混迷のTriangle | ナノ



胸の中で眠ってくれなくてもいい

■ ■ ■


 あの頃に戻れたらいいのに、という自問は散々した。
 その上で何も残らない事も、もうよく知っている。のに、しかし求めてしまうのは人間の性か、業なのか。

「……アラウディ」

 窓の外、散りゆく銀杏の葉から視線を動かす。心底、驚いていた。
 廊下の端、窓枠のすぐ内で佇む自分よりやや離れた地点に、あの少年が立っている。

「……どうしたの」
「お前に、言いたいことがあって来たんだ」

 真剣な瞳だった。憂いも不安もない、澄んだ瞳。
 ゆがませたい、そう思うと同時に優しく抱きしめてやりたいとも思った。
 矛盾だ。どこか行き違ってしまった、「彼」にも向けたことのないような、このねじれた感情。

「……また、この前みたいな目に遭いたいの」

 呟くように言えば、ユーリはびくり、と肩をすくませた。
 その踵が一歩、後ろに引くのを見て――どうしようもない加虐心が募る。
 恐怖。嫌悪。それら全てで、その瞳が曇ってしまえばいいと思った。
 自分はこの子に嫌われたいのだろうか。いまいち自身の心が掴みきれないまま、アラウディはぼんやり思う。

「……違う、けど。でも、お前にだってわかってるんだろ」
「何を」
「俺は、瓜二つだっていう、アラウディの『ユーリ・テンペスタ』じゃない、って――」

 突き飛ばす。不意を突かれた幼い体は、あっけなく弾かれ廊下の奥へ軽々と転がる。
 痛みにうめくユーリの肩を床に押し付け、その上に跨った。

「!ア、ラ、」
「馬鹿なんじゃないの」

 隙ばっか見せて。
 嘲笑う調子で告げたはずだった声音は、なぜかやけに震えていた。
 ユーリが目を見開く。その口が開き、何か言う前に片手を強く押し当て塞いだ。
 聞きたくなかった。告げられたくなどなかったのだ。今更、知りたくなんてない。

 ――ユーリ・テンペスタは、もうどこにもいないだなんて。


「……嫌だ」

 残されたのは、自分だけだった。
 この時代に目覚めさせられて、そしてやはりいたのは自分だけだった。


「……こんなの、……嫌なんだ、ッ」


 目にした少年は、「彼」そっくりだった、
 けれどその隣にいたのは自分ではなかった。自分によく似た、似合いの相手。


「アラウディ……」


 目の前が滲む。見えなくなっていく。
 おかしい、と思った。僕は泣く事なんてないのに。
 どうしてこの子の前だと、こうも弱くなってしまうのだろう。


「……嫌だ、」


 ――死ぬ気か、ユーリ・テンペスタ!!


「……嫌だったんだ、もうずっと、」


 ――ふざけるな!君は……!!


「どうして僕を置いていった、」


 ――ユーリ!!


「……何も、言ってくれないままッ……!」


 アラウディ。
 記憶の中の彼が、淡く囁いた。



 ――じゃあ、またな。






 僕らの間に明確な関係は無かった。言葉にも形にもしなかった。
 だから君がいなくなっても、僕は立ち止まらなかった。君の死を悼むこともなかった。
 僕は何にも捕らわれない。弱みなど見せないし持ちはしない。

 本当に?

 

「……愛していたんだ」

 あの時一度も言えなかった言葉が、囁きに混じって落ちる。



「……あの頃の、ユーリ・テンペスタを」






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