14-8





矢に撃たれたギュンター、あの場に残ったロッテの二人のことが気になりながらも、雨を吸って重くなった足を動かして暗闇を走った。

酒場はあんなに人がおったのに、外は人っ子一人見当たらず、気配すらも感じぬ。敵の匂いも察知出来なくて、どしゃぶりのこの天気は敵に有利な状況だった。

暗闇をひたすら走って辿り着いたのは、小さな教会。


「……ここって教会なの?神様の像もお説教するお爺さんもいないよ」

「いいから」


教会の入り口――木材で作られた扉をコンラッドが開いてくれて、ユーリとグレタ、レタスの順に中に入ったのを見てサクラの背も押して中に入れた後、敵が侵入せぬように扉に木材で固定していた。


『……』

「綺麗な人。ヴォルフに似てる」

「え、だって誰も描かれてないぞ、グレタがあれがヴォルフに見えんのか?」


私は背後でコンラッドが扉に細工しているのを一瞥して、教会の中を見渡した。

隣でユーリとグレタが呑気に祭壇に飾られた絵画について会話していて。だがすぐに“彼”を思い出したのだろう、ユーリはコンラッドに向かって取り乱した。


「ごめん、どうしようコンラッド、ギュンターが撃たれた!絶対おれおせいだ、おれが勝手に避けたからだよッ!」

「落ち着いて。撃たれたんじゃない、銃はないんだから」

「でももしかしてっ……死……っ……」


ギュンターが矢に撃たれたなど信じたくなかった。安否をこの手で確認しておらぬから、まだ希望があるのだと己に言い聞かせて、矢が心臓に一直線だったのには深く考えぬようにして。

もし矢に毒が塗ってあったら?私があの場に残って玄武に頼んで薬を作れば、彼は助かったかもしれぬのに、置いて来てしまった。


『っ』


――ギュンター…。

私だって取り乱したかった、泣き叫びたかった。だが、自分よりも他者が取り乱していると不思議と自身の頭は落ち着いていく。

そうギュンターは助かるかもしれぬのだ。敵が私達を――…魔王陛下と漆黒の姫を探してここへやって来るのならば、一刻も早く敵を迎え撃ち、それからギュンターとロッテの元へと駆けつければ善い。まだ間に合う。

ロッテと剣を交えたことはないが、普段の身のこなしからオリーヴに劣らぬ剣の才の持ち主だと窺える。故に、ロッテは簡単に殺られたりはせぬだろう。

私は深呼吸しながら、そう思考して震える体を落ち着かせる。

私がしっかりせねば!でなければ、ロッテに何かあれば彼の上司――ブレッド卿オリーヴに顔向け出来ぬ。妹のクルミにも合わせる顔がない。


「息をしてください。大丈夫、死んではないし、あなたのせいでもない。俺もギュンターも国内にまで敵が侵入してるとは思わなかった。誰かが手引きしなければ、武器や馬は容易に持ち込めない。内通者がいる可能性を考えなかった。これはユーリではなく俺達のミスだ」

「でもっ……」

「ギュンターが射られたのも、あなたが避けたからじゃない。あの暗闇では唯一の明確な的だったからだ。それに、ユーリが傷ついてギュンターが無事だたら、今頃は彼は胸を突いて命を絶ってるよ。心配しなくても彼は死んでいない……仮死状態になってるけれど。でも、そのお蔭であそこに置き去りにしても、命を落とさずに済みます。わざわざ“死んでる”相手にとどめを刺すほど、敵も暇じゃないだろうからね」



――ロッテは大丈夫だ。私が信じなくてどうする。

ロッテに渡された袋の中から死覇装を取り出して、ユーリとコンラッドが会話を続けている間に素早く着替える。

コンラッドから渡された上着の中でごそごそしてブラジャーの上から死覇装を羽織ってエプロンと黒パンツを脱いだから、見られても問題ない。それに今は緊急事態だ、羞恥心はそこら辺に捨てよう。



「……嘘を言って、ないだろうな」

「言っていない」

「さっきからあんたは、何かを隠してる。おれに知られたくない大事なことがあって、必死で口を噤んでるんだろ!?」

「どうしてそんなこと」

「おれの仕事だからさっ」


着替えが終わってもまだ言い合っている二人を見遣ると、彼等は見つめ合っていた。

ツキンッと小さな痛みが心臓に突き刺さる。


「ホームベースの後ろにしゃがんだら、心を読むのがおれの仕事だからね。投手も、バックも全員の考えを読んで、判断を下すのがキャッチャーの仕事。味方だけじゃない、バッターもランナーも向こうのベンチの作戦も、敵味方全員の心を読んで、サインを出すのが捕手の仕事。おれはまだ未熟で半人前だから、全員の気持ちまでは判んないけど、一番近い人のことくらい少しは感じるよッ」

「……かなわないな」


ユーリはいつだか言っていた――名付け親の表情を見なくても彼がどんな表情をしているのか判ると。

それは、彼の魂の前の持ち主がジュリアさんだからなのか、目が見えなかった彼女の名残なのか――…定かではないが、現在進行中で目の前で行われているやり取りに、彼等の絆を見せつけられたようで、私はじわりと染みこむ黒い感情に目を瞑って小さく息を吐いた。

嫉妬している場合ではない。…嫉妬、そうこの感情は嫉妬だ。

真っ直ぐなユーリにふわりと頬を綻んだコンラッドの笑みなど、私は見ておらぬ。……見て、…おらぬ。


「サクラおねぇちゃん…なんで、なんで着替えたの?」


私が何かしようとしておるのを小さいながら感じ取ったのか、くりくりとした琥珀色の瞳に涙を浮かべて震える声を出した妹の姿に、苦笑した。

産まれてからずっと一緒だった結城と違って、短い時間しか共にしておらぬが、それでも私の性格を熟知しているレタスに、不謹慎ながらも嬉しいと思ってしまう。この子は立派な私の妹だ。


