絡む過去と今と
飛び込んだのは、自分だ。
だから、ケリをつけるのも自分で良い。
そう、思っていた。
『煙草嫌いなんだよね俺』
『……は……』
『だからー、助けに来ちゃった、みたいな?』
語尾に似合いもしない星マークを付けにっこり笑む、
あの男が颯爽と現れるまでは。
***「夜無」
「ッ?!」
ぱしっ、軽く響いた音に、瞬時に振り返る黒髪の男。
途端に目の前がぶれ、刹那、
ダン!!
背骨から何かが抜けるような衝撃が来た。
「……え、は、やと?」
「……何ボサッとしてんだよ。らしくねぇ」
ため息混じりに睨みつければ、残像すら見えない速度でこちらの体を壁に叩きつけた相手は、藍色の目を大きく見開いた。
珍しい。そう思った。
この男が、これほどまでに動揺を見せるとは。
「……んだよ、びっくりさせんなよ」
は、と口元を緩め笑い、夜無月がこちらの襟から手を放した。
軽く咳き込み、獄寺は襟をきちんと整える。
「いきなり攻撃してくんじゃねえよ。痕が付いたらどーしてくれんだ」
「そっちこそいきなり腕掴むなよ。危うく殺すとこだった」
困ったように微苦笑してみせるその顔は、おそらく言葉通り本気だろう。
例えばそれこそ獄寺が少しでも殺気をまとっていたならばー多分、今ここに転がるのは屍だ。
「……あいっかわらず物騒なヤツ」
「お前に言われたくないね、10代目右腕」
軽やかに返されたその言葉は、しかし表面ほど揶揄の響きは伴っていなかった。
「……で、」
だが、次の瞬間。
相手の口振りは紛れもなく、冷ややかなものに変わった。
「……なんで、隼人がここにいんのかな?」
ここ、というのは間違いなくこの路地裏のこと、空港があるだけという、さして大きくも活気もないこの街の片隅のことであろう。
射し込む朝日と対照的に、すっと細められる冷たい温度のその瞳。凝縮された光は鋭さを増し、獄寺を貫くように見据える。
だが、こちらも今さらそんな事に怯むような日々を送っているわけではない。
「ちょうどこの近くで任務があったんだよ。そしたら山本から連絡が来た」
「……ああ」
なるほどね。
小さく呟いた夜無月の体から、みるみる殺気が失せていった。うなだれ、ため息を漏らす。
「……やっぱなー……だから嫌だったんだよ、武に見つかるの。あいつ、絶対誰かに言うと思った」
「何する気だよ」
ぐったりとぼやく相手の前を、塞ぐようにして立つ。
「……は」
「山本からざっとしか聞けてねぇが……てめぇ、何か企んでんだろ」
「やだなー、人聞きの悪い。俺はボンゴレを裏切る気は全く無いよ?」
「そうじゃねえ」
軽い調子で肩をすくめる、相手の瞳を睨め上げる。
「……またお前、無茶する気だろ」
キツい口調でそう断言すれば、藍色の瞳は僅かに揺れた。
*** 日々多忙な10代目のもとに、またも舞い込んだひとつの案件。
面倒ながら簡単には片付けられない、つまり薄暗い大手の組織との危うい会合。
マフィアの中では正当な道を歩むボンゴレとしては、バッサリ切り捨てたいながらも、しかし相手の権力ゆえになかなか叶わずにいる、そんな神経を使う取り引き先だった。
『……10代目、この案件は俺にお任せください』
『え、でも……』
『10代目、最近ろくに睡眠も取られていないでしょう。いい加減体に障ります、ここは俺に』
渋るボスから半ば無理やりに仕事をもぎ取り、獄寺は単身乗り込んだ。
正直、危ない橋だとはわかっていた。
獄寺が独自で仕入れた情報から、そんなことはわかっていたのだ。
わかっていて、良いと思った。
踏み込んだのは自分だ。
だから、ケリをつけるのも自分でいい。
最後に無事に命だけ持って10代目の元に帰ることができたならば、それで。
『……お、まえ、は』
『はーい正義の味方登場。ってわけで感謝しろ隼人』
『ふ、ざけんな、なんで……』
『言ったっしょ?俺煙草の匂い嫌いなの』
わけのわからない言葉を吐き笑った相手は、
次の瞬間容赦なく雷電を放出し、全ての敵を撃破した。
