14-5



ユーリの格好が寒そうだとコンラッドに告げたら、彼は近くにいた男性にお金を握らせてズボンを手に入れ「さあ、穿いて」と、ユーリに手渡した。


「なんだよ、いやに不機嫌だね」


渡されたユーリは、寒かったので海パンの上からズボンを穿いて、いつもと違う雰囲気の名付け親を見遣る。

サクラと話していた時は、その雰囲気も和らいでいたのに今また難しい顔をしていた。彼にしては珍しくどこかイライラしているような、そんな感じで。


「できるだけ早く、安全な場所へお連れしないと」


コンラッドの上着のお蔭で暖を取ったサクラは、レタスをぎゅーっと抱きしめていて。


『レタスー』

「きゃーサクラねぇ、くすぐったーい」


和やかな二人の様子に、コンラッドは一瞬だけ頬を緩めたけど、ユーリに目を戻してここから出ましょうと促した。


「なに、だってここはどうやら国内だろ?自分の国なのに安全じゃないってどういうことよ。あ、またなんか急を要する問題が持ち上がったんだな?それで大急ぎで喚び出されたってわけか」


ユーリとコンラッドの会話に…否、コンラッドから発せられている不穏な空気を敏感に感じ取って、私は眉をひそめてコンラッドをじっと見つめる。

くすくす笑うレタスを抱きしめる腕の力を強くして、なんだか取り返しのつかぬ事態へと発展しそうだと胸騒ぎがして、コンラッドから伝染した不安はどんどん膨れていく。


「サクラおねぇちゃん?」

『……』


腕の中のレタスから湿った匂いがした。


「いいえ、陛下……」


ずっと興奮気味だったギュンターは、真剣な顔をして切り出しにくそうに、陛下であるユーリに言葉を放つ。彼のスミレ色の髪がたらりと肩に垂れた。

普段が普段だけに、おちゃらけておらぬ王佐の姿に、どんどん不安が膨れて。


「実は……およびしておりません」

「はあ?」

「その……大変申し上げづらいことなのですが……いえもちろん、陛下やサクラ様が我が国いらしてくださればと、望まぬ日はないのですが……」


ギュンターの言葉を壁を隔てて遠くで訊いているような錯覚に陥る。

危険だからと早くここを出ようと促すコンラッドの様子と、ギュンターの様子に、ぐわんぐわんと頭の中で警報がなって。先を聞かなければならぬのに、訊きたくなかった。


「我々がおよびしたんじゃないんですよ」

『っ、そんな筈はッ!』


決定的な科白を苛々した様子のコンラッドの口から放たれて、私はひゅうッと喉を鳴らせた。

怪訝な眼差しがコンラッドから、戸惑っている視線がギュンターから己の顔に突き刺さっているのを感じたけれど、私はそれどころではなかった。口走った己の唇は止まってはくれず。


『だが眞王は――…』


取引相手に、私を選んだ。

箱を封印する為に、人間よりも魔族よりも早く動いていた眞王陛下は、私に動いて欲しいからあの時私の精神世界に乱入してきたのだ。

私はコンラッドの、剣士として失わせてはならぬ腕を守る為に、眞王陛下は箱を決して開けさせぬ為に、私達は利害が一致した筈で。

次に私が眞魔国へと訪れる際は、役目を果たす為に眞王陛下から何かしら接触がある筈で。


――その接触は、今ではないのか?今ではないのならばいつだというのだッ!

眞王にも巫女であるウルリーケにも呼ばれておらぬのなら――…知っている予備知識の忌まわしき出来事と符合して、サクラは顔面蒼白になった。血の気が引く。

こうなるのを止める為に、己は動いておったのではないかッ!


