ここに在るもの
『初めまして、だな。お前が夜無月?』
『……初めまして、ですね。俺はあなたをご存じですが』
『あれ、マジか』
『有名ですよ。キャッバローネ10代目』
 微笑み、軽くグラスを傾ける。
 立食パーティーは苦手だ。席が無いということは、基本的に話す際に相手から目が離せない。机上の料理に気を取られている、なんてフリはできない。
 面倒だな。ツナもなんだって今更こんな社交場に自分を出て行かせたんだか。
 碌に味もしない酒を喉に通して、夜無月は舌で唇を舐める。
 面倒だ。人付き合いは苦手だし、自分は元々影役だ。裏で動く人間は、こんな華やかな場に立つべきではない。しかも横に来たのは、よりによって同盟3位のマフィアのボス。今日は災難か。

『お前、噂通り、なんていうか……色気あんな』

 吹くかと思った。

『……は、……はあ?』
『やー、実を言うとオレも噂聞いててさ。ってかリボーンに色々吹き込まれてて』
 何とか落とさなかったグラスを持ち直し、横を見る。妙にきらきらした目つきの相手がそこにいた。なんだこいつ。
『……リボーンの言う事は鵜呑みにしないで欲しいですね。あの横暴な男は誇張と吹聴が大好きなんで』
『お前もリボーンの元生徒だってなー!聞いてビックリしたぜ』

 話聞けよ。内心で真っ先にそう思った。
 何なんだこいつ、と横目で見ながら夜無月は困惑する。
 キャッバローネ10代目ボス・ディーノ。話には聞いていたし経歴も(当然)一通りなら知ってはいるが、こんなに自由奔放な奴だとは予想外だった。
 ていうか、

『楽しそー……』
『へ?』

 きょとん、とディーノが目をぱちくりさせる。はっとした時には手遅れだった。

『い、いや、今のは、』
『お前そっちの方が合ってんな!』
『?!』
 ずいっと顔が近付く。夜無月は思わず1歩踵を引いた。
『そっち!敬語じゃねー方!』
『え……』
『さては敬語、使い慣れてねーんだろ。コミュ障か?』
『失礼だな。あんたみたいにニコニコ愛想振りまくのが苦手なだけ』
 ぽんっと自分の口から暴言が出る。あ、と目を見開いた。
 やらかした。
 そう思った。普通にまずった、と思った、
 のに。

『ははっ、やっぱそっちの方が似合ってんじゃねーか!』

 ぱあっと笑って、相手は言った。
 おかしそうに、楽しそうに。

(……この男、)
 なんて、

 なんて綺麗な顔で笑うんだ。こいつ。
 ボスだろう。自分の組織をまとめあげ時にはその手を血に染める、それなのに。

『あ、お前夜無って呼ばれてんだよな。リボーンが言ってた』
『は?あ、ああ……』
『じゃあオレも夜無って呼ぶ。これからよろしくな』
『はあ、よろし……って、は?!』
 普通に差し出された手を握っていた。何の誘導尋問だ。いやそれとも催眠のたぐいかこれは。
『え、ダメ?』
『だ、……め、ではないけど』
 しゅん、と頭の上で三角の耳が垂れた、ような幻覚まで見え始めた。うっ、と夜無月は詰まる。とてもじゃないが拒否できない。

『――じゃあよろしくな、夜無!!』

 にこり、笑ったあの時の金色が、金の瞳が、


 今。



「……は……」
「よー、夜無。大丈夫……ってワケじゃあなさそーだな」
 ははっと軽くディーノが笑う。まるで出逢ったあの瞬間のように。
「な……んで、ディーノ」
「オレを甘く見んなよ、ボンゴレの裏役者。こう見えてオレはキャッバローネ10代目だし、」

 にっ、と悪戯っぽく、ディーノが微笑む。


「好きな奴のピンチなら、颯爽と駆けつけてやんのが普通だろ?」



「……は、」

 バッカじゃねーの。何こいつ、ほんとに。
 顔を押さえる。目元に押し付けた手のひらから、乾いた血の匂いがした。
 馬鹿だ。大馬鹿だ。こんな状況で、こんな時に。
「……俺、お前助けに来たんだけど」
「そりゃ残念だったな、自分で脱出しちまった」
 あっけらかんとディーノが言う。夜無月は、はっ、と笑った。
 笑えた。

