14-6
コンラッドと見つめ合って、お互いがお互いを探り合う。
他者からみたら甘い光景でも、当事者である私達は、相手の真意を知ろうと、どうしたら彼がしようとしていることを止められるだろうかと考えを巡らせる。
コンラッドもまたサクラを見つめながら、最後に地球へと帰った日の朝の出来事を思い出していた。ずっと引っかかっていた、彼女は何を隠しているのか、と。その答えを今彼女に訊けば解決しそうな気がして、目が離せない。
「サクラ様…」
ぴりぴりした空気を纏って見つめ合う二人に、いや私にかけられた硬い声の持ち主に渋面のままそちらを見遣る。
ギュンターはグウェンダルのように眉間に皺を寄せていた。
「随分、“箱”にお詳しいですが……“漆黒の姫”としての記憶がお戻りになられたのですか?」
――漆黒の姫としての記憶?
ギュンターから尋ねられた内容に、私は眉を顰めた。それは、私に二十年前の記憶が戻って来たのかと問われたようにも聞こえるが…その質問はもっと深いものなのだろう。
一瞬だけコンラッドに目を向けて、ギュンターと同じように眉を寄せている彼の表情を見てそう一考する。
己は、二十年前の記憶とは別に何か思い出さなければならぬことがあるというのか。
『漆黒の姫としての記憶とは…二十年前の記憶とは違うのか?』
「はい、違います。その御様子だと思い出されたわけではないのですね……いえ、思い出されないのが悪いと申し上げているわけではなくて…、」
『なんだ、その記憶とやらは。“漆黒の姫”とやらは、“パンドラの箱”に関わっておるのか?』
煮え切らぬ様子のギュンターに、「はい」か「いいえ」しか、答えは認めぬと――私は眼を鋭くして彼を見据える。
「いえ、私も詳しくは知らないのです。古い文献にも、漆黒の姫君のことは一文くらいしか記載されていませんでしたから…」
『その文献とやらに、なんと書いてあったのだ?』
「――漆黒の姫に扱える“箱”が存在する。そう伝えられています」
私の問いはコンラッドから答えを頂き、私は低く唸った。
それって私が四つの箱のうちどれかの“鍵”になりうる存在だということで。問題が一つ増えた気分だ。
きっとギュンターは、漆黒の姫としての記憶とやらが私に戻って来たならばパンドラの箱が開かれると危ぶんでいるのだ。と、同時に…鍵である私の身を案じている。だから、この場でそれ以上何も言わず、口を噤んでおるのだろう。
だが、私は漆黒の姫とやらの記憶はないが、正しい方法で箱を開けたとしても、命の危険があると知っている。
箱を開けられる危険がある鍵を持っている私と、これからこちらの世界にいれば私は他国の人間に狙われるだろう。善くて生け捕りで、肉体のどの部分が鍵になりうるのか、己も知らぬゆえ悪くて拷問が待ち受けている。
『……』
「へぇーサクラって、すげぇなー!」
「流石、サクラねぇさま!!」
『う、うぬ…』
純粋無垢な二人のキラキラとした眼差しを受けて、苦笑した。全く嬉しくない。
ギュンターやコンラッドの申しておることが誠ならば、ますます眞王陛下に疑念が湧く。なんで、その話を己にしてくれなかったのか。
思えば、私は漆黒の姫とやらについて何も知らぬ。てっきり二十年前の“私”が、そう呼ばれていたから、今の私もそう呼べれておるのだと思っていたのに……どうやら違うらしい。この呼び名に意味があるのか。
「あ、でもそんな物騒な箱なんて開けなくてもいいから、ってそうだよ!サクラがいるならパンチラの箱がどうのこうのって、上手く話し合い出来るんじゃないか!?」
それなら他国との争いを回避できるっと、嬉しそう声を上げるユーリからそっと視線を逸らした。
彼に何と言葉をかけて善いのか判らぬかった。“箱”の存在が出て来た時点で、これはそんな話し合いで済む問題ではないのだ。世界の存続が関わるのだ。
人間との戦争ももちろん回避せねばならぬが、それは必須事項であり、それより重大なのは箱を回収して、二度と開けられぬようにすることで。その方法が見付からぬ状態では、やはりユーリには安全な地球へと避難してもらわねば。
まあユーリが初めて会った頃のギュンターやヴォルフラム、グウェンダルだったら、嬉々として人間を含めた人間の土地を滅ぼせると動いていただろう。いい意味で彼等はユーリによって変わった。
ユーリが戦争反対だと言う事を想定してそれに反対することなく、こうして訊けばちゃんと答えてくれる。当初では考えられぬくらいの変わりようだ。
「それは…、」
