Good night,どうか良い夢を
 なぜよりによってこいつが、と思うことは多々あった。

『ん、何見てんのさヤブ医者』
『やぶ……そのヤブ医者にさっきまで診療してもらってたのはお前だぞ』
『あは、まあそーだなんだけど』

 何がそーなんだけど、なのか、ぷちぷちとシャツのボタンをひとつずつしめていきながら青年は薄く笑う。
 快適なクッション備え付けの回転椅子にどっかと座り、シャマルは肘をついて彼を見上げた。
 薄い月明かりに照らされて浮かぶは、黒い髪に細い身体、骨張った指先に白い頬――いや、白と呼ぶには限度があるか。正しく言うなら青白い、だ。
 白を通り越して青透明な、あまり健康とは言い難いその顔色の奥で、しかし確かに彼の藍の目は変わらぬ光を宿していた。半年前、ふらりとシャマルのもとに現れた時と少しも変わらない、強固で不動な深い青の瞳。
 根本は何も変わらないのかね、とシャマルはひとり肩をすくめた。自分の内心を表すならやれやれ、というところだ。目の前の定期患者は、全く愚かでしたかかで、可愛らしくて仕方ない。
 最も、そんな本音を言ったら速攻で感電行きだろうが。

『……だから何見てんだよ、シャマル』

 ふと我に返れば、じとり、見下ろす湿った瞳。

『……んー』
 まさかお前に見とれてました、とは口が裂けても言えないので、ごまかしの意図も含めて、机上に置いたカルテに手を伸ばす。ぴらり、1番上をめくった。

『何回診ても、お前の体は意味不明だなあ、ってな』
『あはは、それは誰より俺がよく知ってるよ』
『普通なら1ヶ月は動けねえんだぞ?まあボンゴレのやつらは大抵並外れた回復力だが……お前は異常だ。一晩だなんて、な』
『そんなん今に始まったことじゃないじゃん』
『……そりゃ、それ言っちまえば身も蓋もねぇが』

 ボタンの最後のひとつを留めて、夜無月はあっさり会話を終わらせる。
 その素っ気なさと自己に対する無頓着さも、いつもの彼と変わりないものだ。シャマルはただ苦笑の吐息を漏らすほかない。

『……で?』
『ん?』

 にこり、無邪気に首を傾ける青年。

『次はどーゆー無茶やらかすつもりだ?クソぼーず』
『やっだなあ、俺今年で25歳だよ25歳。坊主なんて可愛らしいあだ名は不適切だって』
『ハッ、オレから見りゃあまだまだガキだね』
『まあ、そりゃシャマルから見たら大半そうだろ』
『そりゃあな』

 ばさり、無造作に上着を肩に引っかけ、夜無月は少しだけその表情を柔らかくする。
 ほう、とシャマルは内心驚きの息を吐いた。
 彼にしてはなかなかレアな顔だった。造り物ではない、ふと気が抜けたような、本当に穏やかな表情。
 それには気が付かないフリをして、シャマルは指折り言葉を紡ぐ。

『ボンゴレボーズ、隼人、んで雨やら雷やらの守護者……に、ラストお前。どいつもこいつも、オレから見れば青臭いガキだね。未熟でへなちょこ』
『そこまで言うー?俺なんてかなり早熟な方だと思うんだけど』
『自分で言ってるあたりまだまだだな』
『えー』

 不満そうな口ぶりながら、しかしその顔は愉快そうに笑っていた。
 やや傾けられた首も笑みを含んだ藍色の瞳も、おそらく無意識なのだろうがひどく愛らしくそれでいて蠱惑的で。
 これで無自覚なんだからタチが悪い、とシャマルはこっそり鼻を鳴らす。

