アポロンの啓示 | ナノ

*死にたい、死なせない初冬
・ナナシ→リク←アルヴィス
・ナナ+アル要素有り
・第二次世界大戦敗戦設定
・色々捏造
・夢主瀕死
・暗い、そして長い




リクが笑わなくなった。
それは彼自身が、
もう残り少ない余命をなんとか繋ぎ止める為の手段を生み出そうとした結果のようだった。




【死にたい、死なせない初冬】




「…リク、よく眠っていた」
古い木の扉をそっと閉め、アルヴィスが安堵の吐息をそっと吐き出す。
ナナシは煩い音を立てぬよう、必要以上に意識して、朽ちかけたテーブルに手にしたグラスをゆっくりと置いた。
「…そか」
声音も必要以上に小さくなるのは、やはり薄壁1枚隔てた隣で眠る、幼い少年を思うからだろう。
いや、幼い、と言うには語弊がある。
何故なら彼は小柄、とか童顔、と言うのは外見上当てはまるとして、幼い、とかあどけない、と呼ぶには少々、いやかなり難がある性格をしているからだ。
口を開けば毒と皮肉、
やけに回転の早い頭、
何処で手に入れたのかと呆れる程の戦闘慣れした素早い動き。
さらに、アランすら眉をひそめた莫大な魔力の量。
これに人形のような見目麗しさとすらりとした細身の躰と来れば、天は二物も三物も与えるのかと嘆息してしまう。
だが、それは唯の表。
素早い身のこなしも膨大な魔力も、その身に刻まれた呪いの元凶を倒す為の血の滲む努力の結果だと聞けば、彼がただの恵まれた少年で無いことは火をみるよりも明らかだ。
銀の髪を戴く、悪夢を具現化したような男に呪いの烙印を捺(お)されたのが6年前。
アルヴィスもタトゥの侵攻は進んでいるようだったが、
何の因果かあの男の目論みか、
先にタトゥがその手を伸ばしたのはリクの方だった。


「…ほんなら、アルちゃんももう寝な」
昨日も付きっ切りやったし、
と、ナナシは口元を緩めて笑い掛ける。
実際は昨日どころか、アルヴィスは毎夜毎夜リクの側を離れず、付きっ切りで看病に徹している。昼は外でチェスの侵攻を食い止めている彼は、必然的に身体を休めている暇が無い。
リクの事も勿論心配だったが、ナナシとしてはアルヴィスの体調も不安要素の1つであった。
そろそろ、アルヴィスの体力も限界だろう。
彼の躰にもタトゥは侵攻している筈だろうし、そもそも唯でさえ普通の人間なら体調を崩していてもおかしくない生活サイクルだ。そこへ毎晩寝ずの付き添いと来ては、アルヴィスも間違いなく倒れてしまう。
実際、彼は青い目の下に激動のウォーゲーム中でも見せなかった暗い隈を徐々に浮かばせており、
それが確実に近付きつつある死神の影を想像させて、
阿呆やな、と思いながらもナナシは嫌な予感が収まらない。
だが彼は、
「…俺は大丈夫だ」
と、ナナシの気も知らず、小さく吐息を漏らす。
「大丈夫、て…」
「…心配を掛けて、すまない」
ふっ、と緩む目元。
珍しく穏やかに微笑んだ少年の青い瞳を見つめ、ナナシは思わず動きを止めた。
「…だが、ナナシこそ、休んでくれ」
お前も毎晩、起きているだろう?
何気無く綴られたその言葉に、今度はナナシの目元が緩む番だった。
あちゃーと小さく声を漏らし、ナナシは頭をかく。
「…バレてたん?」
「ああ、毎晩部屋に入ろうかどうしようか、ドアの前で逡巡している気配が伝わってくる程度にはな」
意地悪く言葉を重ねたアルヴィスに、ナナシは思わず声を立てて笑った。
「自分、カッコ悪いのお」
「そんな事ないさ。面白かったよ」
「…酷いわあ、アルちゃん」
もう1度微笑んで、アルヴィスは手近にあった椅子を引いた。
もっとも、とっくに色が落ち随分と木の腐食が進んだそれは、家具と呼ぶよりも廃棄物と名称する方が相応しいかもしれない。
「…だが、今日はお言葉に甘えさせて貰おうかな」
呟き、彼は椅子に腰を掛け足を組む。
そのまま腕を組むと、軽く顔を俯かせた。
「…ナナシ、すまないが少し睡眠を取らせて貰う」
「ぜんぜん構わんで」
どーぞどーぞ、とナナシはひらひら右手を振った。その瞼を下ろしている彼にはもうその光景は見えないはずなのだが、アルヴィスはくすりと笑みを零す。
「……ありがとう」
その声音の思いがけない柔らかさに、
アルちゃん、
と思わずナナシが声を掛けた頃には、
青い髪の少年は眠りに落ちてしまっていた。


