暴走、狂気、つまり虚無
「っ、まだ動けたとかっ、」
悪態をつき、リテューは勢いよくメイスを振るった。
相手はタトゥの廻りかけた少年。激痛に苛まれ地を這い、目を閉じ肩を震わせる、そんな彼にはもう意識すらないだろうと思っていた、
のに。
「っ?!」
「――デリッド」
無表情に紡ぐ相手。淡々とした口調。
いっそ空虚なほどのそれらに、本能的な恐怖を感じて、
「――あッ?!」
同時に、目の前が赤く弾けた。
▼
「なっ、んで……っ、かはッ、」
「……。」
咳込み、吐血する。ビチャッと黄土の砂地が赤く濡れる。
口元を拭い、リテューは肩をわななかせ相手を見上げた。一歩一歩、こちらへ無言で歩を進める、少年の姿を。
恐ろしいほど禍々しい魔力をその全身から放つ―ー小柄な、体を。
「……君、その、魔力は……」
「死んでない」
思わず、問いかけて――え、とリテューはぎくり、体を強張らせた。
おそるおそる、少年の目を見つめ返す。
今、なんて?
「……アイリスの花」
リテューの問いに答えが返ることはなく、
次の瞬間、鼓膜を爆音が貫いた。
▼
「あ……ぐっ、ケホゲホッ、ぁ」
血が止まらない。肩を押さえた右手から、次々に鮮血が流れ出る。
リテューは口元を歪めながら、顔を上げた。
足は、動かない。先ほどの爆発で完全にやられた。立ち上がれない。
砂地に膝だけ付いたまま、視界の利かない周囲に目を細める。
今の、爆発……。
信じ難い威力だった。最初に一発食らった時より遥かに強力で、加減も何も一切無い。
だが、あの距離で彼は"足元を爆破させた"。あの少年自身、爆発に巻き込まれたはずだ。
一体、なぜ……。
ザッ。
「!」
リテューは、目を見開く。
晴れた視界に、先ほどと同じくこちらへ足を運ぶ、あの少年の姿があった。
「……え、」
思わず、声が漏れる。だが、少年は立ち止まりもしなかった。
その頬に、肩に、足に――紛れもない、黒々とした焼き痕と血糊を貼り付けたまま。
血糊?否、違う。あれは、彼自身の傷口から流れる、血液、で――。
「……嘘、でしょ」
リテューは呟く。その声が震えるのを、どうすることもできなかった。
「まさか、傷を……怪我を負っても、何も……」
少年は、無表情に歩みを進める。
ポタリ、ポタリとその後ろに、傷口から浸みだす血の赤が跡を残しても。
「何も……感じていないと、いうの……」
その瞳に、先ほどまでの光はない。一切の感情もない。
あるのは、ただ――黒。彼の全身を夥しく包む魔力と同じ、無機質で、動かない、平坦な色。
「……まだ、か」
ぴたり、不意に足を止めた彼は、ぽつんと一言呟いた。
その声音に、リテューは瞬間的に悟る。息を呑む。
――今の彼には、痛みも言葉も、何ひとつ届きはしない。
「……クレイモア」
囁くように言った少年の、その両手の内で魔力が蠢く。
1人の人間が持つにしては、あまりにも――空恐ろしいほどに不釣り合いなその莫大な魔力は、ぐにゃりと歪み、少年の腰で強く光った。
途端、腰に下げられていたチェーンが、鈍く危うげな光を放ち、形を変える。変形する。
「……な、」
リテューが口を開ける。シーは無言のまま、空中でパシッと剣の柄を掴んだ。
重たく冷たく光る厚い刃先を、クルリ、易々と回転させ、すっと突き付ける。
砂漠に座り込み、動けずにいる、リテューの頭へ。
「……あ、」
その時になって、リテューはやっと気が付いた。
彼の――その、首元のチョーカーに挟み込まれていた花が、黒く枯れ、その効力を失っていることに。
「……あり、えない……」
呆然と声を漏らし、リテューは乾いた笑いを零した。
信奉し、恐怖さえ覚えている上官――参謀と呼ばれる、あの人のアームを、彼は根本から破壊してしまったのだ。しかも、ホーリーアームではなく、魔力で。
そこでやっと、リテューは察した。
目の前の少年が、「化け物」であることを。
「刃よ、……変化せよ」
呟いた少年の手元で、刃先がぎらりと黒く光った。
魔力をまとい、ますます鋭利さを増していくその武器に、リテューはぐっと唇を噛む。
両手で剣を構え、こちらの頭の上で動きを止めた相手の肩へ――最後の抵抗とばかりに、発動させたメイスを、一瞬で振り下ろす。
鈍い、手応えがあった。
は、と思わず息を吐いたリテューの前で、肩にメイスの切っ先を深々とうずめた相手が、こちらを見、片手を剣から放した。
え。
少年の顔は、無表情だった。本当に何もない。
実際、まるで何事もなかったかのように、彼は無造作にメイスの刃を掴み、そして、
「……え、う、そ……」
ズルリ、
一切の躊躇もなく、引き抜いた。
ぱたん、力を失った両手が、柔らかい砂地へ落ちていく。
リテューは茫然と口を開けたまま、振り上げられる刃をただただ眺めていた。
滴る鮮血と、空虚な瞳と――そこに映る、自分自身の金色の目を。
少年は、なんのためらいもなく黒い剣先を振り上げ、一瞬で振り下ろし、
「――やめろ、シーッ!!」
ドスッ、と、鈍い音がした。