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人が心から恋をするのはただ一度だけである。それが初恋だ

 何かを間違ったというのなら、多分はじめから何もかも間違っていたのだ。


「やあ元気そうだね、エルザ」
「おかげさまで雲雀サン。肌の調子もぴっかぴか」
「色々塗りたくってるくせに面白い事言うね」
「何言ってんのかエルザ、ゼンゼンわかんない」
「……今日はふざけるつもりは無いってかい?」

 ぴたり。雲雀が足を止めた。
 エルザは微かに笑う。それから、同じく足を止めた。
 そのまま、両者は銃をかまえる。鏡合わせのように。

 煙と砂と鉄の匂いと、撒かれた血痕とどろっとした体液。2人の間を埋める物。
 新鮮な血があれほど毒々しい赤色をしているのはなぜなのだろう。ふと、そんなことを思う。

「よそ事かい?この状況で余裕だね」
「そりゃあまあ、麗しき乙女がこんな戦場にいたら色々考えちゃうってモンでしょ」
「麗しき?どこにそんな要素があるって?」
「あらまあ失礼。私がここに足を踏み入れた瞬間、部屋全体が輝くほどには」
「君が投げ込んだ閃光弾でね。実に物理的だ」

 交わす軽口は途切れない。面白いほどにいつも通りだ。
 心臓は早鐘を打っている。これもやっぱりいつも通りで、けれど今日はいつもに増して痛い。

「君と情報交換もお終いか。残念だね、有能な情報源が減る」
「有能な性欲処理機もね。これからストレスフルじゃない?」
 軽く投げたつもりだった。だが、雲雀は目を細めた。どこか苦々しげにも見える顔で。


「僕は君の事を、そんなふうに思ったことは一度も無い」


 砂っぽい煙が漂っていく。唇をこじ開けた。
「……面白い冗談を。笑えるね」
「予想外だったかい?」
「何が?恭弥の銃がグロックの18じゃなくて17だったことが?」
「僕の言葉が」

 見つめ合う。
 銃口は確実に互いを捉えていた。愛を語るにはあんまりだ。

「いつか言ったの覚えてる?『遺言は死ぬ前に言うから遺言って言うんだよ』ってヤツ」
「覚えてる。何が言いたいかは結局よくわからなかったな」
「カンタンだよ。つまり『頭痛が痛い』並みに言葉の意味が重複してる」
「それだけのこと?」
「母国語への愛は大切ですよ。言葉の真の意味を惜しんではいけません」
「なんだ。遺言でも言わせてくれるのかと思ったのに」

 雲雀の目は揺らぎもしない。
 嫌味なヤツ、とイルは口角を上げた。バカバカしすぎて反吐が出る。

「へえ、言う気があるんだ」
「あったら銃を出す手間なんてかけない」
「さっすが最強雲の守護者」
「でも」
 黒い瞳が瞬いた。


「君になら、殺されてもいいかもしれない」


 こちらを見る目はいつもと変わらない。今耳にしたのはどうやら他殺願望などではなく、朝の挨拶だったらしい。そうでも思わないと理解ができない。
 瞬きをする。1秒も焦点を外せなかった黒い瞳が、瞬きで一瞬霞む。
 そのコンマ何秒かの隙間に、なぜか青空が見えた気がした。

 屋上。学ラン。やたら綺麗な青い空。

 ため息が出た。


「……10年前、恋をしたんだ」


 言うなら、今だった。終わりだ。
 終わる前に、終わらせる前に。
 最後に、ひっかき傷くらい、残していくのも悪くない。かもしれない。

「……へえ」
「初恋だった」

 はつこいだった。口にして、そのあんまりな音の形に笑う。
 砂糖を丸ごと口に含んでしまったようだった。言ったそばから吐きたくなる。


 そう、初めての恋だった。
 ディーノに案内されて、辿り着いた知りもしない建物の屋上で。
 黒い服の裾をはためかす、少年に出逢った。

「奇遇だね」

 思いがけない横槍に、目をしばたく。口を挟まれるのは想定外だった。


「僕も、初めて恋に落ちたんだ。10年前に」


 目が合った。
 その一瞬、確かに世界から全てが消えた。音も、光も、手にした銃も。
 2人だけ。いるのは2人だけだ。向き合うふたり。
 そう思った。思えた。



 愛してる、とは言わなかった。
 多分、そういう恋だった。この恋は、10年前に一度死んだ。

 同性。愛情。踏み出す先も、踏み出していいかもわからない。いびつな欲情。
 互いに支えとする物も違った。並盛とディーノ。己と、救済者。
 だから、多分ここまでねじれた。


「初恋は叶わないなんて、よくもまあ的を射た真理じゃない?」
「世界中にある適当な名言の中で、最も名高い真理だと俺も思う」
 言いつつ、するりと偽の頭を外す。銃口がブレようとも、どうでもよかった。
「あと、恋の賞味期限は3年だとか」
「俺3年どころか10年経った。そろそろ腐り切って蒸発するんじゃないかな」
 足元に転がったツインテールに、雲雀は見向きもしない。淡々と言葉を紡ぐ。
「君はあの金髪男が好きなんだと思ってた」