「……さか、あの状態で脱出するとは……跳ね馬……」
 首を回す。よろり、おぼつかない足取りながら、床から男が起き上がるところだった。
 その頬に、真っ赤な打撲痕がくっきり鮮やかに浮かびあがっている。

「……ディーノ。お前、手元鈍ってるね?」
「いやいやまさか。ちょっと外しただけ」
「いつものドジ……じゃないな。クスリ、盛られてる?」
「さっすが夜無月」
 まあ軽い筋弛緩剤だから大丈夫、今は大空の炎で中和してるしよ、なんてけろっと言ってのける相手に、ほんとバカだな、とだけ夜無月は伝えた。
 トン、と肩と肩が触れ合う。不意を突かれて呆然としていた周囲の人間も、今は各々の武器を手に取り身構えている。煌めく炎、匣の数々。

「俺ももうそろそろタイムリミット。途中で死んだらまじゴメン」
「そんなことはさせないよ」
「そんなことはさせね――ってアレ?!今オレのセリフ誰が取った?!」
「!」

 夜無月は大きく目を見開く。目の前にいた1人の男が、声も無くその場に倒れ込んだ。
 ほぼ同時に――その背後から現れる、見慣れた黒髪。

「遅くなって悪かったね、夜無」
「キョーヤ!」
「な、なんで恭弥がここに、」
「ちなみに僕もいるんですけどね」
「クローム!」
「夜無月、無事……?!」
「なるほど僕は無視ですか」

 次々と現れるボンゴレの守護者に、その場の空気が一変する。
 ざわり、周囲の群れが急速に落ち着きをなくすのが手に取るようにわかった。動揺と混乱。微かなひるみ。
 とん、と背中を温かいものが触れた。はっと顔を上げる。

「ヒーローとか言ったわりに、これじゃ誰がヒーローかわかんねぇな」
「……大人しくしとけよ、薬で神経やられてんだろ?」
「そういうワケにはいかねーんだよなあ」

 背中越しに聞こえる声が、体内を伝って震えるように響く。
 ヒーロー、ねぇ。少しだけ頬を緩めて、夜無月はくっと顎を引く。

「オレの事も忘れてもらっちゃ困るんだけどなー、夜無」
「おいヒバリ!もう爆破したって文句ねぇだろ?!」
「勝手にしなよ」
「あれ隼人までここにいんの?俺、完璧に潰したと思ったんだけど」
「ふざっけんなよこの馬鹿が!おかげでシャマルに借り作るハメになってんだよ!」

 驚いて声をかければ、ダイナマイトを片手にキッと獄寺がこちらを睨む。
 一瞬、目をぱちくりさせて、――夜無月は、ぷはっと吹き出した。

 なんだ。なんなんだよ、ほんと。

「夜無」
 首をひねる。
 斜め上、金の瞳が笑みの形に自分を見下ろしていた。優しく、温かく。
 励ますように。促すように。

「行くぜ。一緒に」

 目を瞬く。
 四方八方に散らばる黒服の敵、その前を立ち塞ぐ見慣れた仲間。背中越しのぬくもり。
 視界の隅に、青ざめた顔で歯を食い縛るルモーレファミリー9代目の姿があった。よっしざまぁみろ。

 1秒、目を閉じる。大きく息を吸って、吐いた。
 あれ、ふと夜無月は疑問に思う。あれだけ自分を苦しませた痛みの感覚が、全身から流れる血の不快さが、
 全て、全てひどく遠く、軽くて。

 妙だ。おかしなことだ。
 俺にはもう、痛覚を切る力も回復力も、何も残されていないはずなのに。

「――ああ」

 そう、何も。
 ただ、今ここには。

「夜無、とりあえず帰ったらてめーは一発殴らせろ」
「ケガひでぇなあ。大丈夫なのか?」
「抜け駆けなんてするからだよ。後で必ず咬み殺す」
「おやおや、全員物騒な事で。仕方ないですね、甘やかす役は僕が引き受けてあげましょう、夜無」
「その役目は、私がやる。……ねえ、夜無」


「……だってよ。愛されてんな、夜無?」
「いやあ、モテる男は辛いねぇ」

 両手を握る。ピリッと痺れるような感覚と共に、両の手の甲に火花が走った。
 大丈夫。まだ闘える。
 だって、今ここには。


「――じゃっ、行きますか」


 夜無月の声が響くと同時、――色とりどりの炎が、空を舞った。


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