Good-bye, Hello, our dear daily life.
 きらきらした日射しに、手をかざして目を細める。金色のそれは網膜を焼くように容赦なく、けれどとても暖かい。
 似ている。あの「夜無!!」

 突如呼ばれて振り返る。誰かは近付く気配でわかっていたが、あえて振り向いてから名前を口にした。

「……ディーノ」
「お、っまえ、は、な〜〜」

 はあはあと、珍しく肩で息をしながら駆け寄る男を眺める。いや珍しくもないか、部下無しだとわりにしょっちゅうだ。
 妙に語尾を伸ばしてやって来た相手は、けれど言葉ほど怒っている様子はないらしい。両膝に手を置いて息を整えること数秒後、ぱっと上げた顔が緩んでいる。

「まーだ怪我治ってねーんだろ?何病室抜け出してんだよ!」
「治ったっての。大完治」
「だいかんち」

 オレそんな日本語初めて聞いたんだけど。ぶはっと吹き出しディーノが口元を押さえる。
 一方の夜無月は、動作に合わせて揺れる金髪を見上げていた。廊下に立ち並ぶ窓から射し込む日光にさらされて、黄色の髪はますますまばゆい輝きを放っている。
 そっと、手を伸ばした。

「ん?あ、なんか付いてたか?」
「……いや」

 ていうかオレの言葉は無視かよ、とかなんとか小うるさい相手の目を一瞥する。それから、また上へ視線をずらした。きらめく金髪がある。指先で軽く引っ張ってやれば、「やめろよー」と苦笑された。でも振り払われはしない。
 口を開きかけて、閉じた。我ながら珍しく、言葉が出てこない。喉が渇いていた。

「……ディー」「あっ、そうだ夜無!!」

 ためらいがちに呼んだ名前を遮られてイラッとする。今このタイミングで遮るか普通。

「いッ、いって!!なっ、何すんだよお前は!」
「手が滑っちゃった」
「嘘つけ!手が滑って髪の毛おもっきし引っ張る奴があっか!」

 涙目で騒ぐディーノに口角を上げる。けれど謝ってなんかやらない。
 ぱっと前髪から手を放してやれば、途端に相手はキッと涙目で頭を押さえた。よっぽど痛かったらしい。

「で、何?」
「で?!でって、お前なー……」

 ぶつぶつ呟きながらディーノが懐に手を突っ込む。ぼやきながらももう許しているのだから、この男は本当に自分に甘い。
 なんだろうか。「あれ?ねぇ」「じゃあこっちか?……あれ?」とポケットをガサゴソまさぐる相手を眺めつつ、ぼんやり考える。廊下を白く柔らかく照らす朝日が妙に綺麗で、なんとなく深く考えられなかった。

 生きている。

 ツナに怒られ恭弥にキスされ、武にハグされ隼人に頭をわしづかみされ、骸に撫でられクロームに泣かれて。シャマルには呆れられたし締めには元家庭教師の大説教を喰らった。けど。
 今ここに、自分は確かに生きて存在している。

 奇妙だ。
 どこか奇妙で、ふわふわしている。現実味が無い。

 あの大騒動から早数週間、実際夜無月の調子は回復しつつあった。大事を取って未だ病院にいるものの、本当は退屈で仕方ない。早く任務について動きたい。

 毎日通ってくるクロームに涙ぐまれるのももう勘弁だ。彼女は自分の顔を見る度ほっとした顔で泣き出すのだから、驚きを通り越して苦笑する。
 女を泣かせるとは罪作りな奴だと一度同行してきたシャマルに揶揄されて、雷をお見舞いしてやったのがつい昨日の事のようだ。隣にいた隼人まで感電しかけて、危うく病室ごと爆破されそうになったのをついでとばかりに思い出す。

「……んんー?まさか置いてきたかなー……いや、でも……」

 武は何を考えているのか、よくわからない差し入ればかり持ってくる。昨日は寿司、一昨日はカフェオレ(好物だから喜んで頂戴したが)、その前は確か牛乳をパックで2,3本。武君俺は牛じゃないんですケド、と我ながら妙なツッコミを入れようとした横で、パイプ椅子に座った相手はよくわからないパンフレットを広げて見せてきた。
 『退院したらパーッとどっか旅行行こうぜ!』とどこぞの傾斜塔のページを片手に、ニカッと笑われ諦めがついた。
 ダメだ、こいつホント天然だ。天然通り越してちょっと馬鹿だ。

