雨みぞれに、全て沈めて。 | ナノ



望めないハッピー・エンド

「何の話?」
「童話」
 答える事には、もう慣れた。
 ぱらりぱらりとページをめくるメノウの向かい、まるで当然かのように座る少年が、くっと笑う。
 彼の名前は、トムというらしい。

「キミ、いつも童話を読んでるよね。なぜ?」
「典型的な展開がすきだから」

 間髪入れずに答えれば、真向かいの目が細まった。

「……典型的な、かい?」

 返された言葉の響きに、それが彼の驚きの仕草だったのだと、遅まきながらメノウは気付く。

「ええ」
 頷き、淡々と肯定する。
 よくもまあ、毎度毎度こんなにも愛想ない反応をしているのに、彼もかまってくるものだ。
 物好きだろうか。文字を目で追いながら、メノウはぼんやりそう思う。

「典型的な、って?」
「え」

 ぐい。急に本を押しのけて現れた顔に、ぎょっとする。
 いつの間にやら身を乗り出して、メノウの前に顔を近付けた相手は、興味深そうに目を煌めかせた。

「典型的な展開が好き、っていう理由を教えてよ」

 しばらく目の前の顔を見つめて、ため息をつく。

「……その前に、」
 片手を上げて、メノウは銀髪で覆われた額をぐっと押した。チラリ、見え隠れする片目。
 こんなに前髪伸ばして、邪魔じゃないのかしら。
 関係ない考えが、とりとめもなく脳内をよぎる。

「……近いわ」
「ああ、ゴメンね」

 言葉ほど思っていなさそうな顔で、彼はニコリと笑んだ。
 メノウに額を押されても、机に乗り出したまま動く様子は欠片もない。
 困った人だこと。メノウは額を押し返す手から力を抜かずに、もう一度深々とため息をついた。
 ふわり、メノウの吐息にさらわれ揺れる、トムの前髪。
 その奥から覗いた片目は、もう片方の瞳と同じく、やはり深い赤色に光っていた。

「……ねえ」

 彼は、微笑む。
 トムと名乗った少年が笑う以外の表情を見せるのを、メノウはほとんど見たことがなかった。
 ため息、怒り、ためらい、焦り、悲しみ。そのどれもが、皆無。
 例外は、せいぜいさっき見た驚き顔くらいなものか。
 困った人だ。もう一度、やはりとりとめもなくそう思う。

「……王子様が」
「うん」

 雨が、今日も激しく窓を叩いていた。
 相変わらず、外は暗い。本棚の立ち並ぶ図書室内も、薄暗く、しんと静まり返っている。
 ここにいる人間は、片隅に居座る2人だけ。

「お姫様と結ばれる、だとか」
「うん」

 一度開き始めた口は、なかなか止まらなかった。
 人に、特に会って間もない相手に聞かせるようなことじゃないな、と頭のどこかでは思いながら、言葉はゆっくりと、そして時々つまずきながらも、止められなかった。

「貧しい女の子が、お金持ちに見初められて裕福になる、だとか」

 いつの間にか、視線は完全に赤い瞳に焦点を合わせていた。
 こちらを見つめるトムの目を、ただ見返す。

「許されない恋をしていた2人が、苦難を超えて結ばれる、だとか」

 トムに押しのけられていた本が、静かな音を立てて、机の上で表紙を閉じた。

「……そういう、現実じゃありえない、都合良く進んで終わる話が、すき」


 外では、未だ強い雨音が響いていた。



 しばらく、どちらも口をきかなかった。
 明かりのついていない薄暗な空間、ずらりと並んだ本の列。申し訳程度に並べられた机と椅子。雨音。
 メノウは机の上で閉じたままの本に手を伸ばそうとはしなかったし、トムもメノウへ向けた視線を逸らすことはしなかった。
 ただ、いつの間にかトムの額から離れていたメノウの手が、机に静かに落ちただけで。

「……ねえ」

 すぐ隣で、窓が激しい雨粒に震えていた。
 静かだった。ただただ、きん、と空気が張りつめている。
 おかしい、とメノウはぼんやり思った。
 こんなに雨は強いのに、こんなにもここは静かだなんて。
 ああでもそっか、

「メノウ」

 そうだ、何もおかしくない。
 だって、ここは夢の中なのだから。


「……キス、させて」


 思い出した瞬間に、静まり返った空気がくにゃりと音を立てて遠ざかった。
 椅子も、本も、雨音でさえ現実味を失って薄れていくその中で、


 けれど確かに、頬に添えられた手と唇の温度は、最後まで残っていた。



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