桜が散る前に
■ ■ ■
振り返って、動揺した。
自分でもわけがわからないほど、どうしたらよいのかわからなかった。
「……紫苑、ネズミ……」
「よか、った」
呆然と、名前を呟く。口にしてから、随分久しぶりに呼んだということに気が付いた。
2人が、自分の前で同時に足を止める。紫苑ははあはあと肩で息をしながら、けれど安心したような笑みを浮かべていた。その横、ネズミも微かに息を切らしている。
あのネズミまでもが?かつてないほどに、由紀は動揺を覚えた。
「……なんで、2人とも」
「なんで、じゃないだろこの大馬鹿が」
「は?ちょっおまネズミ、いきなり」
「あんたを止めにきたんだよ」
数秒、見つめる。灰色の双眸は鮮やかに煌めいていた。
「……は、だって、入学式、は」
「終わったよ」
「……いやいや、終わったよ、じゃないだろ紫苑。最初のホームルームは、」
「それもキャンセル。まったく、あんたのせいで高校生活が台無しになりそうだ」
「……いや、意味、わかんないんだけど」
「まだわかんないのか?いつも以上に鈍いな、由紀」
ネズミが口角をつり上げる。不覚にもどきり、と胸が高鳴った。
「行くな」
「行かないで」
2人の声が、同時に響いた。
「……え、で、も」
「行かなくていい」
ネズミの手が、ぐいっと腕を掴む。
「もっと他の手を考えよう。それに、僕と母さんはいくらでも助けるから」
「紫苑、」
「なんなら俺の家に住めばいい。家、手放したんだろ?」
「は?ネズミお前、」
「何言ってるんだよ、ネズミ。それはずるいだろ」
「狡い?こういうのは早い者勝ちだろ」
「ちょ、ちょっと待てって2人とも!」
何やら勝手にぽんぽん進められていく話に、由紀は慌てて声を張り上げた。
いつの間にやら拘束されていた両腕から、べりっと2人を引きはがし、両脇を交互に睨み上げる。
「何勝手に話進めてんだよ」
「だって、仕方ないだろう。君が好きなんだから」
紫苑が笑ってそう言い放つ。あまりにもさらりと言われて、一瞬理解が遅れた。
「は?」
「ちょっと待て、あんたどさくさに紛れて何言ってんだ」
「早い者勝ち、なんだろう?ネズミ」
「由紀にお似合いなのは俺だって、あんたがそう言ったんじゃないか」
「1番仲が良いのは僕だって、ネズミが断言したんだろう」
ネズミがぐっと肩を抱く。紫苑が唇をとがらせて、肩をすくめた。
「……まあとりあえず、」
さっぱり状況が理解できずにいる由紀に向かい、ネズミがうっすら微笑んでみせた。桜の花びらが、その頬を彩るようにかすめていく。
「由紀、行くな」
優しく微笑んだ紫苑が、由紀の頬を撫でる。
なぜ涙が出るのか自分自身でもわからなかったが、それでも確かに嬉しいと、由紀は心の底から思った。
肩を抱くネズミの腕が、ひどく温かいとも。