密かな決意
 思えば、この赤と青のオッドアイを見るのは随分と久しぶりだった。


「夜無」
「ひさしぶり、骸」
 すれ違う時は、相手が誰だか認識していなかった。通り過ぎた後、相手に腕を掴まれて初めて気が付いたぐらいだ。
「……久しぶり、ですね。確かに」
 夜無月の腕を掴み、スッと目を細める骸。
「元気してた?」
「それはこちらの台詞ですよ、夜無」
 こうして廊下で言葉を交わすのも、久しぶり。
 元々あまりアジトに来ない骸と、アジトにとどまることの少ない自分。
 関わることが極力少ないはずなのに、しかしなぜか夜無月は骸が好きだし、そして多分、それは向こうも同じだと思う。自分のうぬぼれ、でなければ。
「……凪に、会いましたか?」
「え?」
 突然の問い掛けに、夜無月は思わず聞き返す。だが骸は視線を床に落とし、僅かに俯いていた。
「いや、会ってない……てか、今から会いに行こうかと」
「そう、ですか……」
 やはりどことなく歯切れの悪い骸。彼らしくないそれに、夜無月は眉を寄せた。
「……凪が、かなり落ち込んでいましたので」
 こちらを窺うように見、骸は口を開く。その声には微かに、悲しそうな響きがあった。
 おそらく本人は気が付いていないのだろうが。
「……ツナからも聞いたけど、クロームは何も悪くないよ。って、今からそれを伝えにいくんだけども」
「……よろしくお願いします」
 骸が頭を下げた。長い黒髪がぱさり、と背中で揺れる。
 夜無月は困って頬をかく。口元が苦笑の形をかたどるのが自分でもわかった。
 マフィアを忌み嫌い冷酷な一面をその身に宿す、その道ではかなりの評判のこの男が他人に頭を下げるなど、裏の人間達が聞いたらどんな顔をするだろうか。
「いいって骸、そーゆーのほんと困るから」
 わざと軽くそう言って、骸の頭を乱雑にがしがしと撫でる。骸はぱっと顔を上げた。
「な、何するんです」
 その頬に若干赤みがさしているのを見、夜無月は思わず吹き出した。
「……じゃっ、また」
 未だ自分の腕を掴んでいた骸の手をするりと放し、夜無月は背を向けひらひらと手を振った。
 その背中、伸びる手の気配に気が付いた時にはもう遅く、
「!」
「夜無」
 首元を引っ張られ体が反転した。
 目の前に反対色のオッドアイが、微かに笑みを含んで自分を映している。
 静かに合わせられた口付けは、先ほど襟元を引いた強引さとは真逆の優しいものだった。


***



「……あまり、可愛い事はしないでください」
「そんなことした覚え無いんだけど」
 夜無月の言葉に、骸は微笑み襟を放す。
 静かに始まり静かに離れてゆく、随分と穏やかなキスだった。

「肋骨、内臓、右腕、右手首」

 だが、唐突に告げられた骸の言葉に、夜無月の心拍数が一気に上昇する。
「骸、」
「ですが、1番酷いのは……肺、ですね?」
 骸は相変わらず微笑んだままだった。
「……今の一瞬でなんでわかった?」
 対する夜無月は、顔から一切の感情を消す。
「契約、ほどではないですがね。多少の接近なら、相手の体を乗っ取る事はできなくとも把握することくらいならできる」
「へえ。便利だね」
「怒らないでください」
 あなたを怒らせたい訳ではないんですから。
 宥めるかのように微笑む、その骸の顔が気に入らない。
「退院するにはいささか早すぎると、僕は思うんですが」
「俺の勝手だよ。好きなようにやる」
「自分の体を大事にしてください」
「してるよ。充分」
 頑なに答えれば、骸の顔から笑みが消えた。
 そう、それだよ、骸。
 いつも笑顔を浮かべてその下に本心を押し隠して、そんなのお前に似合わないさ。
「で、他になんかある?」
 わざと挑発するように片頬で笑えば。
「……ありますよ」
 骸は無表情のまま、夜無月の胸倉を掴んだ。
 夜無月は、静かに相手を見上げる。その時、今更ながら自分より骸の方が少し背が高いことに気が付いた。
 そっか、うわなんかむかつくなあ。
 どこか現実と解離した思考をふわふわさせたまま、細められたオッドアイを眺める。
「……あなたはどうして、」
「……。」
「どうして、もっと自分を大切にしないんですか……」
 胸倉を掴んでいる骸の手が、僅かに震えていた。
 馬鹿だな、骸。
 夜無月は口元を緩ませため息をつく。そう、どうしてわかりきったことを。
 そんなの一つに決まってるじゃんか。
「する必要が無いからだよ」
「あなたは……!」
 ビリビリとした空気が流れるのを、我ながら他人事のように傍観していたその時。
「骸さまっ、夜無月……!」


