あとがき、と呼ぶべき残された日々
「やあ夜無月君、調子は……よくない、みたいだね」
「やっほーツナ、顔がいつになく怖いよ?」
 ニコニコと笑顔で迫られて、夜無月は頬を引き攣らせた。彼にしては珍しい。通常この男がここまで追い詰められることは早々ない。

「当たり前じゃんこの大馬鹿ッ」
「あいたっ?!」
 頭をはたかれ素で悲鳴をあげる。包帯のぐるぐる巻かれた頭をいてて……と押さえ、夜無月は涙目でツナを見上げた。恨めしげな視線のオプション付きだ。

「ツナ、俺の今の状況ちゃんと見てる?!今俺ベッドの上!そんでもってあちこち怪我してる!」
「知ってるに決まってるだろ!!」

 叫ばれ、固まった。
 何も言えないまま見つめていれば、ツナは険しい顔をぐしゃり、崩す。そのまま、なぜか悔しそうに俯いた。

「……怪我、なんてモンじゃないでしょ」
「え」
「全治1ヶ月。シャマルの下した診断結果」
「いやまあ、そうはいってもあと2週間あれば――」
「だから、」

 パッとツナが顔を上げる。その表情を見て夜無月は息を呑んだ。
 怒った、じゃない。そんな生優しいものではない。
 もっと、今にも殴りかかってきそうな、そんな、

「だから、そういう事じゃないだろッ!!」

 叫ばれた。まるで突き放すような、そんな勢いで。
 反射的に首をすくめる。こんな風に責め立てられるのは、幼少期、あの家庭教師が隣にいた時以来で。
 グッと襟元を掴まれる。何の変哲もない白い寝間着の首は、だらしなく緩められていたままだった。抵抗する暇もない。

 唇が重なった。


「……え」
「君は馬鹿だ」

 苦々しげに言ったわりに、襟元を放す仕草は優しかった。いたわられているみたいで、不覚にも少々どきりとする。

「夜無月君は、今までもこれからも、オレ達に必要な存在なんだよ」
「……え、それでさっきのキスの意味は?」
「人が真剣に話してるのに聞く気無いの?!」

 ビシッと人差し指をさされる。どうやら批難しているつもりらしい。
 とりあえず夜無月は両手を上げておいた。ホールドアップ、反論する余地は無い、という意思表示だけ見せておく。よくわからないけれどツナ、顔怖いし。

「……聞いたよ。ディーノさんの告白、断ったんだって?」
「アレ、どこ情報?」
「……本人が泣いて触れ回ってたよ。『アイツ絶対オレの事好きなのになんで断るんだ?!告白の仕方が気に入らなかったのか?!』って」
「ははは、今度すっころばせよう」
「……地味な嫌がらせだね」

 ツナが呆れた顔でこちらを見る。夜無月は軽く肩をすくめた。

「まあ、なんだかんだで生き残っちゃったし。これからもどうぞ末永くよろしく、ツナ」
「そういうことばっか言ってるから、その他大勢が引っかかってくるんだよ」
「その他大勢!ツナにしては辛辣だなあ」
「オレも含めてね」

 ちゅっ、と額に口付けられる。
 数秒、放心した。それから、ぽかんとして頭上を仰ぐ。

「じゃあね、夜無」
 ひらひら、ツナは軽く手を振り外へと出て行く。

「えっ、ちょっ、まっ」
「何してるの、夜無」
「恭弥聞いてくれ、今ツナが俺にキ――、は、お前今どっから?!」

 閉まりゆくドアに手を伸ばしかけたところで真後ろから声が掛かる。一瞬スルーしかけて、危うく心臓が止まるかと思った。
 背後に立たれたのに気づかないのは完全なる自分の落ち度だが、しかしこの男の気配は時たま本気で読めない。気付けないのだ。
 だから、ほら、

「うおっと近いねぇ恭弥!離れようかあと3センチ」
「へえ、3センチでいいのかい?」

 ぐるっと振り返った途端、鼻先がぶつかるかと思った。
 人形みたいなお綺麗な顔が文字通り目と鼻の先にある。夜無月はとっさに後ろへ手を付きかけて、狭いベッドの表面積を誤った。
 ガクン、片手が何も無い空間を落ちる。

「っ、!」
「ちょっ、と」

 素早く両腕を掴まれる。早い。

「何してるの」
「そりゃ俺のセリフだよ恭弥。今お前どこから来た?」
 掴まった勢いのまま引っ張られる。当然のように雲雀の胸元に顔が埋まった。
「窓」
「ここ3階な」
 もぞっと雲雀のスーツから鼻先を脱出させて上を見る。まるで重力の法則でも口にしたかのように相手はしれっとした表情だ。ホント意味不明、と夜無月は苦笑気味に言葉を漏らす。

「ところで、君、あの人の告白断ったらしいね」
「さっきツナにも言われたよ。誰情報?」
「本人。昨日電話掛かってきた。速攻で咬み殺してあげたけど」
「えっ、何を?……受話器を?それ大丈夫?」
「いや、跳ね馬本人を」

 「ああそう」と安心した表情を見せるあたり、夜無月もなかなか酷い扱いだが本人にそこらへんの自覚は無い。

「なんで断ったの」
「え、そこ聞く?」
「僕は君があの男を好きだと思ってたんだけど。勘違いだったのかな」
「……だとしたら?」
「なら」

 ふっ、と雲雀が薄く笑んだ。薄氷のような危うい笑みを。

「僕にも、チャンスはあるって事だね」

 言いつつ、雲雀が伸ばした指でついっと夜無月の唇をなぞる。
 薄い皮膚から他人の温度が如実に伝わってきて、夜無月は思わず肩をすくめた。ぞくりとする。官能的な意味ではなく、生理的な意味で。

「……なーんかお前が言うと、捕えられるっていうより食われそう」
「お望みならそうしてあげようか」
「遠慮しておきます」
「残念だ」

 指先が離れる。人肌無くなった唇に、ひやりとした温度が戻ってきた。

「ルモーレファミリーは壊滅したよ。あと十数年は世界のどこにも存在することを許されないだろうね」
「何その表現」
 どんなんだよと夜無月は笑う。その様子をじっと見ていた雲雀が、おもむろにふうっと息を吐いた。
「……僕にしておけばいいものを」
「あれ、チャンスはあるんじゃなかったの?」
「まあ本命から奪うっていうのも嫌いじゃないけどね」
 君相手なら、そう言い雲雀がちゅっと口端に唇を当てる。唐突かつ優美な仕草だった。
 一瞬、何をされたのか気が付かないほど。

「……っ、え」
「別に無茶するなとは言わないけれど」

 ガラリ、雲雀が窓を開ける。外は澄んだ青空が広がっていた。

「次無茶する時は、必ず僕を呼びなよ。夜無」

 そして、習慣の一部かのように、雲雀はそのまま窓枠を蹴った。


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