16-5
「教えられない、で、済むとは思ってないだろうな」
思考に耽るおれは、マキシーンが取った行動に反応出来なくて、フリンさんの苦しそうな呼吸音に、我に返った。
「うっ、くっ」
「ケッ。相変わらず、悪趣味な奴だぜ」
「な…、何してるんだよっ!お前ッ!」
目の前で起こっている光景が信じられなくて、おれの口から出た声は震えていた。
視界の先では――…椅子に座っていた筈のフリンさんが、マキシーンに背中を預けていて。フリンさんの首にはピアノ線らしき細い糸が巻かれてあり、両端をマキシーンの両手が引っ張り上げていた。
マキシーンが手を引っ張れば、引っ張るほど、フリンさんの首にピアノ線が喰い込んでいく――…。
「さぁ、教えられないで済むとは思ってはいまい?」
彼女の執事が、「奥方様っ!」と、フリンさんを助けようとしてマキシーンの手を掴んだが、マキシーンの足で蹴られて、ベイカーは痛みに顔を歪めて床に転がった。
横暴なマキシーンに、カッと頭に血が上る。
「やめろッ!か弱い女性を苛めて、おまけに老人虐待かッ!お年寄りと米粒は大事にしろよ!!刈上げポニーテールッ!」
「かりポニ!かりポニっ!!」
ユーリと同じく頭にきていた村田が、ユーリに続いて声を荒げた。
小学生みたいな悪口に、しっかりと反応したマキシーンは、「貴様ッ」っと、凄い形相で振り向き、それでもフリンさんを離さないので、果敢にもタックルしようとしたら――…
「そこまでにしておけ、双黒の坊主」
今まで静観していたアーダルベルトに肩を掴まれて、ギクッと両肩が反応した。
「バレてたの?」
冷や汗を流しながら、背後を振り向く。――も、もしかしたら……おれ、ここで殺されるかもしれない…。
前に会った時も、剣を向けられたし、アーダルベルトは魔族を憎んでいるから。嫌な考えが当たりそうで、おれは引き攣った笑いをアーダルベルトに見せた。
「……もうお前の色になっているな……」
アーダルベルトは、おれの胸元で光る青い魔石のネックレスに目を留めて、複雑そうにソレに触れて、覗き込む。
「おれの?貰ったときから同じ色だったはずだけど」
「いや。……以前はもう少し、白が勝っていた。貰ったといったな、これを、どこで誰から手に入れたんだ?」
ギュンターとコンラッドには、アーダルベルトには近付くなと口を酸っぱく言われてる。
だから素直に情報を与えるのは如何なものなのかと思った。けれど、目の前で青く光る魔石を見つめるアーダルベルのブルーの瞳が悲し気に揺れていて、思わず答えてしまう。
「こっちに来るようになってからすぐに、お守りがわりだって……コンラッドがくれた」
「……なるほど」
「あっ、だからってコンラッドに八つ当たりすんなよ!?あっちも今……すげぇ大変なことに、なってるんだから……」
「ウェラー卿がどうかしたのか」
アーダルベルトにコンラッドの事を説明してたら、コンラッドの事を思い出して、口を閉じる。
コンラッドが無事なのかも判らず、今のおれにはそれを知る術はなくて、アーダルベルトに何も言えなかった。でも、きっと大丈夫。大丈夫、だって――…。
「だ、いじょうぶ……サクラだって……」
「!?おいッ!」
「な、なにっ?」
不安になった心を落ち着かせるように、ぶつぶつと唱えてたら、アーダルベルトが大きく反応したので、ユーリは狼狽えた。
アーダルベルトは、体が大きいから…いきなり大きな声を出されると驚くだろッ!!
「お前っ、今なんて言ったッ!?」
「ぇ、ちょっ!何すんだよっ、離せよッ!」
胸倉を掴まれて、顔を顰める。
ユーリとアーダルベルトが言い合いしている後ろでは、マキシーンが未だフリンの首を細い糸で捉えたままで。双方、緊迫した空気が流れていて――…話について行けない村田は、見守るしか出来なかった。
「今なんて言ったんだ!」
「ぇ…、えっと…サクラって……」
自分が何て言っていたのか、まさか口に出していたなんて知らなかったから、突然聞かれても、直ぐに答えられなかったんだ。
なのに、アーダルベルトは急かすように、掴んだ胸元を強く揺らす。お蔭で、呼吸が出来なくて、答えた時には、息も絶え絶えだった。
「サクラ!?おい、サクラって、ヒジカタ・サクラかッ!」
「そうだよ」
「サクラは、今眞魔国にいるのかッ!?」
――何でコイツはこんなにサクラの名前に取り乱してるんだ?
