お題 | ナノ
出逢い

■ ■ ■


"私の拳銃はそこに、テーブルの上にのっている、―私はその引金をおこした、―諸君は断じて旧い手紙を読んではいけない!"

世間の人は大きな苦悶や悲歎を探し出そうとして、自殺者の生涯をいたずらに穿鑿する。だが、多くの人が自殺をするのは、以上の手記にあるようなことに因るのであろう。
(『ある自殺者の手記』/モーパッサン ギ・ド)






その少年に出逢ったのは、薄汚れた路地裏の、その果てだった。


「イヴ」
名を呼ばれた。足早に路地裏を通り抜けようとしていた体が、止まる。
舞台用の名前だった。もちろん本名などではない。ほんの一握りの人間だけが知っている、自分が告げた名前でもない。
だから振り返る必要などなかった。別に、そのまま足早に立ち去れば良かったのだ。
それでもネズミが振り返ってしまったのは、呼びかけられた声音に力があったからだ。
力ー否、魔力。まるで引き寄せられるようなー足を止め、振り返らなくてはならないような、そんな。

「初めまして」

目を向けた先にいたのは、少年だった。
西ブロックの細い路地、ただでさえ暗いその道の影に引っ込むようにして、相手は佇んでいた。闇に溶け込むような眼。細い肢体。
この西ブロックでとっくに見慣れてきたような姿に、しかしその顔を見たネズミはぎくりとした。

美しい。

おそらく、舞台に上ればそれなりの客はとれるのではないか。職業柄か、そんな考えがふっと浮かんで消える程度には、彼は。
黒い影の中、ぼんやりと見えるその顔を見つめる。数秒そのまま見つめ合い、ネズミは口を開いた。
「俺に、用かな」
「いや。ただ、舞台を見ていた」
間髪入れずに答えが返る。ネズミはやや面食らった。
すぐさま返ってきた言葉と、その内容。どちらにも、戸惑いを覚える。
「……は?」
「良い舞台だった」
短く告げられた言葉に、一瞬理解が遅れた。
「…あ、ああ、そう」
「うん。久々に、良い舞台を見た」
まばたきをする。
闇に佇んでいた姿が、するり、動いた。

「本名は、なんていうんだ?」
「え?」
「本名。イヴは表向きの名前だろう?」

すぐ目の前に現れた少年を、見つめ返す。
音もなく距離を詰めた相手は、闇から抜け出してもなお、その容貌の端整さを損なっていなかった。むしろ、増している。
「…人に名前を聞く時は、自分から名乗るのが礼儀ってもんじゃないの」
「ああ…それもその通りだな」
うっすら、口角をつって少年は笑う。
一見、自分とそう変わらぬ年に見える相手にーネズミは、拳を握りしめていた。

なんだろうか。胸がざわつく。
目の前の少年は見た目通りにただ美しいだけではない。そんな予感。感覚。
そして、己の感覚はいつも間違えない。違えることはない。

「伊織」
「……は?」
「名前。俺の、名前だ」

視線を合わせる。見つめ返す瞳は、揺らぎもしなかった。ただ笑みを含んでいた。
「……伊織」
「そう」
息を吸う。不思議な響きだった。本名か、偽名か。

どちらでもない。

ふっと、そんな考えが浮かんだ。
本名ではない、だが偽名でもない。
強いて言うなら、自ら付けたかのような…。

「…君の名前は?」

問われ、我に返る。
それから、自分がどんな馬鹿らしい事を考えていたかに気が付き、頬が熱くなった。

「…ネズミ」
「…ネズミ。へえ」

うっすら、なぜか少年は笑った。

「ネズミ。…君に、ひとつ忠告をしといてあげるよ」
「は?」
「君は、いつか間違いなく、」


その時伊織が囁いた言葉を、ネズミはついぞ一生忘れることができなかった。
言葉ー否、違う。声音。確かな、密かな宣言。


「このNO.6を、滅ぼすだろう」



それが出逢いだった。

この、人を惹き惑わす不可解な奇妙な少年とのー
邂逅だったのだ。



人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -