顔とかち合う。
大切なものを作らぬようにしていた頃の己では考えられぬ科白。今だって、あの時代に帰りたいと思っておるが、私も覚悟を決めよう。
“零”以外を背負うつもりなど毛頭なかったけれど、守りたいと思ったものを守れるならば形などどうでもいい。守れるのならば、なんだって背負ってやる。
宙ぶらりんな状態で、コンラッドの部隊で、眞王陛下に頼まれた仕事をこなすつもりであったのを改めよう。
「勝手な――…」
『私に指図するな!……反対勢力を作ろうとしてるわけではない。何をそんなに怯えてるのだ、莫迦か』
もう一度、腕を組んでふんッと鼻を鳴らしたら、ヤツは顔をみるみると赤くさせていた。血圧があがるぞ。って元凶の私が言っても、説得力ないがな!ぬははっ。
『勝手な事をしておるのは、貴様の方だろうがッ。まったく。……一応言っておくが、摂政である貴様は私に意見など出来ぬぞ。それは眞王陛下の意思に反する』
「っ」
眞王陛下には逆らえないだろうと念を押した私は、不快な顔面から目を逸らして、『はい、は〜い』と言いながら、周りを見遣る。
私の気の抜ける声で、ぴりっとした空気が軽くなった。うむうむ。皆、こっちを見ておるな。
『今から、バタールに行くが…身内がバタールにいて気が気ではないと思ってるヤツがいたら挙手しろー』
し〜んと静まり返る中で、一人名も知らぬ人が手を上げれば、また一人、一人と手があがる。
シュトッフェルの鼻息の音だけがして、ヤツの荒さは凄まじかった。どんだけ、興奮しておるのだ。その内顔面から湯気がでそうな勢いである。
ヤツの近くにいるゲーゲン・ヒューバーは、言葉では表せぬくらい顔全体を歪めていた。うむ、うむ。実に愉快である。
『私に、ついて来たい者は前へ』
やはり上官を裏切るような行為に繋がるから……誰も出たがらなくて。手を挙げてた面々は、互いに顔を見合わせて、どうするか思案していた。
――まあ、いいか。
ふむと頷いて、『さ、行こう』と、オリーヴの背中を軽く押す私に、
「……某も…、」
グウェンダルに負けぬテノールな声が掛かった。
『――ぬ?』
「……某もバタールへ行きます」
名乗り出たのは、ヴォルフラムが着ているデザインとは異なる青の軍服に身を包んだ青年だった。歳は、この時代のコンラッドとオリーヴと同じくらいか。
グレーの長い髪を一つに纏めて、何処となく品があり彼が貴族の出なのだろうと伺えた。落ち着いた物腰で、これまた整った顔の持ち主で。
珍しくも、金の右目とブルーの左目――つまり、彼はオッドアイの持ち主だった。
不思議な色と整った顔立ちに、目を惹くものがあって見惚れそうだ。
『貴様は?』
「……はっ。某は、スコーン卿バジルと言います」
『(バ…ジル)』
これまた美味しそうな名前である。
こちらの世界は、地球産まれの己からしてみれば、おかしな動物や思わず笑ってしまう名前で溢れてる。後、美形。皆、美形なくせに黒髪黒目ってだけで、絶世の美女とか言って美的感覚がかなりおかしい。
私は、もしも…ギュンターが地球に行ったら、鼻血を出し過ぎて出血多量で死してしまうのではないかと、思ってるのは内緒だ。
考え事をしながらバジルを見てたから――…バジルがチラリと、シュトッフェルを一瞥して、見られた摂政が隠しもせずに舌打ちをしておったとは気付かぬかった。
『貴様の上司は――…』
「……いえ。大丈夫ですからお気になさらずに」
『そうか?』
いきなり言い出した己の部隊に異動させたのだから、角が立たぬように彼の上司に一言断っておこうとしたのだが、バジルは首を左右に振って否定したので、それは叶わぬかった。
名前に卿と付くくらい故…ある程度上に位置する人物だと思うのけれど。本人が構わぬと申すなら、……いいとするか。うぬ。
うぬうぬと頷いて、私は白虎を具現化させた。
『――白虎』
《あいよ〜。って……なんじゃ、人が多いのう》
『彼、バジル。で、オリーヴの二人を背中に乗せてくれ』
《あい、わかった》
指をさすのは流石に失礼だと思って、視線でバジルを紹介。
……ってあれ?白虎は、オリーヴとは初対面になるのか?オリーヴが誰か言っておらぬが…あー視線で判ってくれたのだな。小首を傾げてる間に、白虎が尻尾で二人を背中に乗せていたから、疑問を綺麗に流す。
時空云々の話しは考えても答えが出ぬので頭が痛いのである。そんで、時と場合によって大きさを自由に変えられる白虎って便利。羨ましい。
馬よりも、トトロよりも大きくなった白虎に、馬に慣れてるオリーヴとバジルがどう乗りこなせばいいのかあたふたしておる様子から、笑いが込み上げそうだったので、そっと視線を逸らした。
バジルが自身の事を“某”と言っていたから、己の弟を思い出してしまった。それがしって。
「サクラ、私もついて行っていいかしら」
『ぬ?あー…』
ジュリアの申し出は嬉しいけど……ジュリアまでシュトッフェルのヤツに目をつけられてしまうのは避けたい。
行く気満々のジュリアに、どう断ろうか曖昧に言葉を濁す。だってほら、今だってシュトッフェルってば苛々としておるし。…うぬ、原因は私にあるけれど!
オリーヴとバジルは自ら私の部隊に入ると意思表示してくれたので、私が全力を以て守るけれどジュリアは別の部隊だから、何かあったらどうにも出来ぬのだ。それは困る。
こちらへ来て初めての女性の友達なので、私はジュリアが好きだった。せっかく出来た友達に、居心地の悪い思いを味あわせたくない。
そう思ってるのに、ジュリアの真っ直ぐな視線が己に突き刺さる。
「わたくしも行きます!」
「……ぇ、えッ!?」
「あら」
ぎょっと目を剥いたのは私だけではない筈。まさかのアニシナ登場に、男性側の肩が大げさな位にびくついていた。
おそるおそるグウェンに視線をやると、彼の顔から血の気が引き始めていて、ちょっと可哀相。嗚呼…この時代から、アニシナの魔導装置の実験台になってたのかと悟り、見なかった事にする。
「漆黒の姫が、わたくし達の為に率いてくれると仰ってくれてるというのに、オリーヴとバジル以外に誰も名乗りを上げないとはっ!なんたる事態!」
私は、アニシナをきょとんと瞬きさせながら見てるジュリアの肩を叩いた。
どの時代のアニシナも、我が道を進むアニシナで善かったなー。彼女を止められる魔族がいたら見てみたいぞ。果たしてそんな人物は存在しておるのだろうか。
幼馴染であるグウェンダルに是非とも彼女の手綱を引いて欲しい。
(また一つ)
(己の知る未来へと近付いて行く)
(……うぬ、アニシナはアニシナだった)
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