夢の世界に溺れる | ナノ
暴走、狂気、つまり虚無
「っ、まだ動けたとかっ、」

 悪態をつき、リテューは勢いよくメイスを振るった。
 相手はタトゥの廻りかけた少年。激痛に苛まれ地を這い、目を閉じ肩を震わせる、そんな彼にはもう意識すらないだろうと思っていた、

 のに。

「っ?!」
「――デリッド」

 無表情に紡ぐ相手。淡々とした口調。
 いっそ空虚なほどのそれらに、本能的な恐怖を感じて、


「――あッ?!」


 同時に、目の前が赤く弾けた。
 




「なっ、んで……っ、かはッ、」
「……。」

 咳込み、吐血する。ビチャッと黄土の砂地が赤く濡れる。
 口元を拭い、リテューは肩をわななかせ相手を見上げた。一歩一歩、こちらへ無言で歩を進める、少年の姿を。

 恐ろしいほど禍々しい魔力をその全身から放つ―ー小柄な、体を。

「……君、その、魔力は……」
「死んでない」

 思わず、問いかけて――え、とリテューはぎくり、体を強張らせた。
 おそるおそる、少年の目を見つめ返す。
 今、なんて?

「……アイリスの花」

 リテューの問いに答えが返ることはなく、
 次の瞬間、鼓膜を爆音が貫いた。





「あ……ぐっ、ケホゲホッ、ぁ」

 血が止まらない。肩を押さえた右手から、次々に鮮血が流れ出る。
 リテューは口元を歪めながら、顔を上げた。

 足は、動かない。先ほどの爆発で完全にやられた。立ち上がれない。
 砂地に膝だけ付いたまま、視界の利かない周囲に目を細める。

 今の、爆発……。

 信じ難い威力だった。最初に一発食らった時より遥かに強力で、加減も何も一切無い。
 だが、あの距離で彼は"足元を爆破させた"。あの少年自身、爆発に巻き込まれたはずだ。
 一体、なぜ……。

 ザッ。

「!」
 リテューは、目を見開く。
 晴れた視界に、先ほどと同じくこちらへ足を運ぶ、あの少年の姿があった。

「……え、」

 思わず、声が漏れる。だが、少年は立ち止まりもしなかった。
 その頬に、肩に、足に――紛れもない、黒々とした焼き痕と血糊を貼り付けたまま。
 血糊?否、違う。あれは、彼自身の傷口から流れる、血液、で――。


「……嘘、でしょ」


 リテューは呟く。その声が震えるのを、どうすることもできなかった。

「まさか、傷を……怪我を負っても、何も……」

 少年は、無表情に歩みを進める。
 ポタリ、ポタリとその後ろに、傷口から浸みだす血の赤が跡を残しても。

「何も……感じていないと、いうの……」

 その瞳に、先ほどまでの光はない。一切の感情もない。
 あるのは、ただ――黒。彼の全身を夥しく包む魔力と同じ、無機質で、動かない、平坦な色。

「……まだ、か」

 ぴたり、不意に足を止めた彼は、ぽつんと一言呟いた。
 その声音に、リテューは瞬間的に悟る。息を呑む。


 ――今の彼には、痛みも言葉も、何ひとつ届きはしない。


「……クレイモア」

 囁くように言った少年の、その両手の内で魔力が蠢く。
 1人の人間が持つにしては、あまりにも――空恐ろしいほどに不釣り合いなその莫大な魔力は、ぐにゃりと歪み、少年の腰で強く光った。
 途端、腰に下げられていたチェーンが、鈍く危うげな光を放ち、形を変える。変形する。

「……な、」

 リテューが口を開ける。シーは無言のまま、空中でパシッと剣の柄を掴んだ。
 重たく冷たく光る厚い刃先を、クルリ、易々と回転させ、すっと突き付ける。

 砂漠に座り込み、動けずにいる、リテューの頭へ。

「……あ、」
 その時になって、リテューはやっと気が付いた。
 彼の――その、首元のチョーカーに挟み込まれていた花が、黒く枯れ、その効力を失っていることに。

「……あり、えない……」

 呆然と声を漏らし、リテューは乾いた笑いを零した。
 信奉し、恐怖さえ覚えている上官――参謀と呼ばれる、あの人のアームを、彼は根本から破壊してしまったのだ。しかも、ホーリーアームではなく、魔力で。

 そこでやっと、リテューは察した。
 目の前の少年が、「化け物」であることを。

「刃よ、……変化せよ」

 呟いた少年の手元で、刃先がぎらりと黒く光った。
 魔力をまとい、ますます鋭利さを増していくその武器に、リテューはぐっと唇を噛む。
 両手で剣を構え、こちらの頭の上で動きを止めた相手の肩へ――最後の抵抗とばかりに、発動させたメイスを、一瞬で振り下ろす。


 鈍い、手応えがあった。


 は、と思わず息を吐いたリテューの前で、肩にメイスの切っ先を深々とうずめた相手が、こちらを見、片手を剣から放した。

 え。

 少年の顔は、無表情だった。本当に何もない。
 実際、まるで何事もなかったかのように、彼は無造作にメイスの刃を掴み、そして、

「……え、う、そ……」

 ズルリ、
 一切の躊躇もなく、引き抜いた。



 ぱたん、力を失った両手が、柔らかい砂地へ落ちていく。
 リテューは茫然と口を開けたまま、振り上げられる刃をただただ眺めていた。
 滴る鮮血と、空虚な瞳と――そこに映る、自分自身の金色の目を。

 少年は、なんのためらいもなく黒い剣先を振り上げ、一瞬で振り下ろし、




「――やめろ、シーッ!!」




 ドスッ、と、鈍い音がした。


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