「無理ですよ。あの箱を前にしては、人間も我々魔族の力も歯が立たないんだ。交渉するにしても、変わりに提示するものがない、利のない話し合いを向こうが望むとは思えません」
『私も…そう思う』
言いにくそうに吃るギュンターを一瞥して、はっきりとそう言い切ったコンラッドに、私も相槌を打つ。
コンラッドのヤツいつも空気を読んで、悪役を買ってでるのだ、ユーリに罵られても厳しい言葉を放つコンラッドが見ていられなかった。コンラッドは大シマロンの知識も豊富で、世間の常識も持っており人一倍苦労しているからのその行動。
ユーリはぐっと唇を噛み締めていて、私は『とりあえず状況を見よう』と声をかけた。
王としての不甲斐なさを実感したユーリの心中も察して、私は焦燥感に駆られた。このままでは、本当にみんながバラバラになってしまいそうで――…誰かが欠けそうな予感がして、私は拳を強く握りしめる。
コンラッドとギュンターに促されて、安全だという場所へと向かおうとしたら、
「……ギュンター、こっちは異国人の足音が聞こえる。念のため裏口に回ろうか」
不意にコンラッドの纏う空気が鋭利なものに変わり、顔を上げればコンラッドの瞳は鋭く冷たい軍人のソレに早変わりしていて、私は自然と身構えた。
ギュンターもキリッと双眸を鋭利なものへと変化させた。
「では店主に厨房を通らせるよう言いましょう」
「頼むよ。さあ陛下、お疲れだとは思いますが」
「陛下って呼ぶな、名付け親のくせに」
「……そうでした。とにかく非常事態が治まるまで、あちらの世界で待ってほしい。眞王廟に巫女達が集まって、すぐにでも地球に戻れるよう準備しているから」
何かが起こると予感と不安で顔を歪めるユーリを安心させるように、彼の両肩に手を置きコンラッドは微笑みながらそう言った。
毎度おなじみの二人の間で行われるこのやり取りは、普段と何ら変わりないのだと示唆しているようで――…ユーリはホッと胸を撫で下ろす。コンラッドの様子が可笑しいと不安に苛まれていたけど、名付け親は普段通りだ。ちょっと、悪条件だったから長兄のように眉間から皺が取れないんだ。
コンラッドは、落ち着いた陛下から視線を逸らして、私に向かって
「サクラもですよ。地球で危険が過ぎるまで待っていて下さい」
と、いつもよりも厳しめの声音で念を押すみたいに言われたが、私は決して顔をヤツに向けぬかった。肯定の返事などしたくなくて。
危険が過ぎるまでとは、どの状況までなのだ。これは“箱”が関わっておるのだぞ。
一時帰宅ならば理解出来るが、コンラッドが言っているのを訊くと、彼等は“風の終わり”を人間から取り返して、国の混乱が治まるまで地球に帰れと言っておるのだろう。
“箱”の知識がないユーリは少し待てば、丸く治まると考えているのは容易に想像がつく。だが、私を騙そうたってそうはいかぬからな!
彼等が一臣下として王を守ろうとしているのは判る、だがそれに私を当てはめないでくれ。
コンラッドとギュンターに促されて、裏から逃走しているサクラの顔が、鬼気迫るものになっていて、レタスは震える声で、「サクラねぇ…」と義姉に掴まれていた手にぎゅうッと力を込めた。
レタスは何が起こっているのか間接的にしか知らされていないけど、ギュンター達が眞王廟からユーリとサクラが人間に呼び出されたと会話しているのを知り、無理を承知で連れて来て貰ったのだ。
まさか敵が魔族の土地まで来るとは思わなくて。
想像以上に深刻な状況に、レタスは不安で不安で仕方なかった。それはコンラッドに引っ張られているグレタも同じだろう。レタスもグレタも不安でいっぱいだった。
『大丈夫だ』
レタスが震えているのに気付いて、私は安心させるようにふわりと笑い掛けた。
慈愛のあるその微笑みに、普段と何ら変わらないその微笑みに、レタスはなんだか泣きたくなってしまった。
「っうん」
義姉は何も変わっていないのに、繋がった手を放してしまったら、ねぇさんは目の前からいなくなってしまう。そうレタスは漠然と感じていて。
私はレタスが戦争の影に怯えているのだと思い、妹だって守って見せると――…強く握られた手を、己よりも小さい手を握り返した。
「おれやサクラがいない間に、戦争始めたりしないだろうな!?」
「できる限り、避けるようにします」
「できる限りじゃなくて、絶対に!」
大人しく地球に帰ろうと従っているユーリに、私は少なからず驚く。
場合によっては戦争の影がチラついているのに、今回は首をつっこまないのか。ユーリはユーリなりに考えているというわけか。
