Roommate! | ナノ
ただいまルームメイト

 部屋に帰ると雲雀先輩がいました。



「あー……そうでした」
「何が」
「や、忘れてました……ルームメイト」
「この僕のことを忘れるだなんて、良い度胸だね」
 ぶおんっ!
「喋るか武器振るうかどっちかにして下さい」
 軽く避けながら悠馬は深々とため息をついた。


「……で、何してるんですか?」
「風紀の仕事」
 机(雲雀が自室から持ち込んだ)に大量の書類を広げ、何やら忙しげにペンを走らす肩越しを覗きこむ。
 見ればカッチリした文書に赤ハンコの連続。
 ……めまいがした。
「……何すかこれ。明らかに高校生が手出していい書類じゃないですよね」
「?こんなの中学から変わらないけど」
「まじか」
 なんていう中学時代を歩んでいるんだこの人は。
「あ、ここミスってますよ」
「は?」
 ひょい、手を伸ばし肩越しに書類の一点を指す。
 伸ばしたひょうしに雲雀の耳に袖先がかすめ、煩わしそうに肩をすくめられた。あ、すみません。
「ほら、ここ日付け」
「どこ」
 不機嫌そうな低い声が返ってくる。完璧主義っぽそうだもんな、と考えながら悠馬はさらに身を乗り出した。悠馬の体で圧迫された椅子の背もたれが負担に軋む。
「ここですよ」
 言った瞬間、びくりと動く雲雀の肩。
 え?と首を回してぎょっとした。真横には雲雀の耳、どうやら身を乗り出しすぎていつの間にか近づきすぎていたらしい。すみません。

「……君、うっとうしいんだけど」

 カチャ、喉元に突きつけられる緊急警報。
 ていうか椅子に座ったままよくトンファーかまえられますね、と悠馬は思う。

「すみません、うっかり」
「君パーソナルスペース狭すぎ」
「ぱー……はい?」
「パーソナル・スペース」
「何すかそれ」
「おまけに馬鹿と来た」
「先輩が虐めてきます」
「避けるしか能がないとはね」
「何ですか?俺に泣いてほしいんですか?」
「っていうかいつまでこの距離なの。早くどいて」

 いまだ雲雀の肩に顎をのせるような体勢の悠馬に、顔をしかめ体をひねる毒舌先輩。
 雲雀の発言にちょっとむっと来ていた悠馬は、おや、と思った。
 これはもしかすると、

「……絶好の反撃チャンス?」
「は?何言ってるのきー」

 み、と続けた雲雀の言葉が引きつった。
 ふうっと雲雀の耳元に息を吹き込んだ悠馬は、口角を上げさらに顔を寄せる。
「耳弱いんすね雲雀先輩ー」
「……っ!耳元で喋るな!」
「え?なんか言いましたー?」
「……っ」
 わざと首に手を回しささやけば、面白いほどにこわばる雲雀の体。
 これは良い弱点を発見したぞ、と悠馬は珍しくにやりと笑った。
「これ以上やられたくなければさっきの言葉を撤回、」
 してください、と言い終える前に。

 ぐるんっ、と視界が回転した。

「えっ、」
 雲雀が勢いよく立ち上がったのだと理解した瞬間、襟元に飛んでくる手が見えた――え、手?
 鈍色の凶器だったら即座に反応するところ、しかし予想外のパターンに悠馬の動きは一瞬遅れた。
 そして――その遅れが、命取りとなる。


 バタン!


「……え、」
「よくもやってくれたね」
 床に直撃した背中と後頭部がずきずき痛むのを感じながら、悠馬はぽかんと頭上を見た。
 ぐぐっ、とこちらの手首を掴み、腹に跨って笑みを浮かべる雲雀というのは、なかなか寒気がする光景だった――こう、肉食獣に捕まった草食動物の気分のような。
「僕に余計な事をすると、どうなるか知ってるかい?」
「……今思い知りました」
「そう、本当に馬鹿だね」
 ぐっ、と近づく雲雀の顔。
 そういえばこの人もなかなか美形だな――そんなことを思った次の瞬間、さらりと首筋を何かが擦れて思わず息を呑んだ。細い髪の毛。
「……僕のことをからかおうだなんて、命知らずだね」
 耳元で囁かれ、不覚にも肩が跳ね上がる。
「ちょっ、まっ」
「千倍返しは覚悟しておきなよ」
 ふっ、と耳に吐息がかかり――思いがけないくすぐったさにひゅ、と喉が鳴る。
「ふん、君も弱いんじゃないか、耳」
「っ、何がですかせんぱ、いっ」
 反射で返した言葉の途中、息を吹き込まれて声がかすれる。
「……っ、放して、もらえますか」
「やだ」
 何がそんなに楽しいのか、耳元でくすくす笑う雲雀の声。その声にすら肩が震えて仕方がない。
「、あ、うっ」
 思わずあがった声に慌てて口をつぐんだ。妙に裏返った声が出た。うわ恥ず。
「……っ、ほん、とに、」
 放せよこのどS、と悠馬は目の前の黒目を睨みあげる。

 と、

 ここでなぜか、雲雀がぱっと目を逸らした。

 え。
 え、は?
 その目の下、色白の頬がじょじょに赤くなっていくのを見、
 え、ほんと何すか、と悠馬がぽかんとした、その時――。


 ドゴッ!


「ただいまです悠馬……って、な?!」
 非常に聞き覚えのあるドアの開く音とともに、もう1人のルームメイトがご登場。

「……あ」

 声をあげたのは悠馬だった。上に乗っかったままの雲雀は、むしろさっきと打って変わった、平然とした表情で骸を見返した。
「なっ、な……!何してるんですか2人とも?!」
「仕返し」
 アッサリと答えた雲雀が手首を解放し上からどく。
 悠馬はほっとして立ち上がった。
「お帰りなさい六道先輩。遅かったですね」
「え、ええ少し凪と話が……ではなくて!」
「そのまま帰って来なくて良かったのに」
「2人とも何をして……って、悠馬君?!今君なんて?!」
 まあ半分は嘘だ。骸が来なければあの妙な空気感のままだった気がする。
 気まずいような、妙に緊張するような――て、なんだそれ。
「たまには六道先輩も役立ちますね」
「君本当に失礼ですよね?!……て、雲雀君?!どこ行くんですか?先ほどの行動の説明は?!」
「煩いんだけど」
 ヒュオッ。
「当たりませんよ!残念でしたね……って、雲雀君!今の隙に出てくとかなしですよ!」
 喚く骸の背中を眺め、悠馬はいまだぴりぴりする耳たぶを触って息を吐いた。


 ふい、と逸らされた黒い瞳。
 白い頬にのぼる赤色。


 ――ほんと、いったいなんだっていうんだ。


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