アポロンの啓示 | ナノ

♯君の熱を頂戴
・甘め
・夢主視点/アルヴィス視点いろいろ









「熱、あるんじゃないか」



こつん、と額を合わせてきたアルヴィスが、ふと思い出したように言った。





【君の熱を頂戴】





思い出したように、というのはもちろん誤りで、多分その瞬間に気付いて反射神経の一部みたいにぱっと口にした、それが正しいのだろうけど、
と、そこまでダラダラ考えて、ふっと笑った。
「何を笑っているんだ」
俺の襟元を掴んで、ずるずると引き摺るアルヴィスの低い声。
頭上から降ってくるその声の不機嫌さは、どうやら俺が体調が優れない事に気づかなかった、その一点にあるようで先程からずっとこんな感じだ。
元々アルヴィスは機嫌が良いのか悪いのかなんて滅多にわからない。だって常にポーカーフェイスのクールボーイで、奴が相好を崩すのは精々あの可愛らしい妖精の前でくらいなのだから。
だから俺は別段アルヴィスの機嫌に構わずされるがままだったし、アルヴィスもアルヴィスで、結構手荒く俺の襟首を引き摺ってそのまま部屋に放り込んだ。
「いってぇ、病人労われよ」
「何が病人だ、自分で気付かなかった癖に。この鈍感」
良いように言われてさすがの俺もカチンと来た。んなこと言われたって、
「絶対微熱だね。だって俺動けるし」
「嘘つけ。いつもよりずっと動きが鈍い」
はぁ?
眉をひそめ、ベッドの脚に背を押し付けたまま相手を見上げる。
青い髪に碧い瞳、やたら人形めいた印象を与える信じられない程整った顔立ちの少年は、こちらを逆に見下ろしていた。
「何言ってんだ、アルヴィスよりずっと速く動けるね」
「…だったら、オレが引き摺っている時に逃げるなり抗うなりすれば良かっただろう」
されるがままじゃなくて、
と付け加えたあたり、どうやらアルヴィスも自分の強引さを多少は自覚していたらしい。
だけどもそんな事は俺にはどうでもよくて、
「別に、どうせ逃げてもアルヴィス追っかけてくるだろ?」
「その思考がもうおかしい」
はぁ、と溜息を付くアルヴィス。
なんで、なんでだ。
何がおかしい。
「…いつものお前なら、絶対に逃げようとする」
例え相手が誰であろうとも。
俺はアルヴィスを見つめた。
それはそうかもしれない、と思う。
だって俺は他人に襟首はおろかそもそも何処か身体の一部分を掴まれるなんて大嫌いで、しかもその上引き摺られて連れてかれるとかもう悪夢だ。相手がアランだろうとファントムだろうと全力で吹っ飛ばして放してもらう、間違いない。
そうか、俺はおかしかったのかとじっと床の木目を見つめながら考えていると、
「…だから、絶対に熱がある」
かつん、と視界に飛び込む見慣れた靴。
それと同時に、すっと何かが俺の視界に差し出された。
鈍い銀の光を放つ、つまりそれは、
「…わかったよ」
俺は仏頂面でアルヴィスから水銀の体温計をひったくるように取ると、上衣のジッパーをひき下げて無理矢理脇の下に突っ込んだ。
おい、とどこか咎めるようにアルヴィスが見るが俺には知ったこっちゃない、そもそもなんで額を合わせただけで熱があるかどうかわかるんだ。こいつは神かなんなのか。
しばらくの間落ちた奇妙な沈黙を突き破るように俺が体温計を乱暴に抜き出すと、アルヴィスはすぐさま覗き込んだ。
「ほら見ろ」
光る銀色を、
俺は思わず二度見した。
「…嘘だろ」
この15年間生きてきた中で、間違いなく1番高い熱を鈍い光を放つ水銀は示している、これはあれだ、俺は今人生で最も高い体温でいるワケで、有る意味これは貴重だ、凄い、
と、そこまでダラダラ考えている自分に気が付き、つまり俺も認めざるを得なくなった。
俺は熱がある、と。
「寝ろ」
有無を言わさずベッドに放り投げられシーツを被せられた。呆れるくらい細い腕をしている癖に、アルヴィスはいとも簡単に俺を持ち上げる事も動きを封じる事も出来る、その事が自分には未だに信じられない。
「…はいはい」
とは言え俺もちょっと予想外にびっくりな熱だったので、まあこれは休むしかない。半ば鬱屈とした気持ちが襲ってくるのを感じながら、俺は仏頂面でシーツに潜り込んだ。