「…サクラねぇさま?」


途中で閉口した私にかけられたレタスの呼び声に、はっと我に返る。


『危険が迫って…おるのか?そのせいで私とユーリは呼び出されたのか?』


否定してほしくて、乾いた唇を動かせば、視線の先でギュンターがためらいながらも首を縦に振った。

ユーリがすかさず結果的に来て良かったのではと呟いて、コンラッドは思案顔のサクラの一挙一動を見逃さぬよう注視していたが、ユーリに否定の言葉を吐いた。


「いや、むしろ我々魔族としては、事が収束するまで安全な場所に留まってほしかったんです。少なくともご両親の許ならば、危険はほとんど及ばないでしょう」

「それはおれに、来るなってこと?」

「ええ、出来ればサクラにもね」

『……』

「今はね。とても危うい状態なので」


危ういならば尚更、私は眞魔国に居座りたい。

ユーリは王だから守るべき存在だから、地球に帰って欲しいけど、私は彼等に守られる存在じゃないと思う。漆黒の姫が何だというのだ。剣を扱えるのならば、こんな緊急事態にこそ発揮すべきなのだ。

あまり人間の血は流したくないけど。それでも、私はコンラッドの傍から離れたくはなかった。懸念事があるから余計に。

だからコンラッドから寄越される視線と交差しないように俯いた。素直に頷きたくないのだ。嫌だと言っても、反論されそうだと容易に考えがつくので、せめてもの反抗に視線をアルコールを吸った床に落としたのである。


「人間ども……いえ、人間達の国でまたしても不穏な動きがあったのです。間者からの情報によれば……恐ろしい、非常に恐ろしい凶器に手をつけたとのことで……」

『……』


未だ婚約者から突き刺さる視線に気付かぬふりをして、ギュンターの説明に耳を澄ませる。

眉間に皺を寄せた私の不安が伝わったのか、抱きしめていたレタスは己から少しだけ距離を開けて、不安そうに私とコンラッドを見ていた。


「とにかく、おぞましい物なのです。その箱を開ければ、遠い昔に封じられたありとあらゆる厄災が飛び出し、この世に裏切りと死と絶望をもたらすという」

「ああそれ、パンチラの箱だろっ?」

「パンチラ?」

『レタス、パンドラの箱だ。決して開けてはならぬ箱のことをパンドラの箱と言う』


へぇっと頷いたレタスを見て、不安に押しつぶされそうだった気持ちがふわりと軽くなった。

まだ不安だけど、私にはやらねばならぬ事がある。悩んでおる暇はないのだ。何としてもコンラッドに地球に帰される前に眞王陛下と接触を図らなければ。これは眞王の裏切りではない事を祈って――…。


「なるほど、見えそうで見えなくて、いかがわしい」

『…その発想が如何わしいぞ』


くすりとユーリに笑ったコンラッドに、私はぼそりと呟いた。

呟きが聞こえたギュンターと視線がかち合って、ユーリとコンラッドのやり取りに、重苦しい空気は一気に軽くなって、レタスと共にギュンターも微笑んだ。


「似てはいますが、もっとたちの悪い物です。パンドラの箱には希望という名の救いがあるけれど、あれには何の希望もない。一度蓋を開けたが最後、誰にも止めることはできません」

『パンドラの箱…ね…』


きょとんと首を傾げるレタスの空色頭を強く撫でて、続く説明に溜息を吐いた。

もうあの“箱”の存在が見付かって、その脅威を知っている魔族側が何とかしようと動いておるのか。あれが開けられれば戦争どころではない、世界を揺るがすものだ。


「この世には消して触れてはならないものが四つある。人間達、しかも強大国のシマロンは、その内の一つを手に入れたんです。箱の名前は“風の終わり”。彼等の元に預けておけば、いつかは蓋を開けてしまう」

「そんな最悪なもんなのに?」

「最悪なものだからこそ、それを利用しようとするんだ。自分達ならうまく操れると信じてる。けれど、それは過信だ」

「もしその箱が開けられたらどうなんの?」

「世界が終わるとされています。だからパンドラの箱なのです、絶対に開けてはならない」

『“風の終わり”を大シマロンが手に入れたとして――…』


ユーリとコンラッドの目が集まるのを感じて、コンラッドを真っ直ぐ見据える。

不安で揺れていたコンラッドの瞳は、今暗い影がチラついていて。その眼は、結城や、コンラッドとの約束を破ってまで二人を置いて役目を果たそうと罪悪感を感じていた私のようだった。だからこそコンラッドが何を考えているのか判ってしまった。

