I want to bite you to death! | ナノ
所有印・下
「……ん、」
「…やっと起きたかてめーは」
もぞもぞ、布が擦れる音とともに、
ゆっくり目を開ける雛香。
「…あ、れ…リボーン、は…」
「リボーンさんはここにはいらっしゃらない。てめぇがいんのは俺の部屋だ」
「は…?なんで、獄寺の部屋、に…」
寝起きという事を差し引いても、妙なほどかったるそうに言葉を発する彼に、獄寺は顔をしかめた。
これも、最強の睡眠薬の所為か。
「…ん」
もぞり、起き上がろうとした瞬間、
雛香が訝しげに眉をひそめた。
「…うご、かない」
「薬の副作用だとよ」
ぎし、ベッドの縁に腰を掛けた獄寺は口を開く。

「てめぇがリボーンさんに飲まされたのはボンゴレ研究機関の誇る最強の眠り薬…目覚めてからも数十分は身体が眠りについたままで、動けないらしい」
「…あいつ、今度撃ち殺す…」

ユラリ、殺気を放ち雛香が呟く。
だが次の瞬間、ぽすんと枕に顔を埋めた。

「マジだ、頭重た…最悪…」
「てめえがまともに動けるようになるまで、俺が面倒役を仰せつかった」
「うわ…いらねえ…」
「俺だって嫌だっつーの!10代目(リボーンさん)のご命令じゃなきゃやらねえよ!」

ずる、ベッドに沈み込んだまま雛香が首だけ動かす。
だがその動作もやたらゆっくりで、どことなくだるそうだった。

「…あー…麻酔弾撃たれて…そのあと、なんか言いながら飲まされたのは覚えてるけど…」
「どうせあと数十分は動けねーんだからおとなしくしてろ」
「うわ…うざい…いつもなら撃つのに…」
「いちいち物騒な発言をすんな」

ため息をついた獄寺の横、
うつ伏せ動かない雛香が、声にならないうめきをあげた。

「…あー何これ…ほんっとだりぃ…」
「…大丈夫なのかよ」
「うわ、獄寺が気持ち悪い…何これ…」
「もうぜってー心配してやらねえ」
薬でやられてても精神は健在か。
呆れた視線を向けた獄寺の前、横たわる雛香がふっと目を上げた。
交錯する、黒と銀の瞳。

「…ほんっとてめーは、ムカつくな」
「あ?けんか売ってんの、か?」
「ちゃんと言えてねぇぞ」
「うるさいな、仕方ねえだろ、タコ頭」
「ああ?んだとこのブラコン」
「は?う、ざ」
「言っとくけど、今有利なのは俺だからな」
「…なんで」
「てめえはぶざまにも動けねーから」
「それが、何」

ハッ、と鼻で笑った雛香が、挑発的にこちらを睨む。


「なんかやれる、もんなら、やってみろよ」


疲れていたのかもしれない。
休憩中のところを突撃されて、密かな想い人の動けない姿を前にして。
そう、多分疲れていたんだ。

なんて。

それが結局言い訳でしかないことは、わかっていたのだけれど。


「…言い出したのは、てめぇだかんな」
「は、なに、を…」
言いかけた雛香の目が、大きく開く。
信じられないと、困惑に満ちる。
だが起き上がろうとついた手は、
行動を起こす前にシーツの上に落ち、沈んだ。

「…勝負だ」

我ながら、笑えてくる。
切れてしまった自分の理性への罪悪感か、
それとも絶対手に入らないとわかりきってしまっている、叶わない相手への感情からか。


「どっちが勝つか……勝負だ」


唇を、重ねる。
至近距離で開いた黒い瞳が、耐えられずぎゅっと閉ざされるまで、そう長くはかからなかった。






「…はっ、さいあっ、く…」
「…動けるようになってきたのかよ」
早すぎじゃないだろうか。
ぐぐ、と肩を押す手から、ふっと力が抜ける。
「…動かねえ、よ…」
うめき、呼吸を乱したまま雛香が睨んだ。

「っ、何が、勝負だ…」
「てめえがムダな挑発すっからだ」

口元を乱雑に拭い、立ち上がる。
今更ながら、じわりじわりと込み上げる苦い感情。

「俺はもう行く。てめーは動けるようになったらとっとと出ろ」
「…は、ふざけんな」

はあ、大きく肩を上下させた雛香が、
きっとこちらを睨み上げる。

「…やられ、っぱなしは、気に喰わねえんだよ」

まっすぐ突き刺すように見据える、その黒い瞳を見つめ返す。


やられっぱなし、か。
所詮、こいつの中ではそのレベルの話なのだ。
好意だとか理性だとかそういう問題でなく、
これはただの、勝負の一環。


報われねえな。
我ながら、ため息が出る。


「俺の負けでいい」
「は?」
ぽかん、と雛香が目をまん丸くする。


「…俺の、負けだ」


吐き捨てるように宣言し、
獄寺は伸ばした右手で、雛香のワイシャツの襟首を引き寄せた。






所有印。
キスマークには、確かそういう意味があったはずだ。
だとしたら、自分のは果たして何と呼ぶのか。
ぼんやり、廊下を歩きながら空虚を感じる。
どうせ、なんとも思っていないのだ、と獄寺は思う。
あの、生意気ですぐ突っかかる、可愛げのない優しいあいつは。






「…所有印、だっけ」
1人取り残された、獄寺の部屋で。
赤い印の残る首元を鏡越しにのぞき込み、
青年は小さく呟いた。


「…もう、わかんねえや」


誰の気持ちも、
何ひとつ。






ぽつり、落ちた言葉は誰にも届く事は無く。
ただ残されたその印が、この後目撃することになる何人かの心を掻き乱すのは、
また別の、誰も知らない話。


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