寝る、という行為はどうも苦手だ。


別に睡眠が嫌い、とかじゃない。生きている以上睡眠は間違いなく必要な物で、ガイラの爺さんなんかにみっちり稽古をつけられた時なんかはそれはそれは深い眠りに落ちる時もあるけれど、でも大抵の場合、俺は「眠る」という事が苦手だ。
ベッドに潜り込み目を閉じれば、嫌でも部屋に1人、ぽつんと存在している自分の姿が浮かんでしまう。
そうするともう駄目なのだ、昼間はあんなに騒いでいても夜は惨めな程に静かでひとりで、つまり8歳の頃俺を孤児院の前に平気で置いていって振り返りもしなかった両親のように、結局の所誰も俺の事なんて見ちゃくれなくて、どこまでも1人なんだ、なんて、
またダラダラ考える、と俺は自嘲気味に笑った。
「…リク?」
俺がぎょっとしてシーツから頭を出すと、さっさと部屋を出て行ったとばかり思っていたアルヴィスが当然のようにベッドの傍らに佇んでいる。
いや佇んでいるだけならいいんだ、問題は今アルヴィスが俺の顔を覗き込むようにして見ている訳で、つまるところ下らない感傷めいた俺の思考に誘発された、下らない感傷に浸った俺の内心を、もしかしたら勘付かれたかもしれないという、
ええっと、つまり、
「……なに」
なんだか考える事も億劫になってきて、俺はぼうっとアルヴィスを見つめ返した。
いつの間に閉めたのか、カーテンの隙間から射し込む日光に照らされて、アルヴィスの顔は妙な程に綺麗で幻想的で。
こいつはやっぱり神なのかもしれない、とか考えているあたり、やっぱり俺はもうどう頑張っても確実に熱がある。
と、ふとアルヴィスが俺の顎に手をかけた。
その手慣れた仕草は、もちろん俺にもよく覚えのある所動で、
「…え」
いやだけど、
俺は今熱がある。
だがアルヴィスはそんな事は何にも考えてませんとか言うように、
俺の唇に自分の唇を重ねた。




「……ん、んっ」
少し、鼻にかかった苦しげな声。
ぞくり、と肌が粟立つのを感じながら、さらに奥へと舌を絡ませる。
「……っ、まっ、」
ぐい、とあんまり力の入っていない手で肩を押され、正直かなりの物足りなさを感じなからも俺は仕方無しに身体を離した。
「…ちょっ、おま、な」
浅い呼吸を繰り返しながらこちらを睨むリク。
まあ言ってしまうとこれが全然怖くない。むしろなんていうか非常に官能的というか扇情的というか、つまるところ、はっきり言ってしまえば、その、結構危うかったり、する。
それでいて無自覚なところがこの少年の最凶に性質(たち)の悪いところで、
「なにしてるんだよ」
思考の合間に飛んで来たのは怒声。やっと呼吸が整ったのか、相手は怒鳴る、というところまではいかないが、それに近い調子でなじると頬を引きつらせた。
「…なに、って」
俺は無邪気を装って小首を傾げ、人差し指で唇を押さえて微笑んだ。まるで無垢な子供のように。
「……キス?」
「キス、じゃねえよ!」
いーっ、と歯を剥き出しにして顔を顰めるリク。
相変わらずちっとも怖くない。むしろそれは毛を逆立てて威嚇する子猫を思わせて、俺は思わず口元が緩むのを感じた。
「俺に熱があるっつったのお前だろーが!移ったらどうするんだよ」
「俺は熱なんて出ないよ。何処かの誰かさんと違って、自分の体調管理くらい自分で出来るから」
唇の端をつり上げて言ってやれば、俺とは対照的にう、と口角を下げるリク。
「……そりゃあ、そうかもしんないけど…」
やや俯いてぶつぶつ呟くその姿は、やっぱり耳を垂れてすねる子猫のよう。この際、すねた子猫は本当にそうなのかとかそんな事は世界の彼方にうっちゃっておくに相応しい。
「…こっち、向いて」
俯いていた顎に再び指を這わせると、リクは大きく目を見開いた。
湖面を思わせる大きな瞳が、微笑む俺を写している。
その瞳の中、写る自分の目にすら渇望の光がぎらついているように見えて、俺は小さく苦笑した。
「…いや、やっぱダメだって」
俺の手首に細い指を絡ませ、ぐ、と引き離しにかかるリク。
「いくら体調管理出来てても、移るもんは移るかもしんないだろ」
熱のためなのかそれとも違うのかどうなのか、俺の手首を握る少年の体温は常より高く、火照っている。
高揚感。
笑む。
口角が上がるのを、止められない。
「…なっ、」
空の手で細い手首を掴み、
いとも容易く引き寄せる。
リクが小さく抗議の声を上げたが気にしない歯牙にも掛けない。
ふわりと引き寄せた所で一旦停止。
刹那、
俺は驚く程細い身体を手首ごとベッドに強く押し付けて、自身をその上に跨らせた。
手首は頭上でひとまとめにされ、
身体も俺の両足で動きを封じられ。
ぎょっとした表情でリクはこちらを見上げたが、時すでに遅く。
一見抜けているようで実際のところ随分と聡いこの少年は、とうの昔に気付いているだろう。
完全に、
逃げ場を断たれた事に。


