16-8




浴室から続く扉から足を踏み出すと、目の前に広がるのは脱衣所のスペースで、更にその先の扉を開けると――…


「…双黒!?」


コンラートは、銀を散らした虹彩の瞳を驚愕なものへと変えた。

最後の扉を開ける前に、気配を感じたので、恐らく自分が立てた物音に反応して、様子を見に来たのだろうと、推測したコンラートだったが、眼に映る黒に驚愕したのだ。


「おにーちゃん、誰?」


コンラートの予想通り、物音を聞いて、トテトテっと足音を鳴らしてやって来た小さな住人は、髪も瞳も黒でその漆黒の丸い瞳はきょとんと瞬きさせている。

黒を目にして、驚きで思考が停止した脳の隅で、サクラの姿がチラついた。黒を見るとどうしても愛しい存在を思い出してしまう。

僅か数秒で驚愕から立ち直ったコンラートは、黒を宿すその存在を胡乱気に見つめた。もちろん、驚愕した時も訝しんでいる今もあからさまに顔には出さない。

双黒は、この世で二つとして現れないと言われるほど貴重で、十貴族よりも位が高い。

陛下であるユーリやサクラの双黒が現われる前は、千年前に生きていた猊下しか存在していない。

猊下の存在があったからこそ黒は貴重だと言われ続けた歴史があり、彼以来、実際に双黒は見付かっていなかったから、身に二つも黒を宿すユーリとサクラは珍しい存在なのだ。


――なのに…何故、目の前に双黒がいる?

髪を染めている可能性もある、が、その髪質は傷んでおらずごく自然で、それが返ってコンラートに疑念を抱かせた。

見たところこの小さな男の子は、魔族ならば十五歳くらいの年齢。しかし双黒の者が産まれたなんて話は城に届いていない。情報通なヨザックからもそんな話を聞いたことがない。

男の子の仕草が幼稚なところからすると…この者は、人間なのだろう。……ここは人間の土地か。


「おにーちゃん、びしょびしょ…でござるな」


思考に耽るコンラートを眺めた男の子は、んっと白いタオルを差し出し、踵を返して脱衣所からいなくなってしまった。

その素早さに、お礼を言うことも出来ず、コンラートは苦笑しながら頭を拭いた。その間も、思考の渦は押し寄せる。


――可笑しい…。不審な点が多すぎる。

もしもこの地が人間の土地ならば、あの子供は黒を宿しているから、蔑まれ、虐げられ、まともに生きているはずはないのだが……あの男の子は、服も小奇麗で、肌も怪我をしてなかったし、古傷も見当たらなかった。

そして何より……民家にしては、立派な家のように見える。双黒のあの子が、人間の土地で裕福に暮らせるか?

仮に、裕福に暮らせていたとしても、話題に上がるはずだ。だが、人間の土地に詳しいコンラートの耳にも双黒の男の子が産まれたなんて話は聞かない。




「………」

「………」


思考していたら、ガタッと扉が開いて、先程の男の子が隙間からこちらを覗き、もじもじし始めたので、コンラートは怪訝な表情を浮かべる。

気配を探っても、この家にはまだこの男の子しか帰って来ていない。彼が視線を彷徨わせる意味が判らなかった。


「パっ」

「パ?」

「パジャマしかなかったでござる……すまぬ」


申し訳なさそうに差し出されたのは、ブルーの寝間着。その衣服を目にして、コンラートの中である仮定が浮かび上がる。





…――まさか…。





奇妙な間が流れる。

コンラートとしては軍服のままでも良かったのだが、脳裏に浮かびあがった一つの仮定と、この家を水浸しにするのは気が引けて、とりあえずパジャマに着替えた。

このような布であしらわれた寝間着――パジャマは、眞魔国では見かけない。


「……」


そして通された居間にて、テーブルを挟んだ目の前で、名も知らぬ双黒の男の子はチラチラと自分を見ている。気まずい空気を肌で感じた。

家に帰って来たら見知らぬ男がいたのだから、戸惑っても仕方ないな…と、コンラートは思った。


「お兄ちゃん……」


どうしてここに?泥棒なの?なんでお風呂場にいたの?

