19-3
声が聞こえたのは、門がる方角で。近付くにつれて、ざわつきの声が大きくなっていく。
中庭を通り抜けて、そちらに向かえば――…正門警備兵の兵士達と、見覚えのある深緑色の軍服を着た魔族達、その中心にいた女性が声を荒げていた。
「どうして行っちゃいけないのよッ!」
「…それが上の判断だからだ」
人ごみの間を掻き分けて、中へと進む。
周りにいた野次馬達も、騒音の原因の女性に注目してたみたいだが、過ぎる黒に気付いて息を呑んで避けてくれたので、自然と道が出来た。
後ろからはやや遅れてジュリアが追ってきていた。
「っ!王は、魔王はっ!あの街を見捨てると言うのっ!?」
「………」
「ねぇっ、答えなさいよっ!フォンヴォルテール卿ッ!」
未来の彼よりもやや若いグウェンダルに、詰め寄ってる女性も深緑の軍服を身に着けている。
眉間の皺を増やした彼に負けぬ形相をしておるその女性が動く度に、高く結われたピンクの髪が馬の尻尾のように揺れておった。彼女の顔を見た時に、既視感を感じた。
見覚えがある顔に、見覚えがある声。けれど、身に着けている軍服だけが違う。
『あの女性は――…、』
「ブレット卿オリーヴ」
『オリーヴ?だが…』
私の呟きに応えてくれたジュリアに口を開いたが、途中で噤んだ。
ここは過去の世界だ。故に、私の知るオリーヴと恰好が違ってても頷けるというもんだ。うむ。
視線の先にいるこの時代のオリーヴは、髪と同じ色のピンクの瞳を吊り上げて、般若のようで。常に山吹色の軍服を身に着けていた彼女の服は深緑。グウェンダルの隊と同じ色の軍服だった。
そこから得られる答えは一つ。
オリーヴは、グウェンダルと同じ部隊にいるのだろう。
「骨飛族から通信が来たんでしょッ!人間の兵が来てるって、通信が入ったんでしょッ!なのに、何でっ」
只ならぬ会話の内容に、眉を寄せる。私の横で、ジュリアも真剣な顔をしていた。
掴みかかる勢いでグウェンダルに声を荒げてるオリーヴ、けれどグウェンダルは苦虫を潰したような表情で押し黙っている。
人ごみの中にカーキ色を見付けて、一瞥すれば、コンラッドも真剣な…否、侮蔑を含んだ表情を浮かべていて。一瞬だけ意識が彼に奪われた。が、すぐにオリーヴの声に引き戻される。
「……通信は入っていたみたいだが、あの街に向かえなどの命令は下されてない」
「っ」
「命令がない中で、勝手には動けん」
二人のやり取りから、憶測を立てる。
シュトッフェルか魔王であるツェリ様に、とある街から骨飛族からの応援を要請する通信が入って。それを聞いたオリーヴは向かいたいのに、グウェンダルに止められてる――といったところか。
見過ごし出来ぬ内容である。
人間の兵が来てるって、何人来てるのか、被害はどれくらいなのか。詳細も知らされてるはずなのに、どちらにしろ善い状況ではなかろうはずだが、彼等は動く様子がない。
シュトッフェルのヤツが一枚噛んでると、舌打ちしたい気分になった。
行くなって事は、街に住む人たちを見捨てるって事で。
王都に来るかもしれぬのに何を言ってるのかと言いたくなるが、その決断をしてるならば、人間の数は少数なのだろう。簡単に殺せると判断したわけか。反吐が出る。
被害は少ない方がいいに決まってるのに。
『そのような報告…私は貰っておらぬが』
「……フォンシュピッツヴェーグ卿が報告するまでもないと判断されたのかもしれないわ。私も今初めて聞いた」
グウェンダルはシュトッフェルに善い印象を持っておらぬようだから、たまたまその場に居合わせたと考察する。
考えれば考える程、シュトッフェルに対して怒りが湧き上がる。斬りたい、感情のままに斬り込みたい。
――誠に私の存在を飾り物にするつもりか、あやつッ!