『ん、じゃあ俺行くわ。ありがと、シャマル』
『礼はいーから、ちゃんとカワイコちゃん連れて来いよー』
『はいはいもちろん、そのうちな』

 ふわり、肩にかけた上着を翻して。
 音もなく扉を開けて出て行った、彼を見送ったのは1ヶ月前の事だった。


 のだが。


***



「……で、なーんでお前はまた来るのかねえ……」
「よーうシャマル、1ヶ月ぶりぃ」

 ため息をついたシャマルの前、眩しいほどに対照的な笑顔を浮かべ手を振る夜無月。
 まあ、まだそれだけだったらいい。だが問題は彼が肩に大きなお荷物を担いでいるということであり、それはもう間違いなく、非常に面倒くさい予感をぷんぷんさせていた。それはそれは最高に手間を取りそうな。

「……ソレ、なんだ」
「は、何忘れたの?お前の可愛い可愛いは、や、と」
「んなでっかいガキンチョに興味はねーよ。オレはとびきりカワイイ美人なねーちゃんを連れて来いっつったんだ」
「いやあ、それはまたの機会で。今はちょっとこいつに寝床を提供してくんない?」
「やーだよ。つかどうしたんだ隼人の奴」

 これだけぽんぽん戸口で応酬を交わしながらも、夜無月の肩にぐったりもたれかかりおぶわれている獄寺に、起きる様子はみじんもない。
 常の彼らしくないその姿を上から下まで眺めてみたが、特にこれといった外傷も見当たらない。しかし気になる点がただひとつ。

「アルコール臭半端ねえな」
「うん。飲ませすぎた」

 にっこー、ととびきり愛想のいい笑顔を浮かべ答えた夜無月に、シャマルは呆れてこめかみを押さえた。

「……最近のボンゴレは平和の塊だなー」
「そう言わないでよ。隼人潰しちゃった罪悪感で、今俺の胸は張り裂けそうなんだから」
「その面で何が罪悪感だ」
「てへっ」

 舌を出して小首を傾げられても何も可愛くない。……いや、若干可愛らしいかもしれない。
 随分末期的な己の思考にはあ、と盛大に息を吐き、シャマルは渋々扉を開け放った。
「ていうかお前な、オレがここ引き払ってたらどうするつもりだったんだ。そろそろこの住処ともオサラバする予定だったんだぞ」
「うん、正直そうだったらどうしようかなとは思ってた。俺やっぱ強運者」
「何が強運者だ、本当に強運な奴はなあ、」
 お前みたいな、ぐちゃぐちゃな身体してねぇんだよ。

 言いかけ、はっと口をつぐむ。
 だが夜無月は特に何も触れず、シャマルの横を押し入るように通り抜け、部屋の奥へずかずかと上がり込んだ。


***



「さあって隼人ー、ベッドだぞー」
「……ん、んん……」
「あ、起きないで頼むから。今起きたらいろいろマズイ気がするから。吐き気とかで」
「頼むからそこらへんで吐かせんなよ……」
 まるで我が家かのように平然とベッドに獄寺を横たえる夜無月に、扉を施錠し後を追ってきたシャマルは肩をすくめる。
 もっとも、夜無月の態度はいつもこんな感じなので今更気にも止めやしない。当然のように床に放られた上着を見、行儀の良いことで、とシャマルは小さく呟いた。

「シャマルー、二日酔いに良い薬とかない?」
「なんで男のために処方してやらなきゃなんねーんだ。……っていうか、どんだけ飲ませたんだよ。隼人、んな酒弱かったか?」
「酒場のおっちゃんがこれ以上飲んだら店の酒が尽きる、って泣きついてきたとこでやめてきた」
「……馬鹿だな、お前ら」
「知ってる」

 にっこり笑うその顔には、反省やら後悔やらは微塵もない。思わず天井を仰ぎかけて、ふとシャマルは視線を戻した。
 ベッドで眠る獄寺の横、シーツに腰掛け、枕に広がる銀髪をすくっては放しすくっては放しを繰り返している、青年の横顔へと。

