本当のさよならを
■ ■ ■
「……きょう、や……」
「英斗」
泣き出しそうな瞳が、こちらを見据える。
ーーそうか。そうだったのだ。
死んだのは、恭弥ではなかった。
死んだのは、自分だったのだ。
「……ごめん」
「……。」
「苦しめたのは、……僕だ」
恭弥の声だった。
苦しみと、悲しみと――痛み。
他にもいくつもの感情が混じっている気がした。ただ何と呼べばいいかはわからなかった。
わかったのは――その声が、自分を目ざめさせた声と、確かに同じだという事。
「英斗……」
「……どうして、謝るの」
肩を微かに震わせる雲雀に、両手を回す。
今さらながら、はっきりと自覚した。死んだ、そうだ。自分は死んでいたのだ。
3か月前、任務の最中に――雲雀を置いて、自分は死んだ。
「……六道骸に、記憶を塗り替えられて……だから、俺は恭弥を生き返らせたと思い込んでた。でも……違ったんだ。全部、思い出した」
「六道に……?」
「うん。きっと、たくさんの契約を交わしたかったんだと思う。……だから、悪いのは六道にまんまと騙されて口車に乗った、俺だ」
「!違う、それは、」
「恭弥」
名前を呼ぶ。ぱっと身を引き、こちらの顔を覗き込んで何か言いかけていた雲雀は、口をつぐんだ。
「恭弥」
白い頬に、両手を伸ばす。いつも滑らかなその肌は、今微かに赤みを孕んでいた。
「……俺は、恭弥に感謝してる」
するり、そのまま頬を手で包む。挟むように、温めるように。
温めるための体温は、自分にはもう存在しないけれど。
「何を、言うの」
雲雀の目が、また苦しそうに光る。
そんな目をして欲しくなくて、英斗はそっと微笑んだ。
わざとらしいくらいに、頬を引き寄せ顔を近付ける。
「だって、生き返らせようとするくらい、恭弥は俺が大好きだったんだなあって」
「!君……!」
「へへ」
一瞬、大きく目を開いた雲雀が、次の瞬間目を逸らした。
ぱっと英斗が手を放せば、図ったようにぽすん、と肩に雲雀が頭を乗せる。
「……だった、じゃないよ」
「?」
「……大好きだった、じゃない。……過去形なんかに、するな」
少しの間、ぽかんとして――言葉の中身を理解した途端、発火する。
「……うん」
肩に乗る黒髪を、そっと梳く。
さらさらとしたその手触りは、確かに雲雀のものだった。
「君は、朝は寝過ごしてばかりで」
「……うん」
「……卵、いつまでも醤油入れる派だった」
「だって、美味しいよ」
「邪道だ」
「塩だけなんて、シンプルすぎる」
「掃除当番も、すぐに忘れるし」
「……それは、ちょっと反省してる」
「凄い花畑、できるって言ったのに、いなくなるし」
「……うん」
「でも」
ふいに雲雀が顔を上げる。
手触りの良い黒髪が、さらりと手から零れていった。
「もう、いいんだ。……凄い花畑、見れたから」
雲雀は笑っていた。
少しだけ口端を上げて、どこか晴れやかに微笑んでいた。
「……うん。俺も、恭弥の涙が見られて、満足」
「馬鹿言わないで。僕は泣いてない」
「ええー」
往生際の悪い、そう笑って英斗が身を離せば、雲雀はもう動かなかった。
こちらの肩へ頭を寄せることも、抱きしめようと手を伸ばすこともない。
「僕は泣かないよ」
そう言ったまま、雲雀は花畑の前に突っ立っていた。
その言葉が合図だったかのように、雲雀の後ろ、色とりどりの花達が、いっせいにさざめきだす。
「……うん」
英斗は、一歩後ろへ下がる。
どうなるかなどわからなかった。でも、最後まで見ておきたいと思った。
色鮮やかに煌めく花々の前、無表情に立ち尽くす雲雀の姿を。
その頬をつたい落ちる、透明な涙の筋を。
「……恭弥」
「英斗」
感覚が、遠のいていく。
手も足も身体も、形あるもの全てが薄れていくその中で、
最後に、唇を動かした。
――ねえ。
愛していたよ、恭弥。
あなたの、あなたと過ごした日々の、全てを。