偽りのツバサ | ナノ
出会い

 ドサッ、と地に投げ出された。
 いてて、と呟き背中をさすりながら顔を上げる。


「……久しぶりね、瑠依」
「久しぶり、ですねえ侑子さん。相変わらずお綺麗で」


 口説きたくなります、とにっこり見上げる瑠依とは対照的に、静かに眉を寄せる黒髪の美女。
 彼女が「次元の魔女」こと、壱原侑子。
 瑠依とは相容れない存在でもある、それが彼女。

「突然呼ぶなんてどうしたんです?遂に俺と結ばれる気になってくれたんですか?」
 へら、と笑う瑠依に、侑子は眉を寄せたまま。
「あなたと結ばれる気は無いし、さらに言うなら呼んでもいないわ。あなたが自らここに来たのよ」
「へ?何言って、」
 るんです、と瑠依が最後まで言う前に、

 鼓膜をつんざく高音が響いた。

「うわっ」
「んだあここは?!」
「えっなに美形」

 思わず耳を両手で塞ぎながらも目を見開く瑠依に、地から現れいきなり叫ぶ男。
 全身黒ずくめの男がまとう血の匂いに瑠依は一瞬眉をひそめた。

 頬の返り血と硬い素材で覆われた身体。
 ……なるほど、そういう類いの人間か。

「……まあそれなりに美形だから問題ナシ、と」
「てめえ、さっきから何ぶつぶつ言ってやがる」

 ギロ、と睨みつける眼光ににっこり笑い返すと、侑子がすっと手を伸ばした。

「先に名を名乗りなさいな」
「俺は黒鋼だ。ここはどこだ」
「日本国よ」
「ああ?俺がいたところも日本だぞ」

 さっぱりだ、と口角を上げる男は、どうやら状況を理解していない様子。
 一方、優雅に挨拶をしたもう1人の青年を見、瑠依はすぅ、と目を細めた。

「やっべ、超絶美形で俺の好みなん、だけ、ど……」

(あの人の呪い付き、かよ……)

 おいおいまじか、と内心でつぶやく。
 その声が聞こえたわけではないだろうが、ふと気がついたように白服の男が振り返った。

「あれ?君は?」
「……瑠依、と申しますー。どうぞよろしくお願いしますね、ファイさん。俺あなたみたいな美形すっごく好みなんで」
「わー、黒いのと違って友好的ー」
「誰が黒いのだ!!」
 ていうかお前は相手のセリフに突っ込めよ!となにやらさっそくコントを繰り広げる3人の前、侑子が凛とした声を響かせた。

「あなた達4人の願いは同じなのよ」
(4人?)

 眉をひそめ、首を回す。
 横に視線をやれば、黒服と白服の間に1人の少年がいた。うわあ気がつかなかったなんて俺うかつ、そう思いながらその姿をまじまじと見つめ、


(……!!)


 息を、呑んだ。

 茶色の髪にまっすぐな瞳。
 ぐったりとした少女を抱えたその姿は、

 よく見覚えのあるもので。


(……なぁるほど……)


 侑子の説明を話半分に聞きながら、瑠依はきゅっと愛用の武器を握りしめた。
 腰に下げたチャクラムを掴む指先が、微かに震える。

 はじまった、というわけか。

「あなたの対価は……って、ちょっと聞いてるの?瑠依」
「へ、え、ああ、うん」
「……あなた絶対聞いてなかったでしょう」
 この状況で聞き流すとか本当にあなたは……とぶつぶつ呟く侑子の向こう、浮かび上がるのは精巧な刀と魔術を伴ったイレズミ。

「……対価、かなあ?」
「その通りよ。さすが飲み込みは良いわね」
 内心に収めたつもりが口に出ていたらしい。
 瑠依の呟きにはあ、と侑子は息を吐き、それで話をちゃんと聞いていれば文句ないんだけど、とぼやく。
 そのままなめらかな仕草で、彼女はこちらに手を差し出した。


