嫌な前兆
正直、こんなにアルヴィスが追い詰められてるのを見るのは初めてのことだった。あ、いやあのぶっ飛び気味なファントム狂信者がいたっけな。
「届かない……ヨ」
「なっ……!」
十八番の13トーテムポールまで軽々避けられて、アルヴィスの顔が驚愕に満ちる。俺は息を呑んで、思わず一歩踏み出していた。
「アルヴィ、っ?」
「シーちゃん」
名前を呼びかけた俺の肩、不意にきゅっと回される腕。
驚いて顔を上げれば、ニッと歯を見せ笑うナナシがいた。
「な、んだよ。ナナシ」
「前、ギンタにおんなじこと言うとったの、シーちゃんやろ?」
「は、何が……」
真面目に、何言ってんだこいつ。
困惑しながらナナシを見つめ返せば、相手はバンダナの下で、それはそれは良い笑顔で笑ってみせた。
「アルちゃんなら、絶対大丈夫やって」
数秒、その妙にきらきらして見える顔を見つめて、
口を開く。
「……そんなの、俺が1番知ってるってのこのタラシ」
「なあっ?!タ、タラシって……」
ふん。
肩を抱くナナシの腕はそのままに、俺は軽く鼻を鳴らしながら前を向く。
その先には、何体も分身した相手に囲まれたアルヴィス。肩に突き刺さるナイフ、小さく響く嘲笑の声。
でも、
「……オレを、怒らせたな。」
でも、絶対大丈夫だ。間違いなく。
△▼
「……ナナシ」
「ん?」
アルヴィスが悠々と相手を追い詰め返すのを視界に入れたまま、俺は相変わらず肩を支えるナナシへ向けて、ボソッと呟く。
なんとも間の抜けた返答が聞こえてきて、俺は一瞬ためらった。が、ここで引き下がるのはダメだろうと、結局口を開く。
「……ありがと、な」
「なんや、素直やな」
「やっぱ死ね」
「なんで?!今の一瞬でなんでそうなるん?!」
ニヘッと笑ったナナシに冷たく一言。
途端、ぎゃあぎゃあ騒ぎ出すこいつは、本当にいちファミリーのボスなんだろうか。
ていうか人の肩掴んだまま暴れ出すなよ、と俺はため息混じりに諫めてやろうとして、ふと視線を感じ目を動かした。なんだ、誰だ?
途端、また、目が合った――あの、金髪少女と。
「……ッ?!」
「え?シーちゃん?」
は、なんで、どうして急に――。
とっさに唇を噛む。目元が引き攣るのが自分でもわかった。
激痛。
瞬間、体中を貫いた鋭い痛みに、
俺は思わず胸元を押さえた。
はッ、と短く息を吐いたまま、体を動かせもせず硬直した俺に、ナナシも異変を察知したらしい。さっきの陽気さの欠片もない、緊迫した声が耳元を掠める。
「どうしたんやシーちゃん、まさかタトゥが、」「ナナシ」
俺はギリギリ歯を食い縛り、唇を引き結んだまま低く名を呼んだ。
かなりくぐもった声になったが、ナナシはちゃんと察したらしい。ごくんと言葉を呑み込み、真剣な目付きで俺の顔へと耳を寄せた。
「……おお、ごとに、したくない。静か、に……」
言いかけ、途中でとっさに目をつぶる。
走る痛み。視界が、感覚がくらりと揺れる。眩む。
シーちゃん。
ナナシの焦った、しかし囁くような声音が聞こえた。どうやら、ちゃんと俺の言葉は守ってくれる気でいるらしい。
喉元、ドクン、と大きく脈打つ感覚とともに、皮膚を裂かれるような痛みが広がる。
強張る指先でチョーカーを押さえ、俺は唇を噛みしめ顔を上げた。
目が合う。
おかしそうに、面白がるように笑う――あの、ツインテールの少女と。
なんだ?どういうことだ?
どくり。さらに大きく、喉奥が脈打つ。引き攣った声を呑み込んで、俺は相手の黄色い瞳を睨みつけた。
おかしい。妙だ。
ここにあのイカれ司令塔はいない。なのにどうしてこうも、タトゥが疼く?こんなにも痛む?
フィールドを別にしているのに、ここまでファントムの魔力が届く、そんなことがありえるか?ありえるなら、なぜもっと前から、
「ッ、ぐッ、」
「シーちゃん、」
ダメだ。考えられない。痛い。
力が抜ける。危うく膝から崩れ落ちるところだった俺を、ナナシが器用に肩を抱いたまま支えてくれた。
助かった。さすがに1日に2回も、膝から地面とこんにちは、って事態は避けときたい。
「……っは、ッ……」
息と声を呑み下す。荒い呼吸を抑え、瞼を開けた。
なんだ?なぜだ?わからない。
遠く、ポズンがメルの勝利を告げる声を張り上げているのを聞きながら、俺は必死に声を呑み込んでいた。
結局、俺が体中を苛む痛みから解放されたのは、アルヴィスが勝利を収め帰って来た、その直後くらいのことになる。