I want to bite you to death! | ナノ
正夢になりませんようにと(雲雀)
「…雛香…?」

ぬるり、
手に生温い何かが付いた。
訳がわからなくて、
無意味にまばたきを繰り返し、
視線を落とす。


「…雲雀」


腕の中から名前を呼ぶ彼は、

今までで1番綺麗だった。

「……雛香、…」

わからない。
わからない。
どうして自分の手が真っ赤なのか、
どうして赤を辿った先に雛香の身体があるのか、

わからない。
わかりたくないんだ。


「雲雀、」


微笑む、雛香。
そんな穏やかな顔、
君には似合わないよ。


「……ーして、た…」







がばっと起き上がる。
額に手を当て、荒い呼吸を落ち着かせた。

「……夢」

盛大に息を吐いた。
なんて夢だろう。
瞼の裏に、まだありありと夢の情景が浮かんでくる。
血に濡れた自分の手に血塗れの雛香、
口元を緩めた綺麗な笑み、
最後の、小さく掠れた、
「……ッ」
思いっ切り机に拳を振り下ろせば、
派手な音を立ててカップが倒れた。
黒い中身がじわじわと広がる。


『……愛して、た』


「……くだらない」
息を吐き、転がったカップを立てる。
手近な布巾で零れたコーヒーを拭き取れば、何事もなかったかのように応接室は静まり返った。


くだらない。
どうしてあんな夢を見たのか。
よりによって雛香が死にゆくなんていうリアリティの欠片も無い、

……リアリティの、無い?

とっさに胸元を掴む。


本当に?


始めて会った時、彼は見るからに怪しい男を路地に転がしていたではないか。
追う者と追われる者、
自分には詳細なんてわからないが、
その空気は確かに感じ取っていた。

…雛香が死ぬなんて、リアリティの無い。

本当に?
それは、本当に、
「委員長サン」


顔を上げる。
応接室のドアをノックもせずに勢いよく入ってきたのは、先ほど夢に現れた少年だった。
「委員長サン、今日俺早く帰んなきゃいけないから屋上での勝負はナシな、って、え」
ぺらぺらと勝手な事情を話し始めた雛香が、こちらの顔を見てぎょっとする。
「…何」
「…え、いや、」
雛香はまばたきをすると、ふっと口元を緩めた。
「…や、気のせいだ。どうかしてんだな、雲雀が泣いてるように見えたなんて」
そんな訳ねーわな。
そう言って笑う、
彼の顔は夢と同じ、
少し口角を上げて笑む、
儚くも美しい、


「うぉっ?!」


紙一重で避けた雛香は、みるみるうちに青ざめ、真横の壁に突き刺さるトンファーをおそるおそる見た。
「……一応聞いとくけど、委員長さんは急に何してんのかな?」
「…むかつく」
「おおっと会話が成立しねえ」
「むかつく、から」


むかつく。
その笑みで僕を見るな。
その声で僕を呼ぶな。
まるで、


「…咬み殺す」
「…は?え、ちょっ、なんでだよ?!」

俺今日は勝負ナシっつったろ?!と慌てて背を向ける雛香へ、遠慮なくトンファーを持つ手を振るった。


むかつく。
その微笑みもその声音も、
まるで正夢になってしまいそうで。



「…ねぇ、雛香」
「んだよっ、つかお前はっ、なんでっ、こんだけ走っといてっ、ふつーに話せんだ、よっ!」
「君が死にそうになったらさ、」
「は?!」
「むかつくから、その前に僕が君を殺してあげる」
「…っ、ちょっと言ってる意味が、わかりません!」



「…僕にもわからないよ」





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