 爆弾だ。今なら泣いてもいい権利は自分にあるとイルは思った。
 実際、唇から零れたのは、嗚咽みたいなひゅっという音だった。

「優しくて誠実で頑張り屋でちょっとドジ。確かに明らか恋に落ちるならコッチだよな」
「何君、意外と王道タイプが好みなの。笑える」
「恭弥って意外に少女マンガとか読むタイプ?」
「人の趣味に勝手におかしなものを追加しないでくれる」
「あれ、本の目次にも目を通したことないアウトドアを極めたタイプか」
「あるに決まってるだろ。君の振れ幅はいちいち極端すぎる」
「なら読んだことあるだろ、王道タイプの王道展開」
「弱肉強食?」
「そんな王道展開、世が荒む」

 10年前、屋上で同じような会話をした気がする。内容ではなく、交わす言葉の軽さの話だ。あの時互いが手にしていたのは、トンファーと銃だった。
 あれから10年経った。10年経って、今、血なまぐさい部屋で向かい合うのは銃と銃だ。

「一生懸命な子は、ちゃんと報われて最後は笑って終わるんだろ?」
「王道っていうよりありがちだね」
「そんなありがちなお話なら、現実に腐るほどあったっておかしくないのに」
 雲雀の目が、初めて揺れた。感情に色があったなら、今間違いなく色づいた。
「……だから、」
「だから」
 今さら理解した、みたいな目をしないで欲しい。沢田綱吉だって気付いていたのに。

「だから、解放してあげたかったんだ」



 部下を失くす度に泣いた。裏切られれば唇を噛み締め銃を向けた。
 それが自分を救った神だった。神話の中の神々のように、彼は残虐でも冷酷でもない。
 自室で頭を抱え、ぴくりともしない姿を見る度に、この人は死ぬんじゃないかと思った。
 いつか、見えない血を流して死ぬのだと。

 だから、解放してあげたいと思った。
 彼を縛る、全てから。



「無駄だよ。あの男は自分で自分の首に鎖を付けてる」
 雲雀の声は冷静だった。第三者だからこそ、余計によくわかるのかもしれない。
「鎖ってか、皮膚に直接っていうか」
「そうだね」
 さすがは弟子だ。刺青のことが言いたいのだとすぐに勘付いたらしい。
「……沢田綱吉に言われたよ」
「へえ」
 二転三転する話に茶々は入らない。こいつも大人になったのか。
「ディーノさんだけならまだ良かった、って。市民に危害が出ないなら」
「それを鵜呑みにしたバカはのこのこ『悪いのは自分です』って答えたわけだ」
「まあほんとうだし」
「だから?」
 表情は変わらないわりに、その口ぶりは叩きつけるようだった。
「だから?まあ、全ての元凶は俺です、ってとこかな」
「王道的展開なら、悪役を消してハッピーエンド?」
「そうそう」
 なんだ、わかってるじゃないか。ふっと肩が落ちる。


 10年前、並中の屋上で出逢った。
 黒曜中で過ごす傍ら、雲雀の元に足しげく通った。


 物語の中だったら、動かない恋模様はそのまま美しい思い出になったのだろうか。


 時間は少しずつ錆び付いていった。
 錆の原因は、凪の純粋すぎる悪気のない恋心だったのか、何も言わない骸だったのか、心から慕ったディーノの存在だったのか、決して想いを口にしなかった恭弥と自分だったのか、
 それともその全部なのか。

 どちらにせよ、もう遅い。想いは一度濁って死んだ。死なせたのは自分と、そして多分、恭弥だ。
 体の関係だけを持って、互いに絶対想いを告げられないところまで追い込んだ。
 ねじれ、患った。行き着く先は行き止まりでさえない堂々巡りだ。底も見えない泥沼。
 美しくなるはずだった思い出は、蓋さえされなかった。黒く胸底に沈んだ。


「……イル」

 好きだった。多分、その5文字が言えたら終わっていた。
 イルはディーノに全てを捧げようとはしなかったし、おそらく雲雀はこうして銃を手にしていない。

 何も悪くはないのだ。きっと。
 何かがほんの少しずつ崩れて、そうして少しずつ歪んでいった。
 その結果が、今この場の全てだとしたら。


「――同時に引く」


 一瞬、何と言われたかわからなかった。
 音が脳裏に言葉として並んで、初めて中身を呑み込めた。

 引き金を、同時に引く。

「……は」
「悪役は全て消え去るんだろう?」
 なぜか雲雀は満足げだった。喉をくすぐられた猫みたいに、顎を上げる。
「銃の腕前ならおんなじだ。君と僕、大差はない」
「……それで」
「君の切り返しが3文字だけってなかなか珍しいね」
 黒い銃口の向こうで、もっと深い黒が笑っていた。


「素敵な幕切れじゃないか」


 まるで、告白みたいだ。そう思った。