おはよ、目覚めて、思い出してね忘れないでね
目を開ける。
さて、そこには誰がいる?何がある?
『おはよ』
一瞬、本気で何もわからなかった。
降ってきた声があまりにも無機質だったから、というのもある。まるで機械じみた冷たい声。いや、冷たいんじゃない。感情が無い。
だがそれより、
「……は?」
『……目覚めて』
真上に、”自分がいる”。
信じられない思いで、悠馬はただ上を仰いだ。天井を見上げるように仰向けに転がった自分の上、塞ぐように、否押し潰すように跨っているのは、
「――っ、リューマ、」
『違う』
するり、頭は真っ白なのに口から勝手に言葉が零れる。
だが、相手は瞬時に否定した。とん、耳の真横に手を突かれる。
――喰われる。
そう思った。飲まれる、この「自分」に。
目を見開いた悠馬の上、押し倒した格好で止まった「悠馬」は、少しだけ首を傾けた。まるで、言い聞かすように。宥めるように。
『……『リューマ』は、』
指が伸びる。
10本の開いた指先が、こちらに、
『……『リューマ』は、君でしょ?』
瞬間、ガッと喉元を掴まれた。
「――悠馬君!!」
はっと目を開ける。途端、白い光が目に突き刺さった。眩しい。
「、まぶし、っては?眩しい?」
「盛大に寝坊ですよ悠馬君!君が起きないとか珍しいですねお目覚めのキス!」
「早口紛れにセクハラはかるのやめてください六道先輩」
がばっと両手を広げ、飛び込んできた相手の頭をがしっと掴む。そのまま思いっきり布団の向こうへぶん投げてやった。あー、朝から重労働。
「何するんですか悠馬君!」
「君達騒がしいのはけっこうだけど、遅刻したら咬み殺すよ?」
「うわっ、雲雀先輩おは――、ハ?」
遅刻?
突如ドアからひょっこり顔を出した雲雀に、猛烈に嫌な予感を覚えて悠馬はパッと振り返る。何をと言えば、窓際にある目覚まし時計を。
「……は、はあぁあああああ?!」
「珍しいね、君が起きるの遅いだなんて。悠馬」
「なっ、ちょっ……起きてたんなら起こしてくださいよ雲雀先輩!」
「僕がそんな無駄な労力を使うと思う?」
「ですよね知ってましたー」
安定した返事が返ってくる。今更涙も出てこない。人間とは日々強くたくましく生きる事のできる生物なのだ。野々原悠馬16歳、今日もこんな先輩たち相手に精一杯生き抜きます。
「それに、」
ぷちぷち、すっかり支度をし終え、シャツのボタンをはめるだけの雲雀が口を開く。
「遅刻すれば、制裁って名目で君を応接室に連れ込めるし」
「ちょっと聞かなかったことにします」
実際、前科があるゆえ恐ろしい。この前うっかり遅刻した際、悠馬は応接室へ連行された。両脇をリーゼントにがっちりホールドされて。
ちなみにもっと怖かったのは、その後雲雀と2人っきりにされた応接室での事である。
「ちょっ、君何してるんですか雲雀君!職権乱用でしょう!」
「ふふん、残念だったね六道。あの時の悠馬は可愛かった」
「なっ……何をしたんですか雲雀恭弥!その時の写真は無いんですか?!」
「あったらどうするつもりですか?」
今にも雲雀に掴みかからんとばかりの骸へ向けて、悠馬は制服を投げつける。遅刻確定の時間に目覚めてからここ数分、彼は未だに寝間着なのだ。とりあえず着替えろよ。
「ぶふっ!、それはもちろん焼き増しします!」
「増やす理由がわかりません」
見事に顔面で制服をキャッチ、したのちに骸がそれはそれは良い顔で笑う。
「100枚全て、枕の綿にして寝ます!!」
「」
狂気の沙汰か。
「……ちなみに今日遅刻したら、悠馬、前より数増やすからね」
「は?ちょっと待てあんた今なんて、」
骸のどこまでも危うい発言のどこの角度からツッコむべきか、審議のほどを内心真剣に考えていたところでコレである。悠馬は思わずがばっと雲雀の方を振り向いた。
「増やす?!だっ、駄目に決まってるでしょう雲雀恭弥!彼の負担も考えて、」
「負担にならなきゃ制裁の意味がない」
「ふざけんな、前のでも俺死にかけたんですけど?!」
「まあ僕もちょっと張り切りすぎたよね。悠馬は初めてだったし」
「はっ……、君、初めて奪ったんですか?!」
「あー……アレは確かに初めてだった。死ぬかと」
「悠馬君?!君、何平然としてるんですか、そこは訴えていいところですよ?!」
お約束通り何か勘違いしている様子の骸は視界からシャットアウトして、悠馬はとりあえずシャツの袖に腕を通す。何にしろ制服を着なければ話にならない。
ちなみに前回、悠馬に施された記念すべき初制裁は、書類整理×3(束の数)であった。
悠馬一生のトラウマである。
「……で、悠馬君、大丈夫ですか?」
「え?」
雲雀がさっそうと出て行き(咬み殺すために校門で待っててあげるから覚悟しなよ、が行ってきます代わりの挨拶だった)、骸と2人になった空間で突如言葉を掛けられる。
振り返れば上着を羽織った骸が、心配そうな目でこちらを見ているところだった。
「……?何が?」
「うなされていたでしょう」
まばたきをする。手元からネクタイが落ちた。
「……え、」
「嫌な夢でも見ていたんですか?」
問われ、唾を呑み込む。心臓が重たく脈打った。
一瞬で思い出す。声を、押し倒された感触を、首を掴んだ両手を、
『――リューマは、君でしょ?』
ずくり、
と、頭が、
「――ッ!」
「え、悠馬君?!」
こめかみを押さえる。一瞬、視界がぐらりと揺らいだ。
息を吐く。思ったよりもずっと荒い呼吸音が耳に引っかかった。痛い。
「……『おは、よ』?」
「悠馬君?!どうしたんですか、頭が痛いんですか?」
「ああ、……」
駆け寄ってきた骸の影が、足元に落ちる。よほど慌てていたのか、直後にバタバタと物が落ちる音が遠くで聞こえた。骸が落としたのか、それとも持っていた物を自ら放りだしたのか。
「……『めざめ、て』……」
呻く。頭痛は引いてきていたが、ぐちゃぐちゃと脳内を侵す映像の断片が、代わりのように次々浮かんでは鮮やかに色付いていった。
「……なんて、」
なんてことだ。
「……『目覚めた』、よ。……レイト」
目をつぶる。ぎゅっと、強く。
真っ黒な世界のその奥で、いつかの記憶が弾ける。蘇る。
佇む、ひとつの姿。笑んだ半月の口の形。
『……思い出してくれた?』
フードの下で、かつての仲間は薄く笑った。
「――っ、『リューマ』」
目を開ける。両手を、きつく握りしめていた。
それが、かつての自分の名前。