 振り返ると、口に手を当て目を大きく開いた少女が廊下の向こうに立っていた。
 骸は夜無月の胸倉を掴んでいるし、夜無月も夜無月でこちらの服を掴む骸の手首をけっこうな力で握り締めている。
 そりゃまあ、びっくりもするだろうな。
 やはり他人事のように思っていると、硬直していたクロームが、突如ぱたぱたとこちらへ駆け寄ってきた。
「どうして……」
 その目が、いまだ離れない2人を困惑の色で映している。
 一瞬、その場に微妙な緊張が走り、時が止まった。
が。

「……痴話喧嘩?」

「は」
 夜無月の口から飛び出した言葉に、状況も忘れた骸の口から声が出る。
「……え?」
 どうやら予想の斜め上どころか遥か彼方だったらしいクロームも目をまん丸くし、ぽかんと口を開けた。
「よくある事だから気にしないで、クローム」
 唖然としている間に華麗に骸の手を放し、夜無月は微笑む。
「あと、俺のことも本当に気にしなくていいから。見ての通り俺は元気いっぱいもいっぱい、で骸に襲われても元気に抵抗するレベルだし」
 ほらさっき見てたでしょ?とつらつら笑顔で話す夜無月に、クロームは当然さしもの骸もぽかんとした。さっきまでの空気はどうしたのか、彼はいつもとなんら変わりない、朗らかな顔で軽々と言葉を紡ぐ。
「じゃあね骸、またよろしく。あとクローム、また一緒にデートしような」
 今度は敵対勢力がいない場所で。
 身を翻した彼は、ひらりと1度だけ手を振り。

「骸、お前のキス、案外悪くなかったよ」

 振り返ることもしないまま、廊下を曲がり姿を消した。


***



「……夜無」
 骸は唇を噛み、苦々しい思いで呟いた。
 肌を通して伝わった感覚。
 アレは。そして、彼は……。
「骸様……?」
 見下ろせば、不安そうに少女がこちらを見つめていた。
「……なんでもありませんよ、凪」
 さすがにこの少女に言うわけにもいかない。
 夜無月の体の状態がかなり悪い、などとは。
「……キス、したの……?」
「はい?」
 予想外の言葉に、骸はまばたきを繰り返した。凪は少し眉を下げ、しかし若干不満の色を顔に浮かべる。珍しい。
「骸様、夜無にキスしたの…?」
「……ああ」
 やっと凪の言いたいことが理解できた骸は、改めて彼女の顔を見下ろした。
 こちらをおそるおそる、という様子で見上げる凪の瞳は潤みがちで、目元は赤く。
 どうしようか。
 少しだけ迷い、骸は微笑んだ。
 この子は案外、負けん気が強いから。
「……ええ、しましたよ」


***



 久しぶりに会った藍色の目は、体に残る苦痛によどんでいた。
 きっと誰も気が付いていないだろう。
 否、沢田綱吉は違うかもしれない。だが、ここまでハッキリとは突き止めていないはずだ。でなければ彼はとっくに夜無月を戦線から撤退させているだろう。
 夜無月は、気付かれたくないのだ。誰にも。


「……なら僕が、あなたの支えになりましょう」
 強靭で悪戯好きの、嘘吐きで愚かなあなたのことを。
 どう夜無月にキスをしようか、骸の腕の中でじっと思案する凪の様子に微笑みながら、骸は静かに呟いた。


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