「…移せるものなら、移してみればいいじゃないか」


再度、高揚感。
笑む。
口角が上がるのを、止められない。
目眩がする程の酩酊を感じながら、俺はリクの両手首を軽く握ると強引に唇を重ねた。





「……んっ、ふっ…」
くらくらする頭をなんとか正常に戻そうとしたけど戻し方が思い出せない、ただ目の前がちかちかして、まるで海の底に引き摺り込まれるかの如く呼吸が苦しくなっていく。
このまま意識を沈めてしまいたいのに、それを許さないとばかりにアルヴィスの舌が俺の歯列の裏をなぞり口内を蹂躙するから、俺は熱の所為なのかそれとも違うのか最早判断なんてつかないけれど、確かに身体中に震えが走るのを感じた。
「……っ、は…」
アルヴィスが僅かに上を向いて呼吸を整えた隙に、俺もなんとか息を吸い込む。結構力を入れて抵抗したはずの両手は何の意味も持たず、ただ俺の手首を掴む力が強くなっただけだった。
「…ん、っ、」
うわ俺の声気持ち悪い、とふっと頭の何処かを掠めた感想はいとも簡単に脳内の斜め後ろへ沈んでしまう。その間もアルヴィスの舌が俺の上顎をなぞり上げた。
「…ふ、ぁっ…」
駄目だ、俺そこ弱い。最早白みかけている視界はぼやけた青をなんとか写しているだけだからどうせ変わりないが、常の俺なら思わず瞼を閉じて視界を黒に染めていただろう。
「…っ、ん、んんっ、」
やばい、
そろそろ真面目に、
酸素、
不足。
必死で躰を捻ると、上手くいったのかどうなのか、熱が口元からするりと離れた。
「…っはぁ、はっ…」
自分自身の洗い呼吸がやたらと耳に付く。アルヴィスも肩を上下させているのが膜に覆われた視界の中でなんとなくわかったが、余裕が無いのは明らかに俺の方だろう。なんか不公平だ。
「…な、にしてんだよっ、て」
呼吸が整い始めたと同時に俺は文句を口にする。いやだって、いくらなんでも熱がある人間に対してこいつは2回もキスをして、それも、思いっきり舌まで入れて来て、いやそれは良かったけど、じゃなくて、というか良かったってなんだおい自分。
…ああ駄目だ、俺は本当に熱がある。それもかなり高めの。
「…言っただろう」
俺の唇を人差し指で拭い、色っぽい笑みを浮かべるアルヴィス。
人形みたいに整った顔をしている癖に、こういう時はやたら艶かしくて熱っぽくて、妙に緊張してきてしまうから不可思議だ。
「…移せるものなら、移してみろと」
そう言い、再び俺の上に覆い被さるアルヴィス。
さっきまでの感想を全力で撤回しよう、人形はこんな事をしない。
というか、そういえば俺の手首も未だ拘束されたままで、
「…えっ、ちょっ、待てよ、」
文句は引っ込めたものの、さすがにこの流れは不味い。慌てて静止の声を上げる俺に、
「待てない」
にっこりきっぱり断言するアルヴィス。
「…え、いや、あのな…」
「リクが、誘ってくるのが悪い」
「…待て待て待て」
何を言い出すんだこの男は。
「誰がいつ誘ったっ、ぁ、」
勢い良く反駁しかけた俺の胸元に、するりと入り込む冷たい手。
その低い温度が心地良い。
…じゃなくて、
「…なっ、まっ、アルッ!」
焦って声を上げる俺。途端、鎖骨をなぞっていたアルヴィスの指が、ぴたりと止まった。
え?
「…その呼び方、いつもこういう時しかしてくれないな、リクは」
何故かわからないがアルヴィスの動きを止められた事に一瞬安堵しかけた俺を、綺麗な微笑みと共に青い悪魔は奈落に突き落とした。

「…もっと呼ばせてやる」

……ああ。
首を這う熱に、口元を抑えて必死で声を堪えながら。
俺は軽い目眩と共に、明日には一層熱が上がっている事を予感した。






【君の熱を頂戴】
『いっそ2人で寝込むとかどうだ』
『お前に看病してもらうのも、悪くないかもな』
『…俺は良くないんですが』



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