どこまで私を莫迦にすれば気が済むのか。
私も進んで行動すると言ってあるのに、報告がないとかふざけてる。態と報告しに来ぬのだろう。これからもきっと私を利用するだけ利用して邪魔者扱いするに違いない。腹立つヤツだ。
あやつがそんな態度を取るならば、こちらもこちらで掻き乱してやろう。
『その話――…』
ふらりと、前に一歩進めば、横に立っていたジュリアから「っぁ…、」と引き止めたそうな声が聞こえた。
視界の端にいたコンラッドからも、訝しむ視線が突き刺さる。二人とも何をするつもりだ、みたいな眼差しだ。失礼である。
『詳しく訊かせてくれぬか』
「なによッ……って…え、ぁ……」
野次馬の中心にいた彼等に声をかければ、邪魔されたと思ったのか、勢いのまま振り返ったオリーヴの目が極限まで見開かれる。
体をぷるぷると震わせる彼女をチラリと一瞥して、渋面のままのグウェンダルにもう一度問いかけた。
『フォンヴォルテール卿。今の話、詳しく訊かせてくれぬか』
「……漆黒の姫様…貴女には関係ないかと」
『関係ないかどうかは私が決める。眞魔国に関係ある事なのだろう?ならば私を邪険に扱うことは許さぬ。それと、名前で呼べ。その呼び方は慣れぬ故』
「…先程、人間の兵士が数人街に現れたと骨飛族より通信があったようで」
『うぬ。で?』
「ですが、その街は馬を速く飛ばしても丸一日はかかってしまいます。人手不足な状態では、部隊をやる余裕がないと」
『そうシュトッフェルが判断したと?』
もう一度、オリーヴをチラリと見遣って、グウェンダルに問えば、一瞬間が空いて頷いた。
何かを守るためには、何かを犠牲にしなければ何も守れぬ。
国を守るためには、何かを斬りおとさなければ、攻め入られてしまう。そんな事、重々承知しておるが、辛そうなオリーヴは見ておれなくて。部隊を動かさなくとも、個人で動けば問題なかろうと考える。
組織に従うならばその行動は正しくはないけれど――…己の護衛になるオリーヴの辛そうな顔は見過ごせぬ。見過ごせば、己の中の何かが消えてしまう。
「被害が少なくて済むからって……あたしはっ」
「お前は、軍人だろうが」
「それでもっ!あたしはッ父様を見捨てたりは出来ないッ!」
長く生きてたとしても、黒を身に宿す魔族に出会えるのは奇跡で。
それも双黒の御方を生きてる間にお目に掛かれるなんて思ってなかったオリーヴは、暫し放心してたが、目の前で交わされるやり取りに我に返って低く唸った。
相手が双黒とか漆黒の姫とか、自分の隊の上司だとか頭になくて、荒ぶる感情に従って声を荒げたのだった。
『っ父!?』
大声で発せられたオリーヴの言葉に、頭を鈍器で殴られたような衝撃が走る。
――父って…オリーヴの父親?
衝撃を覚えた己の脳が勝手に動いて、ぱッと脳内にニコラとオリーヴの会話が蘇った。
「グリーセラ卿のせいで、あたしの大切な家族も、友達もみんな死んだのよっ!」
魔笛探しの旅先で出会ったニコラにどうしてと言われて、オリーヴがそう叫んだのだ。鮮明に思い出せる。
『っ』
オリーヴの父親はまだ生きてる。が、今、危険な状況ってわけなのだな!
グウェンダルの言う通り軍人としては褒められた行動ではない。が、譲れぬものはある。彼女の父親が生きてるのならば――…過去を変えるのは御法度だけれど、ただ傍観するだけってのは、私らしくない。
――私は私らしく動くべきだろう?そうだろう?青龍。
《……あぁ。主は、守りたいものを守るために突き進め。我等は主に従う》
民とて見殺しには出来ぬ。諦めるのは、足掻くに足掻いた時だけだ。まだ己はなにも行動してはおらぬ。
応えてくれた青龍い勇気を貰って、酸素をゆっくりと吐き出した。
「あたしの父が、その街にいるんです。フォンシュピッツヴェーグ卿から父が任された土地でっなのにっ」
『……なるほど。大体の話はわかった』
「どうするつもりですか」
『あー、フォンヴォルテール卿、敬語もやめてくれ、慣れぬ』
再度、グウェンからどうするともりなのかと、何か仕出かす前提で聞かれて、ムッと膨れる。
コンラッドといい、ジュリアといい、短い付き合いなのにどうして私が何か仕出かす前提で訝しむ視線を寄越すのか、文句の一つでも言いたいくらいである。失礼だぞ。
まあ何かするつもりではあるが、貴様等に何も迷惑をかけるわけでもないのに、まっこと失礼なヤツ等だ。
『その問題の街の名は何だ?』
彼女の父上が統治してる街の名前を聞かねば、何処にあるのか判らなくて。
シュトッフェルの領土であるのに、見捨てられようとしてる現実に憤りを感じてるオリーヴと目線を合わせる。
オリーヴは怒りから来る興奮から頬が赤く、鼻息も呼吸も荒かったが、深呼吸して整えていた。じっと見つめて。周りからも私とオリーヴを見る視線の数は突き刺さったままで。
「バタール…です」
ぐっと下唇を噛むオリーヴに、そうかと頷く。そしてまた美味しそうな名前だなと心の中で呟いた。