「あなたの対価は、禁呪の術印」


 一瞬、頭が真っ白になった。


「……冗談ですよねー?」
「言ったでしょう……て、あなたは聞いていなかったんだったわね。対価は、最も価値のあるものを、よ」

 息を吸い込む。
 そりゃね、そりゃそうだろうけど。

「……そもそも俺、なんでこの旅に参加すること決定してるんですかねー。まだ世界を渡るための魔術具、効果切れてないですよ?」
「何を言っているの、瑠依。あなたの願いはただひとつ」
 侑子の目が、まっすぐにこちらを見据える。



「この旅に参加すること、でしょう」



 ああ、と瑠依はため息をついた。
 あながち彼女の言葉は間違っていない。

 それに、と侑子の切れ長の目を見つめる。
 そう、それに結局のところ、俺は綺麗なものには抗えないんだ。
 世界は常に美しいものを中心に回ってる、って俺は信じてるくらいだし。ねえ?

「へえ、そーなの?」
「別の世界に用があるんじゃねえのか、ソイツも」
「ええっと、厳密に言うと違うんだけど、この旅に参加したいのはまじで本当」
「なんだそりゃ」

 首をかしげるファイと怪訝そうな黒鋼ににっこり笑む。
 なら決定ね、と呟く侑子の声が聞こえた。

 この旅に参加すること。
 侑子は、わざとぼかして言ったのだ。

 自分の、『願い』。
 罪に汚れきった自分の手の内で、
 唯一まだ救えそうに思えた、あの存在。

(……はじまった、んだな)

 こちらを見る、侑子の瞳を見返す。
 彼女は、あえて自分をここに引き寄せたのだ。
 ……全てを元に戻す、そのために。


「あなたの対価は、その魔力を封じ一切の魔術の使用を不可能にしていた、その禁呪の術印」
「……わかりました」
 ああもう、しょうがないな。

 目を閉じる。
 何年も昔に自らかけた禁断の術が、体からほどけるように浮かび消えていくのを感じた。

「これでいいんですよねー?」
「ええ」

 周囲を浮遊する紫の幾何学的な紋様を、侑子はひとつにまとめ引き寄せた。
 ふわり、ふわりと浮かび上がる、魔力を放つ複雑な術印。
 体が軽い。
 解放された魔力が体に満ちるのと同時に、ふと違和感を覚えた。

(……まだ術がかかってる?)

 体内に痺れたような感覚がある。
 眉をひそめ探った瞬間、

 ピリッと弾かれ痛みが走った。

「……っ!」
「どうしたの?」
「あ……」
 反射で胸元を抑えた瑠依は、顔を上げた。
 いつの間にか随分近くにいたファイが、不思議そうにこちらを覗き込んでいる。
「……いや、気のせい、たぶん」
「そうー?」
 とぼけたような物言いだが、その奥の目は鋭く光っている。
 あの人の呪い付きだし、この青年とは相性が悪いかもしれない。美形なのにもったいない、と思いながら瑠依は息を整えた。

 この胸の奥の違和感はなんなのか。
 既視感のある魔術にいやな予感を覚えながら、瑠依は少年、否小狼に語りかける侑子に向き直った。

「……モコナを受け取るなら、あなたとその子の関係はなくなるわ。その子の記憶をすべて取り戻せたとしても、その子の中にあなたに関係する記憶だけは決して戻らない。それがあなたの対価。それでも?」

 残酷な。

 瑠依は細い横顔を眺めた。
 雨でけぶる視界に映るのは、
 暗い水槽の中でたゆたうあの姿と変わらない、凛としたまっすぐな面持ち。

 どんな過酷な対価であっても、彼は決してためらったりなどはしないだろう。

 だって、それが自分のよく知る、小狼だから。



「……行きます。さくらは絶対、死なせない!」



 響く、固い決意の声。
 ああ、と瑠依は目を閉じた。

 旅が、始まった。


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