さて、君の元まであと少し
「……ルモーレファミリー9代目、嫡出子、だと……?!」
「っていうかおいおい、あれは……」
「跳ね馬、ディーノ」

 身構える獄寺に目付きを変える山本、ポツリ呟くクローム。
 その横、微かに口角を上げたままの骸が、口を開いて問いかけた。

「あなたの事は存じております。跳ね馬の婚約者、そして今回の元凶の1人」
「さすがボンゴレの誇る術士ね、その通り。……けれど」

 薄暗い闇の中、とても場にそぐわない妖艶な仕草で髪をかき上げ、彼女はくるりと片手を回した。
 否、片手などではなく――黒光りする、拳銃を。

「もう手遅れよ。おかしなマネをしようとすれば、――この男は、死ぬわ」

 僅かなためらいもなく、目を閉じ動かないディーノの頭に銃口を突きつける。女の肩に頭を預けるようにして床へ垂れ下がるディーノの手足は、まるで人形のように力なく、だらりとしていた。

「チッ」
「安っぽい手だな。ディーノさんを人質に……」
「安っぽいけれど確実だ」
「感心している場合ですか?雲雀恭弥」
「感心なんてしていないさ」

 身構えたまま動けない5人の前、少しの空白と佇む女、動かぬディーノ。
 片手に銃口、片手にディーノと随分無茶な体勢を取りながら、しかし彼女の瞳には冷え冷えとした殺意、そして確かな優越感。
 何をされたか知る由もないが、目覚める気配すらない囚われのキャッバローネ10代目を眺め、雲雀が微かに「全く」と呟いた。

「実は、私も感心しているのよ。ボンゴレ守護者」
「はぁ?」
「全然嬉しくないのな」

 女が口を開く。微塵のブレも見せない銃口に、獄寺が苛立ちの目を向けた。朗らかな言葉を紡いだ山本も、その目に笑いの余裕はない。

「本当はその南京錠に手間取っている間に、あなたたちを後ろから全員まとめて目覚めないようにしてあげる予定だった。……それがおかげで、急きょ予定を変更する羽目になったわ」
「跳ね馬を人質に交渉、ですか」
「交渉?」
 淡白な骸の物言いに、女の顔が歪む。

「バカ言わないで。これは通達……」

 カチャリ。冷たく拳銃は光る。

「彼を殺されたくなければ、……あとはどうすればいいか、わかるでしょう?」

 はらり、ディーノの前髪が音もなく落ち、閉じた瞼を影に収めた。



 その瞬間――ほとんど動かなかった雲雀の表情が、初めて動いた。
 冷たく女を見据えていたのが、一転、急に深々と息を吐く。

「……あら。納得はできたかしら?」
「全く」

 皮肉と自信に満ちた彼女の声など歯牙にもかけず、雲雀は先ほど同様、呆れのこもった言葉を吐く。


「遅すぎるよ。君」


 ――刹那、


 空間は、「壊れた」。






「――きゃ、ぁあああぁあああああ?!」
「馬鹿にするのも大概にして欲しいね。もう耐えきれない、咬み殺す」
「まあまあ、少しは猶予を与えてあげたらどうですか」

 響く悲鳴、轟音と震動、亀裂とともに真っ二つに割れる足元。
 その中央で、"なんでもないことのように"言葉を交わす男が2人。

「おい骸!てめぇやるならやるでちゃんとそう言えよ!」
「残念ながら今回は僕の一存ではありませんので」
「はは、獄寺気付いてなかったのか?途中から消えてただろ、」
「ごめんなさい、……遅くなってしまって」
「クローム!」

 地震のごとく崩れていく床に飛び交う破片、一瞬でその場は嵐の真っただ中にでも放り込まれたような恐ろしい空間と化した。が、その最中に立つ5人の守護者に少しも動揺は見られない。
 片膝をつき、ひび割れていく足元に舌打ちをした獄寺の後ろ、ひょうひょうと山本が笑って両手を懐に突っ込む。その横、すとんと宙からクロームが身軽に舞い降りた。

