戻ってきた日々
■ ■ ■
あれから、いくばくか経った。
「英斗」
恭弥の声はどうしてこんなにきれいなんだろう。英斗はボンヤリそう思った。
キッチンの中、肩越しに振り返り名を呼ぶ彼の顔も、もちろんきれいで美しい。
彼と出会った時から、ずっと変わらない印象だ。
「……ちょっと。英斗」
答えない英斗にムッとしたのだろう。足早にキッチンから出てきた恭弥が、リビングを大股で闊歩しソファに近づく。
「聞こえてるでしょ、英斗」
ぐいぐい。肩を揺さぶられても、英斗はわざと知らんふりした。
まるで人形みたいにあらぬところを見つめて、無反応を決め込む。
しばらくそうしていれば、肩に乗せられた手の力が弱くなった。
「……英斗?」
ほら、こう見えて恭弥は意外と心配症なんだ。
こうやって、すぐに不安そうな顔をする。
「……どうしたの。英斗」
両肩に掛かる重み。くい、と軽く揺さぶられる。
再度、不安げな声が聞こえて、英斗はそろそろだろうと思った。
ここらへんが潮時だろう。心配する恭弥は可愛いし嬉しいけれど、あんまりやりすぎると後が大変だ。全然口をきかなくなってしまう。
「恭弥」
ねえ英斗。ちょっとやめなよ。次々言葉を掛ける恭弥に、おもむろに視線を合わせてにやっと笑う。
その途端、恭弥の肩から目に見えて力が抜けた。
「咬み殺す」
「わわっ!ちょっとしたジョークだって」
「全然笑えないね。不快だ」
確かにちょっとやりすぎたかもしれない。恭弥の目はけっこう本気だった。
慌てて、ごめんと頭を下げる。本当にトンファーで殴られたらたまったもんじゃない。
まあ、口をきいてくれなくなるよりかはましかもしれないけれど。
「……ふん。で、今の君の馬鹿げた真似事のせいで、多分キッチンが大参事なんだけど。どうしてくれるの」
「え、ええっ」
そういえば、恭弥は昼食を作っている途中だった。
「君に卵に醤油を入れるか塩だけでいいか聞くだけだったはずなのに……これじゃあね」
「うわわわわっ!ごめんなさいってば!」
鼻を鳴らし、冷ややかに言い捨てるその背中を慌てて追い掛ける。
その勢いのまま背中に抱きつけば、ぴたりと恭弥の足が止まった。
……しまった。冷や汗が背中をつたう。
一歩タイミングを間違えれば、人に触れられるのが嫌いな恭弥は本気でキレてくる。勢いにまかせてやってしまったが、うわあどうしようこれは明らかに接触するタイミングと度合いを間違えたよな、と内心戦々恐々で、英斗はちらりと目だけ上げた。
短い襟足の下、覗く白い首筋がみるみる赤くなっていくのが目に飛び込む。
あれ、と予想外の反応に目を白黒させていれば、突然、視界がぐるっと変わった。
「……まったく、君は」
ほんとうに。ぼそり、呟いた恭弥の胸に、すぽりと顔が埋まる。
「……小悪魔だね」
ムカつく、と付け加えられた言葉は明らかに照れ隠しで、英斗は嬉しそうに破顔すると、両手でぎゅっと抱き返した。
大好きな、恭弥の体温だった。
声も、笑みも、匂いも、感触も、ーー全部、全部。
『……では、僕と契約しましょう。小野英斗』
あの日ーー六道骸と契約してから、ずっと。
もう一度取り戻せた、恭弥の全て、だった。