I want to bite you to death! | ナノ
酩酊の夜に・下
「…ふっ、ふ…」
「…ん、」
角度を変えて深く舌を入れる。
絡めた舌先はぬるく柔らかく、全身がぞくりとした。
合わせた唇からつうっと顎を伝う、唾液の濡れた感触。
「…んん、」
閉じていた雛香のまぶたが、ゆるゆると開く。
うっすら細められた瞳は艶っぽく濡れ、苦しげに眉が下がっていた。

やばいかな。

少し膜がかったような思考の片隅、
ちらりとそんな感想がよぎった。

止められないかもしれない。

雛香の目が苦しそうに、なやましげに細まる。逃れようとしているのか、首が動く気配がする。

駄目だよ。

男にしては華奢な手首をぎゅっと握り直す。
雛香の肩がびくん、と跳ねた。
「む、んんっ」
「…ふ、」
息継ぎなんてさせるものか。
意地でも呼吸をさせないつもりで、再度口を塞ぐ。
強く唇を吸い上げれば、雛香が色めいた声を漏らした。
どこまで理性を試すつもりなんだ。
ぼんやりそんな考えが浮かぶ。
一瞬閉じた目を開けた先には、ずいぶんと光を無くした黒い瞳。
握った手首は力が抜けていた。
「…、ふ、」
うつろになり始めた瞳に、雲雀は舌を抜いた。
そろそろ限界だろう。
「…っは、はあ、はっ…」
「…ふう」
途端、予想通り胸を大きく上下させる雛香。
細い手首を捕らえたまま、雲雀も呼吸を落ち着かせた。
「…はあ、…殺す気か、よ」
「酸欠になるの、早すぎ」
滲んだ目元からこぼれた涙を指先ですくい取る。
なんとなく、その指を口元に運んだ。
そっと、唇ではさみ、吸う。
しょっぱい。塩の味だ。

「……やめろよ」

途端、手首を強く握られた。
片方はいまだ雲雀が布団に押し付けたまま、唯一自由になっていた左手でこちらの手首を掴み、雛香はなぜかこちらを睨み上げる。
その目は潤んでいるし赤らんでいるしで、あまり大した威力は感じなかったが。

「…なんで」
「……えろい」
「は」

見下ろす。
見る見るうちに相手の頬が赤くなっていった。

「…そういうの、お前がやるとなんかエロい」

ただ見つめ返している間に、唇から指を引き抜かれた。

「……本当に、酔ってるね」
「…お前も、だろ」
「君は酩酊もいいとこ、って感じ」
「うるっさ」

軽やかに響く、小さな舌打ち。
ぱさり、自分の黒髪が雛香の額に被さる。
ゆるり、どこか色っぽく雛香は目を動かすと、掴んだ雲雀の手首を、ぐいっと引いた。

ちゅっ。

まばたきをする。
呆然と見ている間に、顔を上気させた雛香はさらに強く、口にくわえた雲雀の指先を吸った。
「、なっ」
びくん、と思わず体が動く。
「…はは、」
一方の相手は、それはそれは楽しそうに口の端を吊り上げた。

「…雲雀のそんな顔、初めて見た」

引いた手首を唇の前にとどめたままそんな事を言うから、指先に熱い吐息がかかる。
再度、ゾクリとした。
駄目だ、やばい。
腰にくる。

「…離せ」
「なんで」

くっくっ、とおかしそうに彼は笑う。

「君、何のつもりなの」
「わかんない」
酔ってるからかなあ。

子供のように無邪気に告げられた言葉に、
苛立ちとともに込み上げる、飢えと熱を自覚する。



熱い。触れたい。キスしたい。
縛り付けたい。捕らえて、堕としたい。
2度と、ここから動けないように。


何にも、彼が惹かれないように。



「……雛香」
「雲雀、すげえ顔」
そそるね。

小さく呟かれた言葉に、
相手の黒い瞳を見つめる。

探る。

その漆黒の奥底まで、
彼の本心を、彼の感情を、
彼の本当の想いを、探して。


「…君には、弟がいるんじゃないの」
「…うん」
「君はあの子を守ることが、生きる全てなんだろう」
「うん」
「…なら、そんな不用意なこと、言うべきじゃない」
「……。」


口にすればするほど、冷えていく身体。
馬鹿みたいだ。
苦い嘲りの感情が、喉の奥から内部に浸み込む。
口にしているのは、自分自身なのに。

こみ上げた欲望のままに彼を手がけてしまえたら、
それはどれだけ楽だろうか。
もう何年も経つのに見えてこない、彼の心も思いも、その全てを無視して。

「…そう、俺には…雛乃がいる」

開いた口から溢れた言葉に、体の内部が芯から冷える。
わかっていたことだ。
わかっていたことなのに、

どうしてこうも、胸が痛むのか。

「…でも、俺は今酔ってるんだ」
「は、」
「だから」

ぐい、と手首を引かれた勢いで、顔が近づく。
黒い瞳が、懇願するようにこちらを突き刺す。


「…だから、今だけは雲雀といたい」






「……嘘吐き」
呟き、雲雀は雛香の目元に口付けた。
熱い雫は、やはり塩辛く美味しくない。
「…卑怯者だよね、君って」
「どこが」
「そんな事言われたら、滅茶苦茶にできない」
「する気だったのかよ」
「ていうか、もう酔いなんて醒めてるだろ」
「醒めた。おかげで頭が痛い」
「酩酊姿、写真に撮っておけばよかった」
「ふざけんな。何に使うつもりだお前」
「弱味」

離れる。
どちらかともなく身を起こし、距離を取った。

「俺、家に帰る。邪魔したな」
「最初からそうしとけばいいのに」

廊下へと出て行く彼の足取りは、もう随分しっかりしたものだった。
呆れた声で呟けば、夜闇に溶けゆく背中がぴたりと止まる。

「…だって」

首だけで振り返った雛香は、
どこか切なげに、儚げに微笑んでいた。


「…お前に会いたかったのは、本当だったから」







月の浮かぶ夜空は、美しくも遠い。
縁側に腰掛け空を見上げたまま、雲雀は小さく息を吐き、首元を正した。
そのまま、襟元にかけていた指を唇に運ぶ。
先ほど、雛香に吸われた指だ。


「…何が、会いたかった、なの」


よく知っている。
彼が何を1番大事にしているかを、
何を人生の全てとしているかも、
自分自身の命など二の次にして、何を1番に守ろうとしているかも。
それを証拠に、

雲雀は彼から、明確に好意を伝えられた事は無い。


「…嘘吐き」
卑怯者。
自分で吐いた言葉に、苦いため息が漏れた。

嘘吐きは自分も変わらないか。
時たま掴んだつもりの彼の心を確かめることだけは避け、
結局ギリギリのラインの戯れをおふざけだと偽り繰り返して。


顔を上げる。
月は、黒々とした空にぽっかりと浮かんでいた。

「…酔おうか」

今宵くらいは、そう。
酩酊するほど溺れてしまえば、全て忘れられるかもしれない。
今この瞬間、一時だけでも。
彼へのどうしようもない感情も、揺らぐ心も、泣きそうなあの笑顔も。


ほのかに体温の残る指先で唇をなぞり、
雲雀は静かに目を閉じた。


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