そんな疑問がその小さな唇から零れ落ちるのだろうと考えていたコンラートだったが、男の子が口にしたのは、全く違う言葉だった。


「あねうえは?」

「…………は?」

「あねうえが、おむかえに来てくれなかったから……それがし、ひとりでかえってきたのだ」


話しが見えない。


「ん?」

「うむ?」


こてんっと顔を斜めに傾ける仕草がサクラと重なって見えた。


「あねうえの、おともだちなのでござろう?」


なんでその考えに至ったのだろうか。


――俺が勝手に家にいたからか?

この男の子の姉は、不在でも友達が家に上がり込むのを止めたりしないのか……?不用心すぎる。

自分がここにいることを不自然に思っていない目の前の子供を見てると、警戒していたのが馬鹿らしくなって来る。と言っても――…恐らく、“ここ”は、警戒しないでいい国だ。それも双黒が当たり前の国。

…自身の仮定が合っていたら、の話だが。


「あねうえは、どこに?」


純真無垢な男の子の眼差しを受け、彼からの質問に、コンラートは言葉に詰まらせた。

男の子は、俺が彼の姉の友達だと信じて疑っていない。どう説明したものか…と、頭を悩ませる。

今後の自分の身の振り方も決まっていない現時点では…、とりあえずこの国の名を尋ねるべきだ。もしも考えと一致していたとしたら――…男の子ではなく、話が判る大人の人と言葉を交わしたい。


「お父さんやお母さんは、いつごろ帰ってくるのかな?」

「父上と母上でござるか?」

「そう。どちらでもいいんだが…ちょっと訊きたいことがあってね」

「いないでござるよ」

「ああ、うん。いつごろ帰ってくるか判るかな?」

「いないでござるよ?父上も母上も、じっちゃんも遠いお星さまになったから、かえってはこぬのだ」


てっきり仕事か何かで、今はいないのだと思っていたのに、小さな彼から紡がれる家庭事情に、コンラートは閉口した。

同情したわけではなく、これでは情報が得られそうにないなと考えたから。男の子の姉は、彼の様子から何時帰ってくるのか判らないのだろうしと思案する。

男の子には同情すべきなのかもしれないが、過酷な過去を持つハーフの魔族を見て来たコンラートにとって、そこまで衝撃ではなかった。コンラート自身も辛い過去を持っている上に、コンラートは自分が他人が言うほど優しい性格をしていない事を知っている。

サクラやユーリは、コンラートの事を優しいと言ってくれるが、それは普段から笑顔を絶やさないからで。

コンラートと付き合いが長い者達は、コンラートが非情な面をも持ち合わせている事など――…周知の事実だ。サクラとユーリが、それを知った上で、苦しむ彼を優しいと言っていることをコンラートは知らない。


「あねうえは、いつもおむかえに来てくれるのでござる。でも…おしごとをしてるからいそがしそうなのだ」


話しに脈絡がないのは、相手が子供だからか。


「だから、それがしひとりでかえってきたのでござるよっ!」


――あの時、爆発が起こってたけど……サクラは無事なのだろうか。

目の前の子供の話に上の空で相槌を打ちながら、頭の中はサクラでいっぱいだった。


「あー!」


こちらは夏なのか日が傾いているのに、射しこめる日差しはジリジリと強く、やはりここは異世界ではないだろうかと一考していたコンラートに男の子は、元気よく声を張り上げた。


「それ、あねうえから?おにーちゃん、あねうえからもらったでござるかっ!?」

「――ぇ…、いやこれは……」


子供の黒曜石のような瞳からキラキラとした光線が、俺の右手首にあるブレスレッドに向かって放たれていて、瞬時に裾で隠した。

これはサクラから貰ったものだ。あんまり他人には見せたくなかった。たかがブレスレットに見えるかもしれないが、俺にとっては宝物で。

サクラから貰ったブレスレットを見られると何かが減るような気がして、尚且つサクラがジロジロ見られているような錯覚に陥り、独占欲が胸の中に生まれて、相手は何も知らない子供なのに、隠してしまった。

だが、それを子供が気にした気配はなく、寧ろキラキラした瞳に嬉しそうに頬を紅潮させている。……何故だ。


「それがし、しっておるぞ!」

「何をかな?」

「おぬしの名もしっておるぞ!えっとーコ、コン…、コン……」


良い慣れてない横文字を思い出せないのか唸っている幼子に、俺は軍人としての身体に沁みている警戒心がむくりと頭をもたげた。





(何故、)
(俺の名前を知っている?)




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