悩んでいる今ならばまだ間に合う。

ユーリの側から離れないで、眞魔国から出ていかないで。キミがそんな決断を下すにはまだ早いのだから、私に任してほしい。


『そう簡単に開けられぬであろう?そのような厳重の箱ならば、鍵が必要だ。“鍵”それは魔族が持っている、そうだろう?』


疑問形だが語尾を上げずにコンラッドとギュンターに問いかければ、二人は息を呑んでいた。……図星らしい。そこまでは彼等も知っておったのか。


『正しい鍵で、正しい開け方をしないと、箱の中身は暴走してしまう』

「なら鍵を探して壊してしまえば――…」


ぱあッと顔を輝かせたユーリの言葉を遮って、否定する。


『鍵は壊せぬ。それに正しい鍵を使ったとしても……いや、なんでもない』


鍵の持ち主は、箱の中身に取り込まれてしまうのだ。そのような事、コンラッドがいる前で詳しく言えぬ。

ユーリはきっと“鍵”と訊いて、銀の――日本人ならば必ず持っている家の鍵のような手の平サイズのものを脳裏に思い浮かべたのだろう。四つのパンドラの箱の鍵は生きている魔族の体の一部だ……確か。


――いやちょっと待て。

コンラッドの左腕は、“風の終わり”の鍵ではなかったはずだ。鍵は眞王陛下と共に眞魔国を作った魔族の血族しか扱えぬはずで。なら何故、コンラッドの腕をシマロンの人間は欲しがったのだろう?

詳しく事情を知らぬかったのだろうけど……私もそこらへんの記憶が曖昧で、ただコンラッドに傷ついて欲しくなくて、眞王陛下に頷いたけれど。


「サクラ様…、」


彼の左腕を巡って争いが起こっていたことしか思い出せぬ。

古い記憶だから、はっきりと思い出せなくて当たり前なのかもしれぬが、私はそこらへんまでしか小説を読んでおらぬので、アニメも途中までしか見ておらぬ、だから曖昧にしか思い出せなくて酷くもどかしい。

尺魂界より一つ前の現代で生きていた頃の記憶だから、辿ってもこれ以上詳しく思い出せぬ。

ふとそこまで思案して、コンラッドは“風の終わり”の箱の鍵が何なのか知っていて、だからこそユーリを始めとした眞魔国を裏切る形で大シマロンへと姿を消したのだと思い出す。この世界からすれば未来の出来事。

私は、それからコンラッドが再び眞魔国の土地を踏みしめるのかどうかまでは知らぬが。


『(ぬ、ちょっと待て。それならコンラッドは…)』


――私が止めたかったことをしようとしておるのか?

はッと表情を変えてコンラッドを見遣れば、思いつめた彼の双眸とかち合って、私は言い知れぬ悲しみに襲われた。

嗚呼、彼はやはり知っているのだ。箱も、鍵も。全てを知っている上で、眞魔国の為に仲間から白い眼を貰ったとしても、二度とこの地へ戻れぬかったとしても、私が恐れていた行動を起こそうとしている――…と、悟ってしまった。

私の事が好きだといいながら、彼は私を置いて行こうとしている。

それはたった今まで私がしようとしていた事となんら変わらぬ、けれど、私は他ならぬコンラッドに、置いていかれることが嫌だと思った。嫌だ、絶対に嫌だと心が叫んでる。

私の事が好きだと言ったくせに、と思ってしまう。



彼は守るつもりで、自分を犠牲にしようとしているけれど。それが彼の誇りなのかもしれぬけれど。

私は嫌だ。守らなくていいから、傍にいて欲しい。

眞魔国を守る役目は私が果たすから、何も心配しなくていいから、ただ傍にいて欲しい。

どうしてそう思ってしまうかなんて。何でこんなに哀しくて堪らないのかなんて――…。考えなくても、もう判っている。この気持ちの名前なんて。







(それでも私は気付かぬふりをする)
(それが最善だと言い聞かせて)



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