虚しさにもたれながら
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泣いて全てが取り戻せたらいい。だが実際はそんなことで取り戻せるものなどひとつもなく、ただいつだって時間が経過していくだけなのだ。
そんなこと、わかりきっていたのに。
「……ねえ」
頭上から困り果てた、しかし控えめな声が掛けられる。
「どうしたのって、聞いてるんだけど。……ねえちょっと」
この馬鹿アホ、いつまで僕の膝にしがみついてるのいい加減離れてくれる。
悪態をつく雲雀の声音の裏に、微妙に不安げな響きがあるのを感じ取って、少しだけ気が安らぐ。
泣きすぎて、もうどうだっていいかという投げやりの極致に達したのかもしれない。
だから、雲雀の言う通り顔を上げた。
「は、」
途端、予想通りというか、雲雀がぎょっとした顔で目を見開いた。
「な、ちょっと君、どうしたって言うの」
「……さあ」
笑えたことに安堵した。次々に零れる涙を拭い、笑顔を作る。
「さっき、応接室に飛び込んできたときは泣いてなかったでしょ、なんでこうも急に、」
「泣いてねーって。これは心の汗」
「……そんな古典的なセリフ言う奴が、まだいるとは思わなかったよ」
登校一番、廊下を駆け抜け応接室に飛び込んだ自分に、説得力がないのはわかっていた。一瞬、呆れた瞳になった雲雀が、次の瞬間鋭い光を目に宿らせる。
「で、本当に何があったの」
「なんでも」
「嘘つくな」
「ついてないよ、って」
「何でもないわけ、ない」
君はいつも馬鹿みたいにペラペラへらへら、余計な無駄口ばかり叩いているくせに。
そう言った雲雀の瞳が、射るように光る。ユーリは笑いたくなった。
さすが、雲雀恭弥だ。自分が一目で入れ込んだ相手、ごまかしも嘘も通用しない。腹立だしくて、少しだけ嬉しい。たとえそれが、苦さを含んだ喜びだとしても。
「ほんとに、なんでもねーって。ゴメン、いきなり膝借りて」
「……あの人?」
雲雀の目がまた鋭さを増す。自分でもわかるほど肩が跳ねて、馬鹿だなと思った。
「あの人って?」
「とぼけるな。アラ――」
雲雀の目が鼻先でまん丸くなる。そのまま、勢いに任せるようにして応接室の床に転がり押し倒した。
ゴン、という音が雲雀の頭のあたりで確かに聞こえて、ああ後で殺されそう、という考えが脳裏をよぎる。でも、やめる気はなかった。
床に倒した相手の上にのっかって、その唇を乱暴に奪う。塞いで、肩を強く掴む。
聞きたくなかった。言わないでほしいと思った。
彼の、あの人の名前を、――聞きたくない。
「……ちょっ、君、なん、」
「雲雀」
ぐいっと胸を押される。唇が離れた瞬間、雲雀が動揺した目でこちらを見た。困惑しているその様子に、縋りたくなる。消して欲しいと思った。この体に塗り込められた、アラウディの痕跡全てを。
いっそ、ぐちゃぐちゃにしてくれたのがこの人だったら良かったのに、とユーリは泣き笑いするような思いで考えた。転校してきて一目で惚れ込んだ相手、自分が女だったら間違いなく口説き落とすと馬鹿な軽口を叩きながら、でもそれは案外本心だったのだ。
そしてそれは、男でもかまわないと思った。互いが同じ性別だとしても、そう、
「ちょっと」
「!」
何よそ事考えてるの。言った雲雀が急に視界から消える。
正確に言うなら消えたのではなかった。自分の視界が一気にぐるっと回転したのだから―― 一瞬で、床の上に。
「……早技、だなあ」
「君にいいようにされるなんてごめんだよ」
特に、そんな目をした君になんか。
目を細めて言い放った雲雀に、自分は一体どういう目をしていたのだろう、そう考えたところで強く唇を押し当てられた。
相変わらず噛み付くような強引なキスだった。雲雀の体がさらに上へ乗り上げ、口付けが深いものになる。
それは昨夜とよく似ていた。似ていて、だからこそユーリは泣きたくなった。
ああ、と息を吐き出す。困ると思った。これでは、どちらがどちらかわからないから。
昨夜自分を抱いたのが、雲雀なのかアラウディなのか、わからなくなるから。
「……何、考えてるの」
目を開ける。雲雀の探るような瞳が見下ろしていた。
煌めくその黒い瞳孔に、笑みを返す。
「雲雀の事」
「……ふうん」
嘘吐き。そう言った雲雀が、唇を重ねる。
僕の事以外、考えられないようにしてあげるよ。そんな低い囁きが、鼓膜を震わせた。
ぞくっと全身に震えが走るのを感じながら、ユーリは目を閉じる。そして、決心した。
アラウディの「ユーリ・テンペスタ」を探し出すのは――やはり、自分1人で十分だと。