11-4
屋台には、ラーメンの屋台みたいにテーブルとイスだけで、店員も店主一人しかおらぬかった。
「女の子に上着を貸してあげるなんざ、にーさん、男だねい」
「ねい、って。まあ男なんですけどね……」
『グレタ、座れるか?』
「うん」
グレタにとっては少し高めのイスに、座れるかな〜と声を掛けたが、大丈夫そうだな。
寒い季節に嬉しい、湯気が立つほど温かい食べ物がどんびりで、目の前に出された。ヒノモコウとやらの食べ物を初めて目にする私と、ユーリは思わず身を乗り出して、中身を見た。
「……シーフードスープスパゲティ?」
『……スープスパ』
ラーメンに似ておると言えば…似ておるが…出汁に、ゆでたスパゲティを入れて、ゆで卵とエビをただ乗せましたってような料理だった。
どんな味なのだろう。地球の食べ物とは違うので、味も想像と違うだろう。興味がそそられた。
「いやヒノモコウ。ゾラシアの宮廷料理なんだよねい」
「宮廷料理なんだ!? けど、ねい、って……」
まずは子供のグレタから食べさせるべく、出されたどんぶりをグレタの前にやり――…きょとんとしたグレタに、先に食べなと促した。
やはり子供って善いな。
――ぬ…?
『イズラ、座らぬのか?』
「そうだよ、座んなよイズラ、ここはおごり。助けてもらったお礼ってことで」
「でも」
渋るイズラと、もうすでに座っておるサクラとユーリ、そしてズルズルと麺を啜り始めたグレタを順に見て――…屋台のおじさんは、頭にあるハチマキを触りながら、鼻を啜った。
「いいねい、お客が娼婦にあったかいものをご馳走する光景。泣かせるねい」
「娼婦!?」
『……(まだ気づいていなかったのか)』
すっとんきょうな声を上げたユーリに、私は溜息を吐いた。横では、グレタが美味しそうにヒノモコウを啜っている。
「援交で小遣い稼ぎしてたんじゃなかったのか。娼婦ってつまりあれだよなあ、本職、本職っつーか、プロ!? プロの……えーと、風俗?風俗の人?」
『ユーリ…』
「風俗で……でもって売春、とかだよな……こんな若いのに!? まだ十代だろ、十代しかも前半だろ、四捨五入しても二十歳になんねーだろ!? なのに風俗だの売春だのなんて絶対駄目だって! えーとだな、未成年の性産業への従業は、コクサイキカンでもモンダイに……」
『ユーリッ!!』
混乱しているユーリに、立ち上がって鋭くユーリの名を呼んだが、暴走気味のユーリには届かぬくて、ユーリはさらにヒートアップする。
あわわッとイズラを見たら――…イズラは、口を引き締めてユーリの言葉に耐えていた。
「とにかく今すぐそんな仕事辞めろよ。雇い主にも問題が……ああくそッ!」
『ユーリッ!!!!』
「何てこと考えてるんだ、畜生ッ! 自分で自分が情けないよっ! とにかくイズラ、売春なんか続けちゃ駄目だ。もう店には戻んないほうがいいよ。泊まる所がないなら……あ」
耐えられなくなったイズラは、とうとう椅子に座ることなく、ユーリの上着を持ったまま走り去った。
『!!……ユーリッ!!イズラは家族の為に出稼ぎに来ていたと言っておっただろう!!…――イズラだって、したくてあの仕事をしてるわけではないかもしれぬだろうっ、それなのに…倫理道徳を説いたって……。 彼女にとっては辛い事だっただろうッ!!貴様っ…貴様は何も知らぬのに、解ったような口を訊くなッ!!!』
彼女の辛そうな背中と、堪えていた彼女の表情が頭にこびりついていて――…私は、気づけばユーリに大声を上げていた。
――さきほども…昼間にだって、私はユーリに忠告したはずだ!!なのに…。
滅多に怒る事のないサクラの声に、ユーリは目を白黒させたが――…サクラに言われた事を、思い出して、反省した。
「……ああ、おれって…」
『貴様は…めぐまれた環境にいるんだって事を頭に入れておけ。…――ユーリは…真っ直ぐな所が長所だが…、何も知らぬ上での発言は時として罪だぞ』
「…うん」
『……すまぬ、頭がカッとなって怒鳴ってしまった』
「いや、おれも…イズラのことなにも知らないのに…傷つけてしまった」
ユーリは思った…――彼女の事を親身に訊かなければならなかったんだ。
サクラは思った…――魔王として、こんな出会いも立派な王になる必然的な出会いなのだろうと。
そして感情のまま大声を出してしまった事を反省する。
「あーあ。おれってサイテーだ。口ではあんなこと言っておきながら、頭ん中じゃとんでもないエロ妄想を……」
「にーさん、そんなに落ち込みなさんなって」
『お、すまぬ。頂く』
ユーリにそう言いながら、どんぶりを二つ出して来た。ヒノモコウだ。
湯気から匂いも漂ってきて、食欲が湧く。塩ラーメンのような匂いだ。
「あんたたちいい人だいねい、感心したよ。せめてこの家宝の器でヒノモコウでも啜って、気分良くなって帰んなよ」
「家宝?」
『この、どんぶりが?』
――家宝?
