叶わないから賭けをする
「この年で添い寝はまじキツイな」
「それは俺が1番ひしひしと感じてるから」
むくり、おもむろに起き上がった相手が開口1番にそう言うものだから、ディーノは思わず笑ってしまった。
32歳と25歳。
そりゃ、「添い寝」という単語は近づき難い。
だけど、まあ。
ディーノはベッドに座り込んだままあくびをする、そんな相手をちらりと見、ため息をつく。
白いシーツから身を起こしたその姿は、襟もとはガッツリ空いてるし目をこする袖口はブカブカだし、で、明らかにサイズのでかすぎる白シャツをまとっている、つまりなかなか悪趣味な格好をしていた。
もちろんディーノにとって悪趣味とは褒め言葉である。
昨夜キャッバローネの屋敷に呼んだ、というよりは半ば拉致という形で連れ込んだこの青年は、ひとしきり呑めや歌えやのどんちゃん騒ぎを繰り広げた後でシャワーを浴び、さあ出てきたと思ったらあっさり
「着替え忘れた」
とのたまったのだ。
さすがにキャッバローネの屋敷に彼が着れそうな服は無い。今から用意させる、と言ったディーノに、しかし夜無は首を振りそんなの悪いから、とこう提案した。
じゃあ、なんでもいいからディーノの服貸してくれよ、
と。
その結果がこれだとしたら悪くないな、とディーノは知らず知らず口元を緩める。
ふわあ、とあくびをする夜無は自分のぶかぶかな服に埋もれてまあなんとも可愛らしい。
これが昔シャマルが言ってた「モエ」か、とディーノはにやける口元を手で押さえた。
もちろん、夜無は自分がそんな邪な感情を抱いているとは露ほども知らないので、伸びをしながらディーノに問い掛ける。
「……ディーノどうする?起きんの?」
「……んー、もーちょい寝てるかな……」
「りょーかい。悪いけど俺起きるわ」
もうちょっと夜無の白シャツ(ぶかぶか)姿を見ていたいので、とはさすがに言えず、ディーノはぼんやりと夜無が着替え始めるのを眺めていた。
昨夜、シャワーを浴びる前に脱ぎ捨てていたスーツは部下達が綺麗にしてくれたのだろう、今は新品同然と言わんばかりにきちんとハンガーに掛けられていた。
先に下を履き、上の白シャツ(しつこいようだがぶかぶか)を脱ごうとした夜無の後ろ姿をディーノがぼうっと見つめていたその時、
やたら大きい音で着信音が鳴り響いた。
「……くそ」
反射的にびくりと肩を揺らしてしまったディーノをよそに、他にもいくつか汚い言葉を呟いた夜無がこちらをぱっと振り返る。
「……悪い、起こしたな」
ベッドに横たわるディーノをうかがい、夜無が眉尻を下げて謝る。
その声が小さいのは、まだディーノが寝ていると言ったのを気にしているからだろう。
ごめんなさい、夜無を見ていたかっただけです、
とは言えない。
「……気にすんなよ。それより電話出なくていいのか」
小さく笑ったディーノを見て安心したらしく、夜無は「ありがとう」と言うと、スーツのポケットに入っていた携帯を取り出した。
未だ煩く鳴り響くそれを見、夜無は目を開くと「うわ」と小さく声を上げる。
「ごめんツナ、お前だと思わなくておもわず罵っちゃった……え、そんなんいい?あ、そですよね、ごめん……え、何?」
なにやら面白い会話だな、とディーノはそっと口元を緩ませた。そのまま、片手で着替えをしながら通話する夜無をなんとなしに見つめる。
「……あ、了解了解……ん?大丈夫に決まってんじゃん、俺だよ俺……あ、はいすみませんでした……そんで?……」
途切れ途切れに聞こえる夜無の声、そしてわずかに漏れ聞こえるツナの声にディーノはうつらうつらとしかけて、
しかし一瞬で目が覚めた。
「……はいはい、……え、今?ああ、ディーノといっしょだけど……ん?」
あいかわらず、着替えを進めながらなんともない調子で通話を続ける夜無。
だがディーノは、ばさりと白シャツが落ちたその下、あらわになった華奢な背中から目が離せなくなっていた。
肉付きがいい、とは決していえない夜無の背中は、しかしそれなりに筋肉があり、無駄なく美しい。彼がほんの数年前に加わったにも関わらず、ボンゴレで重宝されている理由を如実に示していると言ってもいい。
だが。
その背中には今、見るも無残な傷跡があった。
例えるならば、十字。
まるで斜めに引き倒された十字架のような傷跡は、血こそ止まっているものの赤く色付き肉が盛り上がり、おそらく怪我を負ってそんなに日数が経っていないことを悟らせた。
なのになぜ、彼は包帯1つしていないのか。
