君のもとまであと何歩
 君の幸せが、そこにあるなら。


「……とか言うタイプの人間かっていったら、オレどっちかっつーと違うんだよなあ」
「何ぶつぶつ言ってやがる馬鹿」

 真横、苛立だしげに銀の髪をかきあげた自称右腕を、山本は苦笑いで振り仰ぐ。

「やー、夜無の話。オレやっぱ大好きだなあ、って」
「は?気持ち悪。男同士で何言ってやがんだよ」
「そういうお前だって狙ってんだろー?」

 ガクン。
 延々と続く階段のひとつを、大きく踏み外す獄寺の足。

「……っに言ってやがんだこの馬鹿がッ!」
「あれ?違った?」
「ちげぇっての!!」
「ハハッ、素直になれよー」

 灯りひとつ無い真っ暗な空間に、2人の声だけがわんわんと響く。
 一般人なら踏み出すことすらままならないような暗さだったが、修羅場をいくつも超えてきたこの2人にとって、このくらいなんて事もない。

「……よりによっててめぇに追い付かれた上、ヒバリと骸に先越されるなんてな……最悪以外の何物でもねぇ」
「しょーがねえだろ、お前薬効いてなかったんだし」
「テメェは碌でもねぇフォローしかしねえな…」

 己の失態に苦々しい顔になった獄寺の背中を、山本が朗らかにバンバンと叩く。

「まあまあ、人間なら失敗のひとつやふたつ、とーぜんだって!」
「うるっせーっての!」

 噛みつき返した獄寺の足元、ふいに下段の感触が消える。

「おっと」
「ここが到着点か……?人の気配、は……」

 んん?と山本が首を傾げる。獄寺は微かに鼻を鳴らした。
 立ち止まる2人の前、

 微かに感じる、複数の気配。

「……ワォ」

 驚きと苛立ちがない交ぜになったような声が小さく響き、

「……君達に追いつかれるとは、意外ですねぇ」

 心底残念だと言わんばかりの調子とともに、

「……夜無月を、一緒に助ける」

 凛とした言葉が、闇を揺らした。


「……ヒバリ、骸、クローム……」
「やぁ。でも残念だけれど、」

 言葉ほど余裕のない口調で、雲雀がすっと前方を指さす。

「この先、通行禁止だよ」


***



「……ええーと、初めまして、で会ってるよなあ?」
「君はそうかも知れないね。しかし私はよく知っているよ」

 こめかみを滑り落ちた冷たい汗を手で拭う。
 こみ上げてくる吐き気を堪えて、夜無月はなんとか笑顔を作った。
「……ルモーレファミリー9代目ボス、だろ?」
「おおご名答」
 通路の先、進行方向を遮るようにして扉の前に立つ相手は、心の底から嬉しそうに笑う。
 薄茶の髪と細い目が目立つ、柔和という仮面を張り付けたような男だった。


「ディーノを返せ」


 チャキ、と冷たく銃口が光った。

「……おや」
「上の階にはいなかった。……ディーノに、何をした?」
「……これはこれは」

 うっすら、殺気にあてられた男が引き攣った笑みを浮かべる。
 夜無月は足に力を込めながら、銃口がぶれないよう血の滴る傷口から意識を逸らした。

「ディーノ氏は大切な婚約相手だからね。傷を付けるような真似はしていないよ」
「へえそう。なら今すぐ居場所を教えてくれる?俺がきっちり持って帰ってあげるから」

 軽口を叩きながらも、夜無月の身体は良くない兆しを見せ始めていた。切ったはずの痛覚が疼き出し、足を伝う血の温度がひどく不愉快に感じられる。
 ――不味い。
 思わず、唇を噛んでいた。

「そう焦らないでもらいたい。それに、君は満身創痍なようだし」
「悪いねぇ、たった今ファミリーを1個、完全に壊滅させちゃったから」
「構わないよ。君1人が手に入るなら、上の囮など軽い犠牲だ」

 ――おとり?
 相手の部下に対する慈愛の無さにも眩暈がしたが、それより不穏な単語が引っかかった。
 まさか、再び胸元を騒がせ始めた嫌な予感に眉をひそめ、夜無月は今にも手の内から滑り落ちそうな銃をぎりぎりで構え直す。

「さて、夜無月君。少し取引を始めないか」
「……ハ?何、そんな悠長な暇あんの?」
「そう殺気立たないでもらいたい。さっきも言った通り――」

 パチン、
 男の指が、軽く鳴った。


「――上階は、全て囮なのだから」


 息を、吐く。
 チッと隠しもせず高く舌を鳴らし、夜無月は苛立ちと焦燥に顔を歪めた。
 しまった。やられた。
 これは、確実に――。

 立ちはだかる男の真後ろ、
 開かれた扉から滑るように音も無く現れた黒い群れが、次々と周囲を取り囲んでいく。


 ――確実に、牢の底へと落ちていく予感。


「……さて、取引を始めようか。夜無月君」

 不規則な呼吸を整えようと、夜無月は深呼吸を繰り返し、傷口の苦痛を堪え唇を噛む。
 ――だが、その足元に広がる血溜まりは止まらない。

「君が、大人しく我がルモーレファミリーに所属し命をきくと契約を交わしてくれれば――ディーノ氏は、解放しよう」

 最悪、
 唇の形だけで吐き捨てた言葉は、整わない呼吸に乱れかき消された。
 
「しかし、認めないようであれば、」

 高音。金属音。開匣の気配。
 ぐるりと己の周囲を囲んだ武器の数々に――夜無月は苦みの混じった笑みを浮かべた。

 さすがに、この体でこの数は――
 試したこと、ないかなあ。


「――ディーノ氏の身の安全は、保障しない」



 瞬間、緑の閃光と数多の爆発音が鳴り響き、
 夜無月とルモーレの、最後の血戦が開始した。


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