「本当にね。君、あの南国果実と同じくらい幻術仕掛けるタイミングが遅すぎる」
「派手な幻覚を仕掛ける分、タメは遅いくらいがちょうどいいんですよ、雲雀恭弥」
「さっきからよく会話してるよなー。一緒に行動してたくらいだし、もしかしてお前ら2人って実は仲良し?」
「「誰が(ですか) ?殺すよ(殺しますよ)山本武」」

 鼓膜をつんざくような音がして、クモの巣じみた亀裂が天井に走る。だが目下の5人は意に介した様子もなく、ただ1人、女の絶叫だけがその場の空気を切り割くように鳴り響いていた。

「な、なんなのよこれは、いや、いやあぁぁああ!!」
「おやおや、この程度で腰を抜かすとは……思ったよりも格下だったようで」

 次々崩壊してゆく空間を目の当たりにし、その場にへたり込みただただ女は悲鳴をあげる。その様子を一瞥した骸がつまらなさそうに呟いた。

「なっ、なっ、どうし、て……?!ひいっ、」
「南京錠に続いて跳ね馬、ちゃちな幻覚ご苦労様」

 タンッ、軽い足音とともに黒い靴先が女の視界を塞ぐ。

「あんな子供騙しみたいな幻術で、僕達の目を欺けるとでも?」
「ひ、ぃっ……!」
「大体、成人男性を片手で支えられるとかどんな腕力?」
「そこらのリアリティも考えた上で幻術とは使用するものなんですがねぇ」
「まあおかげで夜無がこの先にいることは間違いなくなったけれど」

 骸の軽い茶々を露骨に無視し、雲雀はそのまま片手を上げた。
 ヒビ入り崩れ落ちる天井を背景に、――鈍く光る、銀の凶器を携えて。

「安易な気持ちでボンゴレに、――夜無に手を出したこと、」

 鼓膜を破壊するような轟音より大きく、風を切る音が響く。


「精々、死ぬほど後悔しなよ」


 黒い瞳が、鋭利に細められた。


***




「……結局おいしいところはてめぇが全部持ってくのかよ、ヒバリ」
「途中まで南京錠が幻覚だと気付いてなかった君に、何か言える事はないね」
「うっ」

 てめ、と獄寺が横を睨む。ヒュッとトンファーを軽く振り、雲雀は武器を匣に収めた。それから流れるような仕草で目を閉じ、ふぅと微かに息を吐く。
 きまり悪さとイラつき半々といった獄寺の相手をするつもりは毛頭ないらしい。

「君、まさか女性相手に打撃かましたんですか?」
「まさか。振るう力がもったいない。ロールで脅かしただけだ」
「しっかしクロームもすげぇのな!あんな派手な幻術使えるとか」
「え……あ、ありがとう」

 血も涙もない発言でばっさり返答した雲雀に何とも言えない生温い目を向ける骸、その後ろで「夜無月に、ちょっとトレーニング付き合ってもらったことがあって……」と、頬を赤らめ呟くクローム。エッ何のろけ?と山本が困ったように苦笑したところで、「おいバカてめーら!!」と獄寺が声を張り上げた。

「さっさと夜無助けに行くんだろーが!いつまで仲良くくっちゃべってんだよ!」
「なんだ、獄寺も混ざりたかったなら言えよ〜」
「そうじゃねぇ!!」

 あはは、と朗らかに言い放つ山本に、獄寺が勢いよく噛み付きにかかる。一方、雲雀は鼻を鳴らして佇む扉に手を掛けた。
 行く手を阻んでいた黒い南京錠はもうどこにもなく、まるで待っているかのように黒い取っ手が2つ、両開きのそこにあるだけで。

「行くよ」

 雲雀の端的な言葉に、しかし誰も答えはしない。
 そこに言葉は要らない。必要とするほど軽い付き合いでも仲でもない。

 特に、全員が1人を想い、彼の元へ向かおうとしている、この瞬間は。




 誰が救われ、誰が生き延び、誰がその手を伸ばすのか、
 ――終わりは未だ、訪れぬまま。


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