雨みぞれに、全て沈めて。 | ナノ



2人が結ばれない世界

 目を開ける。
 最近はそれだけで、全てを色鮮やかに認識することができてしまう。

「……やあ。メノウ」

 当然のように真向いに座る、この男の存在まで。



「……今日も来たのね」
「そういうキミも、やっぱりここにいるんだね」
 手の内の本を開きながら、相手を見上げる。
 お互い椅子に座っていながらも、トムの方が目線が高い。そのことに気が付いたのは、ほんの少し前のことだった。

「……私は別に」

 ふい、と視線を逸らす。
 窓の向こうは相変わらず天気が悪く、よどんだ灰色にけぶっている。

「来たくて、この世界に来ているわけじゃないもの」
「奇遇だね。ボクも自分の力でここに来ているわけじゃないんだ」

 目を戻せば、いつも通りに笑みを含んで細まる、赤い瞳。

「……数奇な事」
 ポツリ、独り言のようにそう言えば、トムはくっと喉を鳴らして笑った。
 
「そうだね。ボクも、そう思うよ」
「どうしてあなたと2人なのかしら」
「それは野暮ってものだね」


 この2人が、童話の主人公だからだよ。


 ぽかんとして見返せば、トムは口端を緩めて、おかしそうな笑い声を立てた。
 わけがわからない。

「すごく、面白い顔してるよ。キミ」
「……失礼なお言葉をありがとう。で?」
「で、って?」
「……あなたの意味の分からない発言の真意を、問いたいんだけど」
「ああ」

 くつくつ。喉で何か転がすような音を立てて、トムは笑う。楽しそうに。

「わからなくて、いいよ」
「は?」
「むしろ、わからないでくれる方が、いいかな」

 目をぱちぱちさせるメノウの前で、くっくっと喉で愉快そうに笑った相手は、不意に立ち上がった。

「……どこへ行くの」
「あれ」

 赤い瞳が煌めく。

「心配?」
「……は」

 馬鹿じゃないの。そう言いたいのを視線に込めて、相手の事を睨んでやった。

「そう怒らないで」

 くつくつと、やはり喉で笑う。軽やかな、けれど悪戯っぽい笑い方だった。愉快がっているような、じゃれる子猫でも見ているかのような。

「少し、席を外すだけさ」
「なぜ」
「窓を開けたくてね」

 そう、とメノウは呟いた。トムもそれ以上さして何も言わず、流れるように机から離れて窓の傍に立つ。
 立ち並ぶ、雨で曇った長方形のガラスの列。

「……開けないの」
「開けたら、外は綺麗な晴れ模様だったりして」
「……は?」

 眉根を寄せて、メノウは相手を見返した。
 何の変哲も無い窓ガラス、そこに軽く背を預けて薄ら笑む、彼の姿を。

「……何を言っているの?」

 遂に頭がおかしくなったのだろうかと思った。

「見えるもの全てが正しいワケじゃないっていう、比喩さ」

 けれど彼はそう言い笑う。

「……何が言いたいの?」

 言葉を少し、ほんの僅かに変える。

「童話の登場人物で言うなら、キミが姫でボクが王子かな」

 はぐらかしているつもりなのだろうか。
 窓にもたれかかって、けぶる灰色の世界を背景にして。そうして彼は笑うのだ。

「……よく、自分で自分を王子だなんて言えるわね」
「だって、ここにはボクたち2人しかいないんだから」

 だから、そうなるに決まってるでしょう?


 しばらくしてから、メノウはそっと目を逸らした。
 大して進んでいない本に目を落として、口を開く。

「……あなたが王子で私が姫なら、」
「うん?」
「……いえ」

 2人は、結ばれるのだろうか。


 なんでもないわ、と付け加えて、メノウは静かに表紙を閉じた。



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