疑問を抱いたが、おれにはその質問には答えられそうにない。サクラが無事だったのか、今何処にいるのか、おれは知らないのだから。
「……サクラは、コンラッドと…」
「生きてたのか…」
茫然といった風に呟いたアーダルベルトは、「俺は、ジュリアと一緒に死んだものと……」と、誰に言うでもなくぼやいて、彼の表情から僅かだが嬉しさが滲み出ていた。
サクラは…十五歳のサクラには、二十年前の記憶なんて、当たり前だがある筈もなく。
だが、魔族達はサクラを見て、初対面ではない態度を取る。サクラがそれにたいして困惑しているのを何度も見て来たが……アーダルベルトも、二十年前のサクラと関わり合いがあったのだろうか?
サクラとジュリアさんは友達同士だったと、ヴォルフラムが言っていたから…ジュリアさんの婚約者だったアーダルベルトと少なからず接点があったのかも。
――いや…それにしても、この取り乱しようは……。
サクラとアーダルベルトは、ただならぬ仲なのでは――…と、下世話な勘繰りが働く。
「サクラは、おれと同じ歳で、同じ地球産まれだよ」
「………はぁ?何言ってんだ、お前」
「コンラッド達は、生まれ変わったって言ってるけど……。今のサクラは、アーダルベルトのことも知らないよ」
知り合いだから魔族であるサクラを、おれみたいに殺そうとしたりはしないだろうけど……コンラッド達が言う“サクラ”ではないから、アーダルベルトとサクラが会った時、アーダルベルトが憤慨しないように、おれはそう教えた。
アーダルベルトに教えることもなかったが、何故だか言わないといけないような気がしたのも事実で。おれの唇は自然とそう動いた。
動揺していたアーダルベルトは、一個一個情報を咀嚼するように仕切りに頷き、顎に手を当て、思案していた。
ユーリは気付かなかったけど、動揺していたのはアーダルベルトだけじゃなく、村田もまたサクラが危険に遭っているようなユーリの口ぶりに動揺し、思考に耽る。
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不意に、アーダルベルトの様子が険しくなったのを見て、おれは小首を傾げた。
「ここの奴等かッ!?」
アーダルベルトと同じくマキシーンも、ドタバタと荒い足音が、こちらに向かっているのに気付き、焦りの声を発した。
「いや、シマロンのヤツ等だろう」
いくらカロリアが小シマロンの属国だったとしても、今回の訪問は正式なものではないので、逃げるに越したことはなかった。
焦ったマキシーンにより解放されたフリンは、その場にへたへたと倒れるように座り込んだ。途端、側に村田が駆け寄る。
「また命拾いしたな坊主」
「行っちゃった」
去り際は潔いもんで、嵐のような二人だった。
さっきまで、シリアスな雰囲気がユーリとアーダルベルトの間に流れていたのに、そんなやり取りがまるでなかったようなアーダルベルトの科白に、ユーリは唖然と眼を丸くする。
彼等は、窓から逃げて行った。……ここ、二階なのに。
「渋谷、お前ずいぶん交友関係が広いんだなー」
「あー…」
アーダルベルトの意地悪そうな笑みを見て、何処かほっとしている自分がいた。
何でだろう?と答えを探す間もなく、マキシーンとアーダルベルトが逃げる原因となった足音が室内に現れ――…
「知らせを受けて来た。賊はそいつらか」
「!!っ、ぁっ」
音の発信源を見遣ったユーリは、息を呑んだ。
呼吸の仕方を忘れみたいに、心臓も肺も正常に動いてくれなくて、ユーリの口から苦しげな喘ぎ声が滑り落ちる。
「いえ、この方たちは客人です。賊めは先ほど窓から……」
目の前に立ちはだかる乱入者達を凝視して、その瞬間、腹の中から血液が沸騰するのを感じた。
(胸の奥底から――…)
(黒くて巨大な怒りの炎が燃え上がる)
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