「判りました。じゃあスパイ大作戦の方向で。ほら、グレタも遅れないように」
『っ!』
コンラッドがすかさず口にした“スパイ大作戦”のフレーズに私はピクリと反応した。
嫌だ、嫌だ、嫌だ。
コンラッドまで置いていかないでくれッ!傍から離れないでくれッ。
哀しみにサクラの顔が辛そうに歪んだことに気付いたのは、彼女と手を強く握りあっていたレタスだけ。
「あちらでもご自分の立場を考えて、自棄を起こさずに慎重に行動してください。何もかも片がついたら、必ずおよびしますから。でもそのときに俺が……」
彼がユーリにそう言葉をかけているのが――…かなり遠くに感じた。
――嗚呼…彼はもう覚悟してしまったんだ。
ユーリの戦争反対だって科白を訊いて、覚悟したんだ。仲間――魔族に白い眼で見られても、裏切り者だと罵られても――…目的を達成しようとしている。
「サクラ」
私はぎりッと下唇を噛んだ。
彼にはユーリの側で笑っていてほしいだけなのに。何も彼が傷つくことないのにっ。
「サクラ!」
『ッ』
裏口から外へと出れば、外は雨が降っていて。ああだからレタスから湿った匂いがしたのかと、そんなこと今考えている場合ではないのに、そう思った。
レタスから戸惑った気配を感じ取ったけど、外に出た瞬間に足を止めてしまった。
敵が迫っていて、早く逃げなければならぬのに、立ち止まってしまった。
このままではユーリやグレタ、レタスも危険に晒してしまうと、頭の何処かで冷静な己が諭しているのに――…恐れているコンラッドの姿が頭にチラついて現実を受け止めたくなくて。コンラッドが己の名を呼んでいたが、顔を上げたくなかった。
あの覚悟を決めた瞳を見たくなかった。銀を散らした星のような瞳が、覚悟に染まっているのを、見たくなどなくて。
だが肩を掴まれて意図せず顔を上げてしまった。
「サクラも、地球では慎重に行動して下さい。出来ればユーリと一緒に大人しくしていて」
『……、のか…?』
「ぇ?」
『大人しく待っておれば、また貴様に会えるのか?』
泣きそうなサクラを前にして、コンラッドは目を見開いた。
こちらに眼をむけさせるつもりで肩を掴んだ自分の手から力が抜けて。目の前にいるのがサクラじゃなかったら、平気で言葉巧みに安心させることが出来るのに。
コンラッドは、涙目のサクラに狼狽えた。口を開かせたけど、言葉は何も出て来なくて。それが返って彼女に不安を与えてしまうと判っているのに、サクラの漆黒の瞳に見つめられて言葉に詰まった。
――彼女は自分が何をしようとしているのか――…知っている?
直接訊きたくても、怖くて訊けない。これ以上知るのが怖い。肯定の返事が返ってきたら、もう二度と彼女が戻って来ない予感がしたのだ。
「っそれは…、サクラは安心して地球にいて下さい」
これまで、“箱”の存在について知識はあっても、魔族の間で話題に上がる事はなかった。伝説のようなもので、“箱”の話をするならばそれは眞魔国の始まりに直結する。
眞王陛下のことを学ぶ幼少期の頃に“箱”について勉強した。それを人間が手にしたと言う。
その事実が発覚してからというもの血盟城ではぴりぴりとした空気が充満しており、情報を得る度に、コンラッドは、最後に会話したサクラの様子を思い出し彼女が何か行動しようとしていたのは“箱”についてなのだろうか――…と、不安に苛まれて。
否定してほしくて、グウェンダルとギュンターと共にヨザックから齎される情報に、じわじわと追い詰められて。
サクラは“漆黒の姫”だ。
彼女が再びユーリと一緒に眞魔国に現れた当初は、二十年前の記憶もなくて、だから“漆黒の姫”とやらの使命など彼女にはないのだと安心していたというのに。
サクラはユーリみたいに役目などないと悩んでいたのは重々承知していたが、コンラッドもグウェンダルも“漆黒の姫”について彼女に詳しく教えなかった。それなのに…それなのにッ!
“漆黒の姫”としての使命を思い出したのか…そうなのだろうか、ぐるぐると不安になって、自分はどうしたら彼女を守れるのかどうしたら彼女を失わずに済むのか、最近はそればかりで頭がいっぱいで。
コンラッドは知らなかったのだ、サクラもまた自身と同じ不安を感じ覚悟を決めていたことを――…。
「何もかも終わったら、会えますから」
(嫌だ、と言いたかった)
(泣いて、縋って、懇願したかった)
(ねえ。私を独りにしないで)
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