「……ちょっと待て。まさか隼人が自分だけしこたま飲むわけねえだろ。お前は飲んでねえのか、夜無月」
「まっさか。そもそも獄寺に勝負持ち掛けたのはこの俺だし」

 夜無月の顔を二度見する。

「……お前、いつもと変わらなくないか」
「俺、酒めっちゃくちゃ強いよ。知らなかった?」
「そりゃ初耳だな」
「そっかあ」

 別段大して興味もなさげに、夜無月はそこで会話を打ち切った。
 そのままおもむろに立ち上がり、ふとシャマルへ顔を向けにっこり笑う。
 不意打ちの笑みに、シャマルは思わず息を詰めた。

「ねえ、シャマル」
「……なんだ」
「俺とあんたの仲ってことでさあ、ちょっくら貸しを作ってくんない?」
「はあ?」
 我ながら、なかなかすっとんきょうな声が口から飛び出す。だが相手はけろりとしたものだった。
「このまま隼人のこと、頼めないかなあ」
「……は?お前、何言ってんだ」
「俺ちょっと用があるんだよね。わりと野暮用なんだけど」
「おい、聞いてんのか」
「朝から散々はぐらかして、やっと酔い潰して誤魔化せたんだ。この隙を逃すわけにはいかないからね」
「お前、何を、」
「シャマル」
 ゆるり、緩慢な動作で青年は上着を拾い上げ、肩へと掛ける。
 顔を上げた夜無月の瞳は、1ヶ月前となんら変わらず強い光を宿していた。

「頼むよ」




 夜無月が、目の前を通り過ぎていく。
 半ば呆然としていたシャマルは、とっさにその腕を掴み引き寄せた。

「夜無月!!」

 初めて、だったかもしれない。
 この生意気で不可思議で、しかしどこか脆そうな青年の名を、これほどまでに強く呼んだのは。
 だが。

「ダメだよ、シャマル」

 彼は緩やかに穏やかに、掴んだ腕を振り払った。

「寝てる奴の前で、そんな大きな声出したら」
「お前、」
「ありがと、シャマル」

 ひらり、一度だけ振られた手は、容易く鍵を開け扉を開け放ち。


「またね」


 最後までこちらを見ないまま、彼は夜の闇へと消えていった。


***



「……あの、くそボーズ」
 とっさにプライベート用の通信端末を手にして、動きが止まる。
 誰に連絡をすればいい。
 ボンゴレボーズか、守護者か、それとも――。


『……頼むよ』


「……くそっ」
 苛立ち紛れに端末を机に叩きつけ、歯ぎしりする。
 懇願の言葉。必死の色を滲ませた藍色の瞳。
 どれも初めて見るものだった。彼のそんな姿は見たことがない。
 いつでもあの男は人を惑わすように笑っていて、常に本心を押し隠していて、ただ時おり気紛れのようにちらりと無防備な顔を見せるから、
 それすら計算済みなのではないかと疑うほどに惹かれていて――。

「……馬ッ鹿野郎」

 ひらり、机の端にまとめておいた紙がめくれかける。
 反射的に押さえたそれは、1ヶ月前にここを訪れ去って行った、最後の患者の容体をこと細かに記していた。


「お前は、次無茶したら死ぬんだぞ……夜無月……!」


***



 なぜよりによってこいつが、と思うことは多々あった。
 隼人とさして変わらない年のこいつが、
 なぜこうも尋常でない体力と知力、身体能力を持ってボンゴレで暗躍しているのかと。
 自身について何ひとつ明かさず誰も頼らず、
 孤独に激務を片しては、アジトではなく自分の元へ、ふらりと傷の治療に来るのだろうかと。

 なぜよりによってこいつが、

 超人的な回復力と自身の五感を己の意思のままに操ることができるなどという、
 そんな馬鹿げた能力を持ってしまったのかと。
 そしてその代償が、


「……おい、聞こえてんだろリボーン?緊急事態だ、お前んとこの厄介な男が、今…」


 どうしてこんなにも早すぎる、余生の幕切れなのだろうかと。


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