*** 多分、あの瞬間からだ。
自分の中で、この夜無月という男が、
怪しく疑わしい青年から、ボンゴレの手強い味方だという印象に変わったのは。
あれから何年か経った。経って、それこそおそらくこの男は何も覚えちゃいないだろうが、しかし獄寺の脳には永遠に刻み付けられたと言っていい。
あの時、口の端を釣り上げ艶やかに笑って見せた、
きらめく瞳の藍の色、は。
「……ほんと、やだなー」
ふ、と困ったように笑んでみせ、性別以外の全てを秘めた相手は両手を上げる。
夜無月という名前すら、本当の物かなどわからないのだ。
わからない、からこそまた、その足取りを追ってしまうのかもしれないが。
「俺の勝手な私情だよ。危ない任務でもなんでもなーし」
「のわりには、ずいぶん余裕がねぇな」
「……どこまで聞いたんだよ」
「てめぇが一晩でルモーレファミリーの情報を詰め込んで、朝イチの飛行機を取ったとこ、までだな」
「……もー、なんでよりによって隼人に言うかなー」
一歩、踏み出す。
脳裏にその存在を鮮やかに焼き付けておきながら、
相変わらず何ひとつ本心を晒さない、目の前の男の元に。
「……何」
「行かせねぇ」
目の前、やや低い位置にある色白の顔を見下ろす。
「……へえ」
途端、鋭利に細められるその瞳。
「俺を前にして実力行使?」
「てめぇが望むんならな」
「俺に勝てると思ってんの?」
「当然。オレを誰だと思ってやがる」
「ボンゴレ10代目ボス、沢田綱吉の右腕」
ふっと片方の口角を上げ、夜無はあっさり返答する。
しかしその全身に確かな殺意が満ちるのを見、獄寺もまた、リングの嵌った右手を静かに上げた。
「……なんでそこまでルモーレを狙う?」
「狙ってないさ。ただちょっとお訪ねしたいだけ」
「……つまりは壊滅だろ」
一瞬、相手の瞳が開いた。
動揺と、驚愕。
初めて見るに等しいそれに、なんとなく獄寺は愉快になった。
未だピリピリとした空気をはらみながら、
しかし確かに、愉快だと思う余裕はあった。
「……あっれー……そんなに、もろわかり?」
「てめぇが情報仕入れまくるのは、大方相手を潰す時だけだ」
「……なんで知ってんのさー」
「ずっと見てたからな」
「……は」
ゆらり。
藍色の瞳孔が、音もなく細まり、揺れる。
「……っ、何、俺相手に誘ってんのかなー?」
「誘ったら、行くのやめるか?」
「……は、何、を……」
夜無月が焦ったように視線を泳がす。
その身にまとっていた殺意が、見る見るうちに消えていった。
ひどく珍しい、というよりは初めて見るその姿に、獄寺は一瞬目を見張り、それから小さく笑った。
なんだ、こいつ。普段は自分からあちこちの人間に軽い誘いをかけてる癖に。
いざ自分が惑わされると弱いのか、と眼下で狼狽えているその姿を眺め、おかしく思った。
意外な弱点だ。
両腕を伸ばす。
とっさに、というより染み込んだ反射だろう、身構えたその体をすばやく引き寄せ、思いきり抱きしめる。
息を呑む音がはっきりと聞こえたが、獄寺にやめる気はなかった。
「行くな。それか、行く理由を話せ」
「……っ、はなせ、馬鹿」
「ぜってーやだ」
「……このやろっ、こんな時ばっか馬鹿力で……ッ」
腕の中、じたばたともがく夜無月を見下ろしふっと笑う。
なんだ、こいつ。
性別以外全て不明の得体の知れない奴なわりに、
ちょっと抱きしめた程度であわあわと赤くなる、そんな子供みたいなとこもあるだなんて。
「……意外とかわいーとこあんだな。お前」
「は、気持ちわりーこと言うなっての……!つか離せ!人に見られたらどーする気だっ!」
暴れる相手をぎゅうぎゅうと引き寄せ、獄寺は頭を反らし空を見上げる。
白い雲の広がる空は、どこで見ても変わらない、いつも通りの青色であるのに。
なぜか、少し新鮮に見えたのは、多分。
「……あー、わかったもういい!俺が悪かった話すから!ちゃんと話してやるから!だから腕離せ!」
「本当だろーな」
「ほんとのほんと!だから離せ心臓にわりぃ!」