16


「サクラッ」


倉庫から出て――久しぶりだと感じてしまう陽の光に目を細めて、己の名を呼びながら走って来ているユーリを見た。

ユーリの背後からはコンラッド、グウェンダル、ヴォルフラム、オリーヴの順に駆けつけて来ていて――私は四日ぶりにみるコンラッドの姿に…景色が色づくのを感じた。

ゲスのせいで感じていた負の気持ちが、一瞬で消し飛ばされるような感覚。

私の側では、朱雀と青龍が、震える子供達の相手をしていて、ヨザックはゲス共が逃げぬように見張っていた。


「サクラ!」

「サクラ様ッ」


ユーリとヴォルフラムとオリーヴが、いの一番に私に近づいて…声をかけてくれたけど……私の意識は同じく近寄って来ていたコンラッドにしかなくて。




「サクラっ」


いつもなら、爽やかに笑みを浮かべるコンラッドなのに、焦った様に走っていて。

私の姿を見て心底ホッとしている姿を見て――…



『(そんな…必死に探してくれておったのか…)』



___胸がポカポカになった。


同時に、ゲスにされた事を思いだして、再び嫌悪感とコンラッドの姿に目頭がジワリと熱くなった。

コンラッドを見て、ピンっと張りつめていた何かが切れそうになる。


私は、衝動のままに―――……





ドンッ





タックルして、コンラッドに抱き着いた。


「――っ!?」

『……』


腰の上辺りを両手で回してギュ〜と力を込める。

久しぶりに感じる婚約者の体温に包まれて、肌に感じる軍服の固い感触に、酷く安心した。


「……サクラ?」


上から困惑気なコンラッドの声。


「サクラ?」

「サクラ様……」


ユーリとオリーヴの困惑した声も聞こえるけど……せっかく駆けつけて来てくれたのだろうが…――…すまぬ…答える余裕がないのだ。

顔を見られたくなくて、コンラッドの軍服に顔を埋めたまま――抱き着いた腕に力を入れた。

いつも余裕なコンラッドが焦っているのが、空気の震動でサクラに伝わる。

そんなコンラッドの様子にふっと笑みを零し―――…私は、泣きたくないのにポロリと目から雫が零れた。


「――!」






一方、コンラッドは…一瞬、何が起こったのか判らなかった。

サクラの姿を四日ぶり見て安心した途端――体に衝撃を受けたのだ。下を見たらサクラが自分にしがみ付いていて、こんな事自分からする方じゃないのに。しかも人前で。

そう思ったのはコンラッドだけじゃなく、オリーヴやユーリもサクラの行動にオロオロしていた。

グウェンダルは、サクラの様子を見て、眉間の皺を増やしながら理由を知っていそうなヨザックを睨みつけている。


コンラッドは、どうしたのかサクラに訊こうとしたのだが――…口を開く前にギュ〜ッと、自分の腰に回された彼女の細い腕に力が籠った。

それはまれで、離れたくないと言われてるようで――…。 不謹慎にもコンラッドは頬が緩みそうになった。

だけど、それは束の間で。下から鼻を啜る音が耳朶に届いて、コンラッドは目を見開いた。

彼女は人前で泣くような事は善しとはしない性格だ。


サクラが泣いているって事は……近くにいた、自分しか気づいていないみたいだが――…然し…彼女は何故泣いているんだろう?

…――誘拐されて、悲しむような軟な人でないし…さっきまで憤慨して魔力を漂わせたわけだから、何かを悲しんでいる訳ではないだろう。

コンラッドは、少し前まで一緒にいたヨザックに目をやった。

上司である兄に報告中であったヨザックも、サクラが気になっていたのか、ちょうど視線がかち合う。

目が合ったヨザックは、サクラを心配そうに見たのち、左首を指差してジェスチャーした。

それに促されてサクラの首筋を見たら――……紅い鬱血跡が目に留まった。



「(これは…)」



もう一回ヨザックを鋭く見て、伸された男四人に向かって殺気が漏れそうになった。

自分の腰にサクラがしがみ付いていなかったら……あの四人を剣の錆にしていた事だろう。…否、そんな事は城に戻れば思う存分出来る。


――今は…サクラの様子が先決。


強い彼女がこんな跡をつけられたと言う事は…何か理由があったんだろうけど、――…怖かっただろう。

コンラッドは、自分にしがみ付いて僅かに震えているサクラの背中に、両手を回して――ポンポンッと優しくあやす。


『…――ッ』


グリグリお腹にこすり付けるサクラの頭も、ポンッと撫でる。


こんな時は空気が読める、オリーヴとヴォルフラムの二人は、ユーリに声をかけて、グウェンダルとヨザックと、誘拐されたのだろう子供達と気絶した男達を朱雀と青龍が引き連れて、ここから姿を消してくれた。