衝撃を受けているディーノに、何か勘付いたのか夜無がくるりと振り返った。
凍り付いているディーノに目を丸くし、話しながらもその視線を辿ってああ、と納得顔をする。
「……ん、じゃあ。うん、もうそっち帰るから…またな、ツナ」
夜無は無造作に通話を切った。
「……おまえ……」
ディーノは呆然としながらも、乾いた声音で夜無に問い掛ける。
「……その、背中……」
「ああ大丈夫。痛覚切ってるから」
まるで万事解決、のように言われた言葉に頭が一瞬沸騰する。
「……なっ、そうじゃなくて」
「2,3日前に任務でポカしてねー。さっすがに1日は付けてたけど、それ以降はうざいから外した」
にっこりとしながら夜無は言葉を重ねる。何の話かと思ったら包帯のことだった。
「バカだろ、おまえ」
怒りを通り越して呆れ返り、ベッドから体を起こしたディーノはため息をついた。
「……そんなんじゃいくつ命があっても足りねーぞ」
「大丈夫だよ。現にこうして今生きてる」
あっさりばっさり言い捨てる、この青年の思考がディーノには時たま理解できなくなる。
本当に考えの浅いバカだからこんなことをさらりと言えるのか、それとも過去に何かあったからこそ言える言葉なのか。
一見単純バカに見えるようでそうではない、夜無月という男の本性が未だはっきりしないから、ディーノは時々困惑する。
そこもまた、ディーノが夜無に惹かれる要因の1つでもあったのだけれど。
「ありがとディーノ、着替え終わった」
我に返れば、きっちりとスーツを着こなした夜無がドアノブに手を掛けるところだった。
「夜無」
ディーノは慌てて呼び止める。
振り返った彼の藍色の目に、自分の顔はどんなふうに映っているのだろうか。
「オレ、結婚する事にしたんだ」
いきなりの、言葉。
何の脈絡も無く唐突に切り出したように見えて、だが実はディーノはずっと前からこの報告を彼に告げる瞬間を狙っていた。
何の繋がりも無い、しかしだからこそ、これはディーノにとって1つの賭けとなる。
どちらに転んでも結果は変わらない、そんな無謀で愚かな、
賭け。
夜無は、目を見開いた。
一瞬だけ、確かにその目に衝撃がよぎった。
と、ディーノは思った。
「嘘だろう」、とでも言うような。
だが、夜無はすぐにその藍の目を細めて微笑んだ。
「そっか、良かったな。おめでとう」
「……、」
「キャッバローネにも跡継ぎは必要だしな。もう32なんだし、盛りが終わる前に良い人捕まえておかないと」
結婚式、呼んでくれよ。
パタリ、小さな音を立ててドアが閉まった。
何を期待していたんだろう。
床に視線を落とす。
きちんと畳まれた白シャツが、静かに床の上に置かれていた。
そうだ、どちらに転んでも結果は同じだった。
夜無の言う通り跡継ぎは必要だからいつか自分が妻帯持ちになるのは当然だったし、そもそも夜無にこの気持ちを伝えたことなどない。
そう、どうせ、
「……バッカだなー、オレ」
どうせ結果はいっしょだったのだ。
それなのにもしかして同じ気持ちで、なんて心の片隅で思ってしまった、
そんな自分が愚かで笑いたくなるほどバカらしい。
「救いきれねー……」
25歳、それも同盟ファミリーの臣下に振り回される32歳、マフィアのボス。
ディーノは目元をごしごしと乱雑にこすって、ぼふりとベッドに沈み込んだ。
***「……結婚、ねえ」
適当な廊下の片隅で、煙草の煙を吐き呟く。
夜無は何の感情も見えない表情で、ただ煙草を吸っては吐いていた。
「……そだよ、なあ」
コレってなんて言うんだろう、
夜無は微苦笑混じりに煙草を携帯灰皿に突っ込んだ。
跳ね馬を顔も知らぬ誰かにとられたような、この気持ちは。
これからキャッバローネの屋敷でわいわい騒ぐことも、熱の余韻で火照った顔を突き合わせながらくすくす笑って2人で眠ることも無いのかと思うと、なんだか無性に寂しくてやるせない思いがした。
ついでに言うと、結婚、という単語も自分の中に引っかかってしまって仕方なく。
「……結婚、かあ」
いつかボンゴレの皆も結婚式を挙げるのだろう。
隼人も武も了平も骸も凪も恭弥も、もちろんツナも。
「……全員の結婚式、見たいなー……」
どうか、見れますように。
ぼそりと呟き、馬鹿だなと笑う。
神も信じていないのに願掛けなんて。
「……しっかし恭弥や骸が結婚、っていうのは……」
到底想像できない。
なかなか難儀な式になりそうだよな、と夜無は思わず苦笑いした。
ずきりと疼いた、背中の傷の痛覚を完全に遮断して。