「って、あっ、おい!待てよ夜無!もうすぐ見つかるから待ってろって!」
「そう言ってそのポケット探るの4回目だぜディーノサン」

 骸は気まぐれに現れては去っていく。そういうところは雲雀と似ているかもしれない。
 別に見舞いの品を用意するわけでも調子を尋ねることもなく、下手すると正規の方法で来る事すらなく(言わずもがな窓から)、ただふっとやって来る。そして気が付けば消えているのだ。
 最後に、戯れみたいな口付けだけ残して。

「……あっ!あったあった!……ん?出てこねぇ?」
「……もう俺行っていい?」

 ツナも時たま顔を出す。忙しい事この上ないだろうに、毎度律儀に手土産持参だ。
 ほぼ高確率でその顔がげっそりしているのは、リボーンにしぼられてばかりいるかららしい。「夜無月君がいないせいでストレスたまるから、オレで発散するってわけわかんない理屈でとばっちり喰らうんだよ」とこぼされて思わず爆笑した。
 ツナには悪いが、想像するととんでもなく面白い。自分の生徒時代を思い出す。

「夜無?おい夜無、聞いてっか?」
「ん?あ、ごめんごめん聞いてなかった」
「お前な……」
 素直すぎるのもどうかと思うぜ、顔を引き攣らせつつディーノが夜無月の手を取った。

「?なに、」
「ほら」

 これ、やるよ。
 言葉とともに、するっと薬指を何かが通る。

「…………ハ?」
「ん、やっぱ似合うな」

 満足げに手を放された。何も考えられないまま、指先を目の高さに上げて見つめる。
 薬指に通されたのは指輪だった。シンプルで装飾はない。戦闘用のリングとはおおよそ異なる、全くの別物だ。
 なんの力も無い、これは。

「……え、何?てか、サイズぴったりなんだけど」
「寝てる間にちゃんと測ったからな!」

 人が寝ている間に何してやがるこの男は。
 呆然と、未だ事態が呑み込めず光る指先を見つめていれば、不意に手首を捕まれた。ほぼ強制的に手から視線を離されて、気が付けば目の前にディーノの顔がある。

「婚約指輪。……なんなら全部すっ飛ばして、結婚用でもいいぜ」

 ぐいっと手首を引かれる。
 顔が近づいた。鼻先が触れ合って、瞬きする。
 瞬間、唇と唇が、

 パシッ!

「い、って!!」
「にしてくれてんだ発情馬」
「はっ、はつじょうば?!」

 寸前ギリギリで回避する。反射で押さえたディーノの口元から手のひらを放せば、途端にぎゃんぎゃんうるさく相手はまくしたて出した。

「え、いやマジで何なんだよこの仕打ち!仮にもオレ今お前に婚約申し込んだんだけど!」
「そりゃこっちのセリフだね、俺付き合うことにも了承した覚えなんてないし?」
「な、ん、で、だ、よ!」

 オレはどうすりゃいいんだよ!喚く馬鹿馬にくっと笑う。
 ぱっと背中を向けた。廊下を進みゆく背中の後ろで、うー、と年甲斐もなく情けない声が追ってくる。涙目で睨む恨めしげな顔が容易に想像できた。
 頬が緩む。ほんと、この男は。
 俺が命を懸けて救おうとした相手が誰か、わかってないはずないだろうに。

「まあでも、」
 振り返る。3歩後ろでしょぼくれた犬みたいな顔をしていたディーノが、予想通り情けない色をした目を上げた。

「この指輪は気に入ったし、もらっといてあげるよ」

 次は精製度A以上のやつだと尚更嬉しいね。
 付け加え、ひらりと右手を振る。それから、今度こそ振り返らずに歩き出した。
 数秒、きっかり間が空いて、それから後ろで大声と足音が炸裂する。おいちょっと待てよそれどういう意味だちょっ振り向け夜無!と騒がしい声はスルーして、夜無月は1人くくっと笑う。

 まばゆい陽の光に照らされて、廊下は白く柔らかく見えた。
 つられるように顔を上げて、窓の外へと目を向ける。青い空の遥か上、白い太陽がきらきらと輝いている。まぶしく、美しく。

「あー……」

 呟く。かざした手のひらの先、薬指で、今しがたはめられたばかりの指輪が光った。


「……綺麗だな」


 幸せだ。
 不意に、そう思った。


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