『やるべき事があるからな』

「サクラねぇは、地球に帰るんでしょう?なんで…」


レタスは、聡い。普段が無邪気だから、時々ひやりとすることがある。

安心させるように頭を撫でていた手を止めて、レタスを凝視した。真っ直ぐこちらを見据える琥珀色の瞳はどこまでも澄んでいて、私はやられたとまた苦笑した。こんな瞳のレタスに嘘は吐けぬ。


『私はな、レタスも眞魔国も守りたいのだ。…暫く眞魔国を離れるが、必ずレタスの許に戻って来るからな』

「やだ!行かないでっ」

『…すまぬ』

「あたしを独りにしないでっ!やっと出来た家族なのにっサクラねぇー…っ!サクラねぇ」


泣きじゃくるレタスを抱きかかえて、背中を撫でる。

サクラは気付かなかった。今レタスと会話している内容は、数分前に婚約者と交わした言葉とさほど変わらぬという事に――…。

レタスだけが気付いて、不安と失う恐怖に駆られて。何を言っても姉は意見を変えないだろうと嫌でも悟って、哀しくなった。サクラが大切なのは、レタスも同じなのに。


『必ず帰って来るから』

「やだっ怖い」


両親も失くして、失くすことに怯えるこの少女を独りにしてしまう事に胸がちくりと痛みを覚えた。

失う怖さは私も人一倍判っているから、レタスの怯えの感情を理解してしまう。


『必ずレタスの許に帰って来る。そうだ、ならば約束しよう』

「やくそく?」


訝しむレタスと目線を合わせて、彼女の小指と自身の小指を絡める。


『そ、約束だ』


約束する時の定番、指切りげんまんの歌を口ずさむ。


――指切拳万、嘘ついたら針千本呑ます。


『これはな、嘘を吐いたら握り拳で一万回殴って、針を千本飲ますって誓いの歌なのだ』

「っやあ怖い」

『ふっ、大丈夫だ。この場合は、約束を破った時私がレタスから殴られて、千本の針を飲むのだ。でも、私もさすがに痛い思いをしたくないからな、必ず戻って来る。そういう約束なのだ』

「!必ず?」

『ああ、必ず。約束を破った後が怖いからな』

「…わかった。待ってる…だから、早く帰って来てね。早く帰って来ないと、あたし怒っちゃうからっ!」

『ああ』


本当は行かないでと泣きじゃくって懇願したかった。

それでも姉は行ってしまうのだろうと――…レタスは幼いながらも肌で感じていた。嘘は吐かないサクラが約束の指切りをしてくれたから、レタスは彼女が帰って来るのを待つことを選んだ。

幼いレタスにはそれしか出来なくて。信じるしか出来ないのだ。もどかしいけれど、サクラの祖国の約束の風習を教えてくれて、帰って来ると誓ってくれたのだから、レタスは信じて待つことにしたのだ。

本音は、行かないで欲しかったけれど、カッコいいサクラもレタスは好きだから。





ガタッ





『ッ!』

「誰か来たっ!」


コンラッドが閉ざした扉がガタガタと大きな音を立てて、悲鳴を上げた。この教会の入り口は木で出来た扉だ、突破されるのも時間の問題だ。

ギュンターとロッテがこの場にいない今、魔王を守るのはコンラッドだけ。コンラッドは、分が悪い状況に、


「我が剣の帰すところ眞王の許にみ」


と、意味深に呟き祭壇の絵画に剣の鞘を預けた。

当然、それを見ていた私とユーリは眉間に皺を寄せた。それではまるで、死ぬのを覚悟しておるかのようで――…じわじわと己の身体全体に、大切な者を失う恐怖が広がっていく。


「よせよコンラッド、縁起が悪いよ!」

『コンラッド…貴様…』

「鞘は眞王陛下にお預けする。眞王の許しがあるまで戦い続けるということです。その代わり、陛下のご加護がありますようにってね。ようするに気合ですよ、気合」

『……無茶をするつもりではなかろうな!』


この状況で、コンラッドを残してますます地球へと帰れぬ。

コンラッドは私に無茶ばかりするなと口うるさいが、コンラッドだって自己犠牲ばかりする。心配で堪らぬ。ユーリの身の安全も重大だが、それ以上に私にとってコンラッドの身も大切で、危険に晒したくない。

コンラッドとてそう思っているとは露知らず。


「ええ、……って、サクラその格好」


サクラが死覇装に着替えているのに気付いて、コンラッドが顔を顰めた。

それは戦闘態勢を整えた姿であり、コンラッドは意義を唱えようと口を開こうとしたが、サクラは視線を逸らしてレタスとグレタに向かって微笑んだ。


『グレタ、レタス、二人とも、危ないから椅子の下に隠れておけ』

「危ないのはサクラだって同じ――…」

『ほら、こっちだ。おいで』


レタスとグレタは、コンラッドの言葉を遮って微笑むサクラとコンラッドを交互に見て戸惑った。が、鈍い音が入口から聞こえて、二人はサクラに従った。

もしかしたら死ぬかもしれないなんて状況は、当たり前だがこれが初めてで、レタスもグレタも体の震えが止まらなかった。


『大丈夫だ。怖いなら目を閉じておけ』







(皆が皆、失うことを恐れている)
(大切だと想う気持ちは同じなのに)
(すれ違ってばかりで――…)
(混ざり合ってはくれない)



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