揺れる思惑
 別に沢田綱吉が突然用事を言いつけてくるのはこれが初めてではなかったが、それでも今回ばかりはなかなか珍しいと言えた。

「――良かった。雲雀さん、いましたね」
「ノックを忘れてるよ、」
「すみません、今オレそれどころじゃなくて」

 沢田綱吉、と忠告の後に付け加えようとした名前はいとも容易くばっさり切られて、雲雀はちょっとむっとした。昔の自分なら容赦なく咬み殺しにかかっていただろうが、今の沢田にそんなことをしようというバカげた考えは浮かんでこない。
 特に、彼の顔に浮かべられた笑顔の奥で、茶色の瞳が熱狂的に鋭く光っている時なぞは。

「……何。僕今外出するとこだったんだけど」
「夜無月君のとこですよね?」

 先手を打たれて鼻白む。まさか見透かされているとまでは思っていなかった。

「そうだよ。山本武に話を聞いてね」
「そのことなんですけど、」

 ドサッ。唸るように言葉を発した綱吉が、着替えようとほどいたネクタイを雲雀が放った、そのソファの上へ書類を落とした。

「……ちょっと」
「上の2枚以外、正直蛇足なんで見なくてもかまいません。雲雀さんには鬱陶しいだけでしょうから」

 珍しく雑なボスの動作に、雲雀はぐっと眉根を寄せた。だが小柄な相手は気にもとめない様子で、そのまま次々言葉を紡ぐ。

「ただ1枚目だけは極力失くさないでくださいね、ルモーレファミリーのアジトの内部構造、2度目のハッキングかましたらこっちがダウンしそうになったんで。骸がダメだったんでもう侵入不可能です、あっちもなかなか手堅いですね。でも雲雀さんなら大丈夫だってオレ、」
「ねえ君」

 いい案配だ。雲雀はイライラしながら遮った。
 自分にしてはかなり粘った方だと思う。少なくともまだ匣に手をかけてもいない。

「1人で勝手にぺらぺら話さないでくれる。それこそ鬱陶しい」
「……ああ、すみません」

 一瞬の間を空けて、沢田綱吉はニコリと笑んだ。だがその奥できらりと強い光が瞬いたのを、雲雀はしっかり見逃さなかった。良くない兆候だ。
 正確に言うと悪くはない、だが面倒だ。彼がこんな顔をする時はごくごく稀だったが、そこには大抵厄介ごとが絡んでいる。つまりただ好きなように暴れるわけにはいかない、以前の任務のような、あれこれ手回しの要る、だから面倒事。厄介。
 だがそんな雲雀の心境は、次の綱吉の一言であっさり切られることになった。


「さっきリボーンから連絡が来ました。夜無月君がルモーレファミリーに単独乗り込みました。今すぐ援助が必要です」



 君、そういう事を先に言いなよ。
 言い捨てた雲雀が部屋を飛び出したのが先か、綱吉がさっきの言葉忘れないでくださいねと叫んだのが先か――
 いずれにせよ。

 もう、全ては動き始めていた。


***




 カチリ、カチリ。
 どこか遠く、ぼんやりした音にディーノはうっすら目を開けた。
 なぜか体中が鈍い。正しく言うなら重たい。

 ――麻痺。筋弛緩剤。

 一瞬にして脳裏にその言葉が駆け巡った。
 だが、なぜ。いつの間に。
 重たい頭を無理やり動かし横を見る。少しでも状況把握をしておきたかった。
 視界に映るは、うすぼんやりとした暗い部屋。
 そんなに広くない、しかし状態を把握するには充分すぎる情報だった。

 捕らえられた。

 ガチャリ、手首を拘束する手錠とそこから伸びる鎖を見、ディーノは小さく舌打ちをした。ここ最近、結婚関係やらそれに伴う同盟の強化やらで碌な生活をしていなかったが、しかしこうも簡単に罠に嵌められるとは。
 愚かな――だが次によぎったのは、やはり、という思いだった。

 我ながら滑稽なほど今更だったが、しかしどこかきなくさい様子はあったのだ。
 勿論婚約相手の話――ルモーレファミリーに、だ。
 
 婚約からのあれほど急な結婚の求め、あまりにも順序良く進む手続きの数々、そして何より。

 何度目だっただろうか。
 ルモーレファミリーとの幾重もの会談のうちのいつか、もう慣れきってしまったその最中に、向こうのお偉方が婚約相手の隣で訪ねてきた事を、よく覚えている。

 ――貴方の他の同盟相手、……そう、ボンゴレファミリーとも仲が良いそうですね。あなた方、キャッバローネファミリーは。
 ――……?そうですね、それは確かに。

 何を藪から棒にと首をかしげたディーノの前で、人の良さげなあの男は、しかしどこか胡散臭げに微笑んだ。

 ――ボンゴレには今、夜無月という若者が――……。


「……accidenti」
 低く悪態を吐き、ディーノは手首を持ち上げる。
 寝かされているらしいベッドの上、軋んだ身体は少しも動きはしなかったが、手首だけはかろうじて上がった。
 ガチャリ、警告のように鎖が鳴る。
 暗い中、ぼんやり光るその鉄鋼を目を細めて睨みあげーディーノはぎりぎりと歯ぎしりをした。

 ――狙いは、夜無か。



 うまく動かない頭の片隅で、ようやくのろのろと思い出す。
 そうだ、いつも通りの会談の席で、そろそろこのやり取りも終わりだろうと向こうの要求通りに部下を廊下に待たせて、
 全ては常と同じ、なんてことなしすぐに終わるだろうとたかをくくっていたのが――多分、落ち度だ。

『……あら、本当にお1人で来たのね』

 笑んだ女の背後に――誰もいないこと、そして背後から勢いよく伸びた気配に全てを悟るより早く、
 ガツン、という音がして、ディーノの意識は闇に沈んだ。



「……くだらね」
 吐き捨て、自分に嫌気が差す。なんて馬鹿馬鹿しい、ありがちもいいとこな手口だ。
 だが、今はそれより脱出だった。自己嫌悪なら後でいくらでもできる。

 はじめに夜無のことを訪ねて来て以来、何かとその後も熱心に質問を重ねられた。あの時は妙だな、くらいにしか思わなかったが、今となってはそれが全て布石だったとわかる。
 どこであの青年のことを嗅ぎつけたかは知らないが、大方裏の情報蔓だろう。夜無がいくら影に身を潜めようと、ボンゴレで暗躍している彼の噂は完全にかき消せるものではない。

「……夜無、頼むから……」

 歯を食い縛り、動かない上体を強引に起こしながらディーノは呻いた。
 今祈るのは、ただ1人のことだけ。


「ここに、来てくれるなよ……!」


***



「……うーん、やっぱ内部構造変わっちゃってるかー」
 ぼやき、青年は藍色の目を光らせる。
 廊下の死角から飛び出してきた男を容赦なく蹴りあげ、片手を目の前でひらりと振った。
 まるで別れでも告げるかのようなその仕草とともに、目も眩む雷電が放出される。

「非合法な手口使いまくってのし上がって、オマケにキャッバローネを取り込んでボンゴレ転覆なんて、大それた事をお考えになられるトコだ、さすが……」

 一筋縄ではいかないか。

 言葉とは裏腹に楽しげに笑ってみせ、夜無月は再び電光を放った。
 次々と現れる相手をなぎ倒しては、奥へと進む。ルモーレファミリーのアジト、その奥深くへと。
 体をつたう、生暖かい血の感触と痛みを完全に遮断して。




 ――全ては、今動き始めたばかり。


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