Another NO.6 | ナノ
魔と聖

 人は化け物、世にない物はなし。
(『西鶴諸国咄』序/井原西鶴)




「しおん。しおん、と言うんだ」
 頭の中で即座に変換されたのは、『紫苑』。
 なるほど、花の名前か。
「そんなこと、イオリはもう知ってるぜ」
 傍らのイヌカシが渋面を作る。鼻がヒクついていた。
「おれが情報を売ったんだからな、タダで」
「タダ?」
 紫苑の隣、腕を組み壁にもたれていたネズミが、ぴくりと眉を吊り上げる。
「何言ってんだ。ちゃんと払っただろ」
「はあ?何をだよ」
 思いきり顔をしかめるイヌカシに、ふふっと口元を指で押さえる。
「キスしてやったじゃんか」
「な、あれは!」
 途端、イヌカシが顔を真っ赤にする。
「イオリ、本当の話か?」
「そうだよネズミ。イヌカシったら全くウブなんだからな、キスひとつで顔赤くし」「黙れ!」
 飛んできた拳をひょい、と避ける。ネズミはわずかに眉をひそめたが、結局何も言わなかった。
「……ええと、」
 とそこへ、困った顔をする紫苑。
「あ、ごめん。こんな茶番に付き合わせて」
「てめえ、何が茶番だ!」
「きみの名前は?」
 再び噛み付くイヌカシを片手であしらい、紫苑に向き直る。深い黒の瞳が、こちらをまっすぐ見つめていた。
 すごいな。まるで湖みたいだ。
 ここ何年も見ていなかった瞳に、イオリは若干たじろいだ。
「イオリ」
「……イオリ?」
「そう、イオリ」
 しばらく問答を繰り返す。紫苑がにっこり笑い手を差し出した。
「よろしく、イオリ……あっ、もしかしてきみも指輪はめてるのか?」
 きょとん、と瞬きをしたところで思い出す。前にイヌカシが言ってたやつだろう。暗殺用の指輪を嵌めて、騙したとかいう。
 思わずイオリは吹き出した。
「俺はそんな姑息な事はしないよ」
「誰が姑息だ」
「そっか、安心した」
 いらいらと言葉を挟むイヌカシを無視し、安堵の笑みを浮かべる紫苑と握手する。
「俺は殺る時は真っ向から殺るって決めてるから」
 意味が理解できなかったのだろう。怪訝そうな顔をした紫苑の後ろで、ネズミが両手を上げ怖い怖い、とつぶやいた。


|3/15|bkm

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