ちゃんとしたトコで寝かせてあげんとな、とナナシはぼんやり思う。
チェスに見つかる事を恐れ、こんな廃屋に身を潜めているのだからちゃんとしたも何もそれは絶対に有り得ないのだが、唯でさえ意味を成さなくなった椅子に、本来の機能でない睡眠の供としての役割を求め、深い眠りに落ちているアルヴィスを見ているとうっかりそんな考えが頭をよぎる。
17歳、やったっけ。
ぼんやりと、ナナシは思う。
記憶が欠けている自分がどうだったかなど思い出す術も無いが、17歳といったら、本来はもっと温い(ぬるい)日常を過ごす年代ではないだろうか。
こんな風に、日々埒の明かない闘いに身を費やし、疲れ切り、椅子に腰掛けて眠るなんていう、そんな過酷な日々を送る年頃ではない筈だ。
…それは、あの子も同じやけど。
頭の片隅、ふっと1人の少年が浮かび上がる。
鋭い光の宿る黄金の瞳、歪められた口元、小生意気な口調。
あの瞳が柔らかい光を浮かべるようになったのは、いつ頃だっただろうか。
…そして、あの口元が笑みを形どらなくなったのは、やはりいつ頃だっただろうか。

気付くべきだった。

唐突に胸元へ込み上げてきた悔恨に、ナナシは知らず唇を噛み締めていた。

もっと早く、気付いてあげるべきやったんや。



破壊と血流と硝煙に包まれた町を歩き回り、
間に合わなかったと何度目かもわからなければぶつけるアテもない落胆と激情を腹の底に抱えたまま、
この廃屋の入り口に3人で辿り着いた途端、

リクは、
膝から崩れ落ちた。



気付いてあげるべきやったんや。
ナナシは、ぎゅっと目を閉じる。
ギンタが死んで、敗北が決定して。
その死を悲しむ暇も無く、メルヘヴン全土を我が物顔で蹂躙し始めたチェスを何とか食い止めようと東奔西走して。
何人かで分かれる、
そうアランが提案した時には、彼はもう笑わなくなっていた気がする。
勿論、笑っている場合などでは無かった。
だが、
常なら、敗戦、それが何、と鼻で笑い、チェスなんて何人だろうと関係無いね、数さえいればって考えがもう唯の馬鹿だろ、どうせ奴等は烏合の衆なんだから、
とか何とか散々吐き捨てる筈の彼が、妙に生気の無い顔で沈黙を貫いた、その事をおかしいと少しでも疑うべきだったのだ。
その時点で、彼は侵されつつあったのだろう。
完全に回りつつあるタトゥと、
躰を苛む激痛の。


きぃ、と妙な音を耳にして、ナナシははっと顔を上げた。
咄嗟に身構えたナナシの前で、しかし動きを見せたのはすぐ目の前の古い扉。
風?
訝しげに目を細めたナナシの前で、扉の隙間から零れる闇は、確実にその領地を広げた。
その合間から、そっと顔を出したのは、
「……リク、ちゃん、」
無意識に、口が開く。
ぽかん、と間抜けな顔をしたナナシの前で、しかし確かに隣室から顔を覗かせたのは黒色の髪の少年だった。
「……ナナシ」
ゆっくりと室内を目で追っていた少年が、これまたゆっくりと言葉を紡ぐ。
その声音は酷く掠れていたが、ナナシは全く気にせず弾かれたように立ち上がった。
「リクちゃん!大丈夫やの?!」
動揺と歓喜を混じえた声を上げ、大股で歩みを進めるナナシを見、リクはふっと口元を緩めた。
そして、
「、リクちゃんっ、」
音も無く、
その躰が崩れ落ちる。
「…、悪い」
咄嗟にその肩を受け止めたナナシに、リクが呟いた言葉が小さく聞こえた。
「…お礼なんて要らんよ」
そう答えながら、ナナシはぎくりと胸が冷えていくのを感じた。
反射的に受け止めた肩が、嫌に細く骨張っている。
…彼は、こんなにも痩せていただろうか?
さらにナナシの不安を煽ったのは、その肩の動きだった。
細い肩を上下させ、浅い呼吸を繰り返す少年は、まるで全力疾走でもしたかのよう。
だが、実際のところ彼は寝具から扉までの僅か数歩の距離を移動したに過ぎない。
にも関わらず、この不規則な呼吸音。
支えた手に直に触れる少年の温度は、やけに低く恐怖すら覚えた。
長い間眠りについていた筈の者とは思えない温度。
それはまるで、
確実に、
「……ナナシ、」
掠れた声で名前を呼ばれ、我に返る。
「……悪い、んだけど、ベッドまで、運んでく、」
「わかった」
浅い呼吸の合間、途切れ途切れに呟く彼の言葉が痛々しくて、耐えられずナナシは途中で言葉をぶっちぎった。
無言で、その細い躰を抱き上げる。
「、え、ちょっ」
リクは何やら抵抗するかのような動きを見せたが、すぐに咳き込んだ。
「…リクちゃん、頼むで大人しくしとって」
見ているこっちの息が詰まりそうになる。
「…悪い、な」
リクはまた謝罪の言葉を口にすると、短く嘆息し、ナナシの腕の中で目を閉じた。
ベッドまでの僅かな距離の中、ナナシは腕に収まる程小さな少年の顔を眺めた。
…やはり、気の所為などではない。
リクは、体重が落ちた。
魔力量もかなり減少している。
唇を噛む。