問題は解決されてないだろうから…皆で、村長の所に行くのだろうし、ユーリも疲れていた為、今夜は宿をとるだろうから――…後で、簡単に合流できるだろう。

去っていく連れ達を横目に、コンラッドはサクラを優しく抱きしめた。

あのサクラが、自分に助けを求めている――その事実だけで、コンラッドの心は歓喜した。





夕暮れに近づく時間帯。

暑さも和らぎ、やや生ぬるい風が二人の肌を撫でた。

私は、ただただコンラッドの体温を感じて――…時は止まったような錯覚を覚える。コンラッドだけを感じて、周りの音も何も聞こえなくて。

ユーリ達が去った事にも気づかなかった。

土の匂いが染み付いたカーキ色の軍服に、またポンポンっと優しく背中を、リズム善く叩いてくれておるコンラッドの手に――、穏やかに心が溶け込む。


『……ぐ、ずッ』


彼を見て、体温を感じて――…安心して涙が止まらないのだが…。

ゲスに対しての嫌悪感や屈辱さが、コンラッドによって洗われてゆく。

涙は止まらぬ……人前で涙など見せたくはないのだが……だが然し、こうしてコンラッドの腕の中に――いつまでもいたいと思った。


「サクラ」

『……ぅ、ずッ』


――ボロボロ涙を流しすぎたか…?

暫く背中をあやしてくれたコンラッドに、優し気な声音で己の名を呼ばれたけれど――己から出たのは声でなく、鼻を啜る音であった。


『……』


恥ずかしい。これでは…泣いておる事が一目瞭然ではないかッ! せっかくバレぬよう顔を軍服に埋めておると言うのにッ!

サクラはコンラッドの腕の中で、頬が朱く染まった。


「サクラ」

『――!?』


もう一度、名を呼ばれたと思ったら――…首筋にコンラッドの顔が当たった。


――なぬッ!?

と、驚いて、左側に目を向けたら、視界いっぱいにコンラッドのブラウンの柔らかな髪が映る。

少々くすぐったい。


『…コンラッド?』


くすぐったくて笑い出せば、首筋にチクッと痛みが走った。


『……』


覚えのある痛み。

脳裏にあの出来事が浮かんだ瞬間、ゲスの行動を辿るように――…次に感じたのは、ぬるっとした温かいモノ。


『〜〜っ!!』


――舐められたッ!?舐められたー!


「……嫌でしたか?」

『…ぇ?』

「俺に、されて嫌でしたか?」


未だ抱き着いたままの私に、コンラッドはここと左首筋をトントンと叩いて、近距離で見つめてくる。

あまりの近さに頬の朱みが濃くなる。


『……嫌…ではなかった…』


あの男にされた時は嫌悪感で、背筋がゾワッとしたのに。

コンラッドに同じ事をされても不思議と嫌悪感は感じなくて、言われて気づいて――…サクラは不思議に思って小首を傾げた。


「そうですか、それは良かった」

『…うぬ?』


コンラッドは私の顔を覗いて、ふわりと笑った。


「無事、消毒が出来たってことです」

『消毒??』

「ええ、消毒です。ここ…跡が残っていても、俺が今付けた跡なので安心して下さい」

『…ぇ、跡?』


跡、消毒。

コンラッドが言った言葉を反芻して、理解する。あの時、あの男は…跡をつけておったのか……嗚呼…だから、チクリと痛みを感じたのか。

コンラッドに跡を付けられたと教えられても、嫌だとは思わなかった。寧ろ…あの男がしたあの行為を、コンラッドが打ち消してくれて安堵した。

私が流した涙を拭いながら、コンラッドは私の頬を撫でておる。――その手の温度にも、酷く心が安堵した。


『……コンラッド…』

「はい」

『――ありがと、な…。その…あやつに付けられたとなると嫌で堪らぬのだが…コンラッドだったら…その、安心だ!』

「っ」


コンラッドの星が散らばったようなキラキラした瞳を見て、涙を拭ってくれておる彼の手を上から包んで――私もふわりと笑みを浮かべた。


「そっそれは…」

『うぬ?』


一瞬息を呑んだコンラッドは――…あ〜っと深く息を吐き出して、再びサクラの首筋に顔を埋めた。


『コ、コンラッド??』

「…計算じゃない所が…また……。サクラは俺を殺す気ですか…」

『なっ、何を言っておるのだ…?貴様を殺す訳ないであろう!莫迦な事を申すな』

「はぁ〜」

『ちょ、コンラッド!くすぐったいわッ、やめい!』


近距離で手を握られてからのサクラの微笑みに、悶絶したコンラッドだったが――…サクラの白い首筋に残った紅い鬱血跡に、ほくそ笑んだ。

サクラは自分のモノだ。ここに跡を付けたヤツがいるなんて許せない、許せないが…結果的に、白いその首筋に自分の“跡”を刻む事が出来て、満足だ。


ほくそ笑むコンラッドのサラサラした髪に、私は声を上げて笑う。

そして――…すこし屈んで私の首筋に顔を埋めておるコンラッドの背に両手を回して、ぎゅ〜っと腕に力を込めた。

深呼吸しながらコンラッドの体温を感じて――……トクン、トクンと心音を聴いた。







「サクラおねぇちゃんは、その婚約者さんのことが、とっても好きなのね!」





コンラッドに包まれて――耳に色濃く残ったレタスの言葉を思い出した。






(前へ進む事は拒んでいるが…)
(コンラッドの傍は心地よい)
(この感情は――…)


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