琥珀色のスープが入ったどんぶりは、ラーメンを食す時に使う変哲もないどんぶりだ。
「澄み切ったつゆの上に、お客さんの未来が見えるかもだ」
「未来?まっさかぁ」
その家宝とやらは、ユーリの目の前にだされたどんぶりであるらしい。
どんぶりから、未来が見えたとしても驚かぬよ…。こちらの世界に飛ばされてから、驚く事ばかりであるから。
そんな事を思考しながら、ヒノモコウを、恐る恐る啜る。
『……美味しい!』
「そうかい、そうかい、ありがとな」
口に広がったのは、昆布のような出汁に、はるさめのような麺の味で、するする食べれる。女性が好みそうな、さっぱりしたお味である。
感動の声を上げたサクラに、店主は豪快に笑った。
「うわ」
『……うぬ?』
もうすぐ食べ終えるころ――…ユーリが隣で何やら驚いたので、そちらに目を向ける。
…――何か見えたのだろうか?
真剣にどんぶりの底を見つめるユーリのやや後ろから、ユーリの持つどんぶりを覗いているグレタも、視界に入った。
『(いつの間に、そこに…)』
「お前かよー」
『……グレタがスープに映っておっただけか』
なんだ…少しがっかりした。――うぬ?そう言えば…。
不意に、あれっと何かを思い出そうとした瞬間――…突然、脳裏に魔鏡に吸い込まれるユーリを思い浮かべてしまった。この眼で見たように鮮明に…。
『(魔鏡…)』
魔鏡、魔鏡…。昼間見た、職人が造った魔鏡ではなく…私は、魔族の魔鏡を知っている?
『(いやいや、見た事などないし)』
サクラは頭を振りかぶったが、魔鏡をここで考え始めた自分に、一つの可能性に辿り着いた。…まさか。
「そりゃーそうだよな…未来なんて判るわけないよなー」
むしろ判ってたまるかッ!と、堂々と顔に書いたユーリは、お金をポケットから取り出して、テーブルに置いた。
ユーリはいつの間にお金の単位を覚えたのだろうか。私も、そろそろ勉強しなければ。
「さ、行こうか」
『あ、ユーリ、先にグレタと行ってくれ。私は少し用が出来た』
「…えっ、えぇぇ!!?」
『すぐに追いつくから、早く行けッ』
立ち上がったユーリの背中を文字通り押して、屋台から追い出す。その際、グレタの頭を撫でて、『すぐに追いつくからな』と、一言かけた。
しぶしぶ屋台を後にしたユーリと、ユーリに手を繋がれたグレタの背を眺め――…それから、店主に目を向けた。
「なにか用かい?」
『うぬ。その家宝のことについてだが…』
――もしや、魔鏡なのか?
その疑問を音にする事が出来ずに、口を噤んだ。この店主は、家宝だと大切にしておるのだし…譲ってくれとも言えぬ。それに、これを魔鏡だと知っておる可能性も低い。
『……いや、なんでもない。邪魔したな』
「待つんだねい、ねーさん…これが何なのか知っているのかね」
『…いや、その器が魔鏡なのか尋ねたかっただけだ』
「……」
ひゅるりと冷たい風が屋台に流れ込む。
体格のいい刈上げの店主は、サクラの顔を見定めるかのように見据え――…僅かに目を見開いた。
「君は…」
『うぬ?』
「……持って行け」
『……ぇ』
「持ってっていい。譲ってやるよ」
『――!!だが…それは家宝であろう?』
「そうだけどねい、この価値を判ってくれる人に渡したいんだ」
洗うから待ってろと言われ、私は唖然とした。譲ってくれと申すつもりであったが…もう少し時間をかけて、話し合うと予想しておったのに。
すんなり承諾されてあっけなく思ってしまった。
「はい、大事にしてくれよ」
『うぬ、ありがとうな』
困惑しながらも、綺麗に洗われたどんぶり――魔鏡を手に取り、店主に何度も頭を下げて、屋台を後にする。
「……いや…こっちこそありがとうねい」
冷たい風に乗っかって、店主の声が聴こえたような気がして、後ろを振り行向いたが――…もう店主はこちらを見てはおらぬかった。
あの店主は、何故すんなりこのどんぶりを渡してくれたのだろうか。家宝と言っておったのに。
右手にある魔鏡を眺めて、店主の事を考えたが…答えは出ぬかった。
『まぁ善いか。魔鏡も手に入ったし』
――はて。
私は…何かを忘れておらぬか…?サクラは立ち止まったまま小首を傾げた。
『って…ここは何処なのだ…』
そう言えば、男達に追われてここに逃れて来たのだった。――あ…。
『ユーリと、グレタを追わなければッ!!』
忘れていたのは、我らが魔王とご落胤であった。
魔鏡を右手に――…私は二人の気配を探る。ユーリは魔力をその身を宿しておるから辿りやすい。
(うぬ?)
(この気配は…)
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