膝から綺麗に崩れ落ち、
まるで糸の切れたマリオネットのように戸口に倒れ込む彼の姿が、
鮮やかに脳裏に蘇った。


…どうして。
どうして、
と。
ナナシは自身に問い掛ける。
自分を自分で殴り飛ばしたい衝動が湧いた。
今自分自身を壁に叩きつける事が出来たら、どんなにすっきりするだろう。


『…リクッ!!』
確かにそう叫んだアルヴィスの声は覚えている。
だが自分の声は微塵も頭に残っていないのだから、人間の記憶などよくわからないものだ。
いや、もしかしたら、自分は一言も言葉を発さなかったのかもしれない。
それ程、衝撃的だった。
ウォーゲームの3rdバトルでロラン相手に敗北を認めた時も、
最終決戦でキメラに全身をずたずたに切り裂かれた時も、
彼は1度も膝を付く事は無かったから。


そっと、決して心地良いとは言えないベッドに彼を下ろす。
硝子細工を扱うかのように慎重にシーツをその上から被せると、リクはゆっくりと目を開けた。
青白い月光の射し込む薄闇の中、
少年の瞳に宿る赤は奇妙な程に薄く。
ナナシは、
何故か、
無性に、
泣きたくなった。


緩やかな放物線を描いて落ちていった、その彼の姿が妙な程に目に焼き付いたのは、彼の髪の色が黄金から深い黒へと、鮮やかに変色していったからだった。
それが何を指し示すかと言えば、
答えは非常に明快で単純で、
ことん、
と有り絵ない程に軽い音を立てて床に転がったその肢体からは一切の力が抜けていて、
閉じられた瞼も開く事の無い唇も、
ただその全身から服を通して赤い光を放つタトゥの紋様がひどく幾何学めいていて複雑で、

ああ、

と、
自分が何か取り返しの付かない過ちを犯したのを、
遅まきながら、
感じた。


「……リクちゃん、」
リクは眠りにつこうとしているのかそれとも意識が朦朧としているのか、
その瞳にそれ以上強い光を宿すことの無いまま、
す、と目を閉じる。
その黒い髪に、そっと指を絡め。
ナナシは、強く唇を噛み締めた。


「……死なんといてな」


そっと、己の手に顔を近付ける。
闇より深い色をした黒に、ゆっくりと口付けた。
はらり、
指から意図も簡単に零れ落ちる黒髪。


頼むから、まだ死なんといて。
タトゥが回り切る前に、君は命を断つんやろう。
もしくはこの苦痛に君の躰が耐え切れず、死へと向かうかの2択なんやろう。
お願いやから、
と。
両の指を組み、
愚かだと知りながら、
神に祈る。


お願いやから、
と。
自分は悪さばっかしてきたから、今更こんな都合良く願い事を叶えてもらえるなんて思っていないけれど。
でも、どうか。
この少年の為なら、叶えてくれたっていいじゃないか。
口を開けば皮肉ばっかで、
制限無く強がってばっかやけど、
でも、でも。
リクは実は他人を結構気遣ってて、
さり気なく人のことよう見とるし、
何より自分の決めた道を真っ直ぐ突き進む、
アルちゃんによく似た、
アルちゃんよりも強くて脆い、
そんな危うくて一生懸命な子なんよ、
と。
ナナシは、
呟く。
血を吐くような想いで、
祈る。
どうか、
どうか神様。
リクに、もう少しの光を。
それが、彼の苦痛を伸ばすとわかっていても。
どうか、あと少しだけ…。



【死にたい、死なせない初冬】



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