消えゆくのは、いつだって(雲雀)
・未来編直前
彼らしくない、妙に煩い足音だと思った。
バタンッ、
「委員長、」
「廊下は走らない」
「うおっ?!」
キンッ、という音とともに、投げつけたトンファーは弾かれた。
まあ予想通りだ。ふん、と鼻を鳴らし、読んでいた書類をパタンと閉じる。
「…で、何の用?朝から騒がしい」
んだけど、と言いかけ顔を上げて、言葉が止まった。
応接室に飛び込んできた彼は、校則通り並中の制服を着て、校則通り並中の学生鞄を持ち、つまりいつもと変わらない格好をしていた。
だが、その肩は大きく上下している。呼吸が荒い。
そして何より、
こちらを見据える黒の双眸が揺れていた。
「…え」
「夢を見たんだ」
思わず瞬きをした雲雀の前で、
雛香が突如口を開く。
「…夢?」
「委員長さんが…雲雀が、いなくなる夢」
は?
わけがわからなかった。
応接室の扉の前、立ち塞ぐようにして佇む、
その小柄な相手の姿をただ見つめる。
僕が、いなくなる夢?
「…なあ、雲雀」
カツカツと、雛香がおもむろに歩み寄る。
途中、その肩から鞄が滑り落ち、床に転がった。
驚き息を呑む雲雀の眼前、
机を挟んだその向こうで、雛香がこちらに両手を伸ばした。
頬を挟まれる。
強い力では無かったが、彼にしては強引だった。
「…お前は、この並盛から消えないよな?」
「…何言ってるの」
頬を挟む手を、ぐいっと押しやる。
その手が微かに震えていることに、その時初めて気がついた。
「馬鹿じゃないの…僕は、この並盛から出ていかないよ。ここは僕の物だからね」
精々決然と言ってやって、目の前の瞳を見つめる。
ゆらゆら揺れる、黒い瞳孔を。
らしくない、と雲雀は思った。
本当にらしくない。
この瞳が、不安の影を宿すだなんて。
「……だよな」
ふっ、とおもむろに雛香が笑った。
雲雀が押しのけた手をすっと体の両脇に戻し、あっさりこちらに背を向ける。
「邪魔した。じゃあな」
「今日の帰りも屋上だからね」
「えっマジ?また?」
「当然でしょ」
扉へと歩く途上で、彼はひょいっと鞄を拾った。そのまま何でもないことかのように、軽くそれを肩に掛ける。
「相変わらずだな、この暴君」
そう言い笑って扉を開け出ていった、
その顔はいつも通りの彼だった。
お前は、消えないよな?
「…馬鹿じゃないの」
閉まった扉を眺め、雲雀は呟く。
頬杖をついたまま、書類の山に目をやった。
今日はやる気にならなさそうだ。
彼を教室から引っ張り出して、夜まで屋上に付き合わせてやろうか。
「…どっちかっていうと、消えるのは…」
気まぐれな猫のように現れた彼。
月光の中で幻じみた出会いを果たしたあの子は、
ヴァリアーだったかなんだったか、それこそ少し前のように、突如消え去り姿をくらます。
そう、いつだって君は唐突なんだ。
消えたり、現れたり、死に急いでみたり。
「…ねえ」
応接室の扉の向こう、
もういるはずもない人物に向けて、雲雀は呟く。
「…君は、ここからいなくならないよね?」
それは、
雛香が未来へ飛ぶ、ほんの僅か前の話。