『応援の要請が来てからどれくらい経つのだ?』
「……私は、摂政とゲー…いえ、グリーセラ卿が会話してるのを聞いただけだから、いつ届いたのかは知らん」
「あたしは、フォンヴォルテール卿に今聞いたので知りません」
それでは、被害がどれくらい広がってるのか判断がつかぬではないか。
グウェンもオリーヴもそう思ったのだろう、途端に眉に皺が寄っておった。
『まあ。いいか。実際に見に行けばいいだけなのだし』
「――…ぇ、」
『行くのだ、直接な』
目を見開くオリーヴに、ゆっくりと言葉を放つ。オリーヴは信じられぬってな感じの表情を浮かべていて。
「………はぁ?おま…、サクラ様は、」
『慣れぬと言うておろう。呼び捨てで構わぬよ』
「はあ。いえ、そうではなくてっ!」
『ぬおー』
今度はグウェンが声を荒げたので、びっくりしたぞ。油断しておったので、肩がびくついてしまった。
対してグウェンダルは深い溜息を吐いて、私を見て来る。何だ、なんだー。その疲れた表情は、善く見てる気がするぞ。この時代のグウェンダルも変わらず苦労性なのだなー。
「あまり好き勝手動くと、あいつに――…」
『グウェ…いやいや間違えた、フォンヴォルテール卿。そうやって怯えてばかりだと…何も出来ん。自ら行動せぬと何も守れぬぞ』
「……」
『頭を固くさせる歳でもなかろうに。貴様を見てると、雁字搦めで自分で自分の首を絞めてるように見える』
コンラッドの事だってそうだ。コンラッドは兄弟にすら存在を否定されてると思ってる。
ヴォルフラムは、あやつは考えが子供故、人間の血が入ってるってだけでコンラッドを兄と認めておらぬのだろうが。グウェンダルは違うだろう。
グウェンダルは、ちゃんとコンラッドを弟としてみてる。誰よりも心配してるみたいなのに、周りの環境のせいで近付けぬのだろう。大きな蟠りが出来上がっていた。
痛感してるくせにどうする事も出来なくて、大きな蟠りに右往左往してるグウェンダル。
政治においてもそうだ。
シュトッフェルに不快感を抱いてるくせに、ただ見てるだけ。従うだけ。後で後悔するのはほかでもないグウェン本人なのに。
「サクラ様っ!」
『ぬおッ、お、お、オリーヴ…じゃなかった……ブレット卿』
「サクラ様、バタールに行くってッ…そのっ」
『うぬ。ブレット卿の御父上も気になるが、民を見捨てることは出来ぬ。貴様も、共について来るだろう?』
「っ、サクラ様…」
誰もが見てるだけで、シュトッフェル刃向かうヤツなんていなくて。
父を心を鬼にして見捨てるなんて非情な真似できなくて。
でも軍に身を置いてる立場では、勝手な真似など出来ないから、どうすればいいのか答えが見つからなくて。
ただ地団太を踏んで悔しい思いを味わうしかないのかと思ってたら――…思いもよらぬ所から希望の光が射し込んだ。ぐッとオリーヴの胸に熱い何かが押し寄せて、目頭が熱くなった。
恐れ多くてじっと見つめる事が出来なかったサクラの顔を、しっかりと見つめて瞼に焼き付ける。
天の助けと言うか…信じるものを初めて目の当たりにしたような感覚に、オリーヴの体は、ぶるりと震えた。
「おい、だから――…」
「勝手に動かれては困りますな」
オリーヴと会話しておったから、グウェンの事がすっかりぽんと頭から抜け落ちておった。
左から彼のテノール声が聞こえて反応する前に、不快な声がグウェンダルの声に被せて放たれて。私の耳がぴくりと反応した。誰の声、なんて考える時間も不愉快で。声の主の顔を見るだけでも機嫌が急降下する。
生理的に受け付けぬという言葉は、私にとってあやつに当てはまるのかもしれぬ。言葉の意味を理解できても、まったもって嬉しくなかった。
『…出たな』
そやつは、固まってこちらを窺っていた兵士達を押しのけて、ズカズカと現れて。野次馬根性のざわつきから、ぴりッとした空気に変わり、外野は皆押し黙った。
グウェンダルは無表情で、オリーヴは隠しもせずに顔を歪めてる。…まあ、あやつの指示で、オリーヴの御父上がいる街が見捨たのだから苛々するのは当然で。私もまた、現われたシュトッフェルに不快感を募らせていた。
「何をなさるおつもりですかな?」
時間がないのに。すぐに向かおうとしておった己とオリーヴに、腹立たしいブルーの瞳が突き刺さる。
シュトッフェルの傍には、グリーセラ卿ゲーゲン・ヒュバーの姿があり、王の姿はなかった。やはり、決定したのはこの二人。
『…貴様、重要な事は私にちゃんと報告しろ』
「大したことではなかったので、報告もなにも…わざわざ御教えする内容でもないと思いましてねー」
飄々と言いのけたシュトッフェルに沸いていた怒りがふつふつと勢いを増す。
最近の私は、こやつに怒ってばっかりだ。
(わざと教えなかったのだろうがー!!)
(ヤツの頭を叩いて、叫びたいィー)
(ここまでイライラするヤツに会ったのは初めてだぞ)
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