最後の一歩
 それでも選んでしまったことは、もう取り返しがつかないのだろう。


「……行くか」

 重厚な扉を見上げ、夜無月は1人小さく笑った。
 苦笑と嘲笑の混じったその声は、誰にも見られることなく暗い空へと溶けていく。
 薄暗い、まだ夜明けには程遠い時刻にー藍色の瞳の青年は、静かに一歩踏み出した。
 肩に無造作に上着を引っ掛け、まるで旧友の家にでも訪れるかのようにそれは非常に気軽に気楽そうに、

 しかし、確かな檻の中へ。




『……俺、結婚するんだ』

 ボンゴレ三代勢力の、突然の結婚。

『これってアレだろー、最近盛り返してきたっつー……』

 そのお相手、
 急激に力をつけだした、中の上程度のマフィア。

『てめぇが情報仕入れまくるのは、大方相手を潰す時だけだ』

 そして、
 その情報を収集した結果が、どうか外れますようにと望んだ行く末が、


 コレだ。


***



「……いやあ、堕ちるとこまで堕ちたなあ……」
 呟き、夜無は書類をめくる。
 もう必要のないものだ。懐から出したそれを、夜無は無造作に掴み直すと、一気に破った。
 びりびりと、夜更けの静けさに似つかわしい音が響く。

 ルモーレファミリーのアジトの目と鼻の先、この煩わしい音が聞こえないはずはなかったが、所詮自分には関係のない話だった。
 どうせ、陽動作戦は決行予定だ。自分に1番お似合いの、そしてお得意の目くらましと怒涛の攻撃。
 多勢に無勢、そんな戦闘のルールをぶち壊すのは、いつだって自身の身に呪いのように課されてしまった、この痛覚を紛らわし思うままに神経を麻痺させることができるろくでもない機能、そして呆れるほど必要性のない身体能力。
 その2つだ――その2つを使い切って、いつだって自分は生き残ってきた。


『……てめぇ、また無茶するつもりだろ』


 耳に、低くざらつく声音が蘇る。
 昨日の朝、獄寺隼人が告げた言葉。確信と批難に満ちた銀の目。

 小さく、笑う。
 わかっている。もうそろそろ終わりだ。
 自分の無意味なこの闘い方も、
 いつまで経っても「普通」と呼べないこの身体も、
 全部、全部終わりなのだ。


『おめーには、何にも知らねえ一般人として生きる道もあるんだぞ』


 遠い昔に言われた、元家庭教師の言葉は未だ脳裏に焼きついている。
 焼きついて、離れない。
 けれど。


「……もう遅い、んだよなあ」


 最後の1枚を破り捨て、破片をばらまく。
 黒くそびえる扉の前で、その欠片はまるで祝福の紙吹雪のように、儚くも脆くはらりと散った。


「……行かなきゃ」



 そう、いつだって選んでしまったことには、もう取り返しがつかないのだ。

 リボーン――あの横暴な元家庭教師――に(半ば無理やり)声を掛けられ、少しずつ勢力を強めていると噂はかねがね耳にしていたこのボンゴレへと足を踏み入れて、

 明るくうっかりしているようで、実は抜け目のないボンゴレ10代目ボスに、
 1人で背負っては無茶をして、そのくせ他人をよく見ていてお節介ばかり焼くその右腕と、
 朗らかそうでいてやっぱり余計なことをしたがるボンゴレ二大剣豪の男、
 気紛れでワガママな戦闘狂に、笑みで全てを巧みに誤魔化す幻覚使い。
 ……ああ、可愛いながらも芯は強い、あの少女も入れておくべきだろうか。最高に世話焼きたがりなあのヤブ医者も。

 そう、出逢ってしまったのだ。
 頭に浮かんで離れない、彼等という存在に。



「……待ってろよ、ディーノ」

 目を閉じ、夜無月は小さく呟く。
 紙吹雪の舞う中で、1人上着をバサリと広げた。


 ――夜無!


 何より今の自分を突き動かしてしまうのは、
 いつまで経っても胸の辺りを掴んで離してくれない、あの金髪馬鹿の気の抜ける笑顔。


「……最後の任務、あんたの笑顔のために果たしてやるよ」


 そう、これが最後の任務。
 わかりきったタイムリミットにまたも笑って、夜無月は大きく足を踏み出した。


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