教会のミモザ | ナノ



報われない感情

■ ■ ■


 走る。
 走る、走る。
 延々と続く森を抜けて、湖のふちを回って、それから。

 全身が熱い。足も随分疲れてきた。
 だが何よりも、呼吸だ。
 酸素、酸素が、足りない。苦しい。

「はあっ、はあっ、はっ、」
「こんな朝早くから、お前は何走ってんだ」
「!」

 肩で息をするノザの真横、何の前触れもなしに突如現れる黒鋼の姿。もっとも、それは走り続けるノザが気が付かなかっただけで、彼は少し前から後ろを追い掛けてきていたのだが。

「……はっ、くろっ、ぽ、こそ、なん、で、はっ」
「黒ぽん言うんじゃねーよ!ったく、あのヘラヘラ野郎が余計な事教えるから……」

 ノザはかなり息があがっていたが、一方、横に並ぶ黒鋼はいつもと何も変わらない。
 同じ速度で走っていながら、息ひとつ乱れないその姿に、ノザはいらっとした。――くそ、悔しい。

「……で、なんでてめーは走りまくってんだ」
「……はっ、ふ、あの、さっ」
「ああ?」

 黒い瞳が、怪訝そうにこちらを見る。
 ノザはなんとか普通に話そうと努力しながら、喘ぎ混じりに言葉を吐いた。
 プライドをどうこう言えるほど、体力はもう残っていない。

「あ、そこらへん、でっ、はっ、休憩、っ、はあ、」
「……ああ」




「……で、なんで急に走りまくってたんだ」
「急に、じゃないよ。わりと毎日」

 小さな川べりに座り込んで、ノザは手で水をすくう。
 それから器用に口元へ運んで、そのままほとんど零さず飲み干した。

「……?どういうことだ」
「体力作り」

 単語で返すノザに、黒鋼の眉間の皺はますます深まる。

「体力作り、だと?」
「あーもー。……あんま言いたくないんだけどさ、俺体力あんまないの」

 ノザが、どこか拗ねたような顔付きをする。
 黒鋼は一瞬、面食らったような顔をし、それから意外そうに少年を見返した。

「それで、朝っぱらから走ってんのか?」
「ん、まあ。神威達が起きるの遅いってのもあるけど」
「……意外だな。あの双子といいお前といい、戦い慣れてるタイプだと思ってたんだが」

 ぼそり、呟かれた黒鋼の言葉に、ノザはくっと口角を上げる。

「いや、合ってるよ。神威と昴流は体技も色々習得してるし、何より経験豊富だから」
「そりゃ、いいな。ぜひ今度手合わせしてもらいたいもんだ」

 にやり、獰猛に笑んだ黒鋼が、ふと真顔に戻る。

「だが、てめえはどうなんだ」
「ん?」
「体力がない、って言うわりには、……まったくの未経験、って訳じゃねーだろうが」

 鋭く細められた黒い瞳に、くすっとノザが笑みを零す。

「さっすが黒ぽん」
「黒ぽん言うな」
「俺は体使うのはダメだけど、魔術はいろいろ獲得してるから」
「魔術……?神父が使うやつか?」
「まあ系統はおんなじだけど、ファイが使う魔術とはちょっと違うんだよね」

 どうやら黒鋼は魔術うんぬんに関しては強くないらしい。「?」と頭上にクエスチョンマークをいくつか並べる様子を見て、ノザは思わず吹き出した。

「なっ、今お前笑っただろ」
「いや、だって……あ、ほら」
 こんなん、とノザが右手を開いた瞬間、

 ぼうっ、とその上に黒い炎が浮かび上がった。

「!」
「こんな感じ」

 驚き目を見張る黒鋼に、ノザがにんまり得意げに笑う。

「……あの神父の魔術みたいに、変な文字や模様はいらねえのか」
「うん。俺は想像した物をほぼそのまま具現化できる、そういう魔術のたぐいだから」
「便利だな。……便利すぎやしねぇか」
「そう?」

 よっこらせ。右手を握り潰し炎を消した少年は、黒鋼の横にすとんと腰を下ろした。

「俺が元いたせか……じゃなくて元いた町では、俺はこの魔術のせいでのけものにされたよ」
「……は?」
「俺、元々魔力の量がべらぼうに足りなかったの。今は次元の魔女に対価渡して取引したから、ファイと同じくらいあるけど」

 早朝の冷たい風が、静かに2人の間を通り抜ける。並んで座る2人の足元を、眩い日光がゆっくりと照らしていった。

「生まれつきなんだよ。魔力は少ないけど、魔法陣や補助道具なしで、頭の中に描いたものをそのまんま、現実に出せる」
「……良いだろ。便利じゃねぇか」
「だけど魔力はすぐ切れるし、そんな魔術使えるの、俺くらいなものだったし。それに、一生懸命理論やら魔法陣覚えてる奴らから見たら、俺なんて目障りで仕方ないだろ。覚えなくたって、勉強しなくたって使えちゃうんだから」
「……。」
「だから、ハブられた。友達とか、いなかった」
「……それで」
「だけどある日、俺によく似た人達がやってきたんだ。別になんにもしていないのに、町中の人から攻撃されて魔法で傷つけられて、逃げるしかなかった2人組」
「……。」
「初めて、誰かのために魔術を使った」
「……そうか」
「だから、俺は神威と昴流が大好き。足手まといになりたくないんだ」

 黒鋼は、自分の隣の横顔を見る。
 凛としたその顔は、いつもと違いたくましく、そして鋭く見えた。

「……そりゃ、けっこうな心掛けだな。体力がねぇのも、生まれつきか?」
「ううん。次元の魔女に、対価として渡したんだ」
「……そういやさっきも言ってたな。対価を支払えば、なんでも願いをかなえてくれるっていう、アレか」
「知ってるんだ」
「まあな。一応、知ってはいる。……んで、お前は何もらったんだ」
「魔力」

 短く答えた少年の指先で、黒い炎が再び燃え上がる。

「何か……例えば、あんま嬉しくないけど闘わなきゃいけない場面にあった時は、魔術で対抗する。でも、どうせなら体技も使えた方がいいだろ?」
「そりゃそうだろうな」
「だから、こうやって体力つけてんだ」

 まずは、できることから始めなくちゃな。
 そう言いおもむろに立ち上がったノザが、歯を見せて笑う。

「そろそろ神威達が起きる時間だ。行こー、黒っち」
「!っ、この、くそ生意気なガキが……」

 上から伸ばされる手を掴み、舌打ちしながら黒鋼も立ち上がる。
 今日の朝食は何かなあと、鼻歌混じりにご機嫌で進む、少年の金髪を後ろから黙って眺めながら。

 「対価」として差し出したという、「体力」。毎日走り込んでいるという、その積み重ね。だが。


 ――「対価」として差し出したなら、どれだけ努力しても体力がつくことは……絶対、ないんじゃないのか。


 胸を塞いだ、その疑念は――しばらくの間、黒鋼の内から消えなかった。




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