2





 コツコツと何かが体に触れる感触で彼は目覚めた。
 体中が冷たく痛い。
 水に圧迫されている。
 目を開けても水の中、暗くてよく見えない。稲はまだ絡みついていて動けそうになかった。
 コツコツと何かが彼の体を触ってくる。そこに意識を向けようとしても、慣れぬ痛みで上手くいかない。ただ、遠くに人の形のような朧気な影だけが見えた。
 だけれど、こんなところに人が居るわけもない。なんだとじっくりと見ようとする。やはり影である事しか分からない。誰だと問おうと口を開けるも、水が吐いてきて言葉にもならない。少しだけ噎せれば人影がびっくりと動く
「やっぱり、生きてる」
 その声が確かに聞こえた。
 人影の声。
(人……なのか、だが、水の中で……。
 それより……あの声、何処かで聞いた事があるような……)
 記憶の中を思い出そうと巡る。確かに聞いた覚えはある。どこでかと、彼が思い出しかけた時、もう一度問いかけられた。
「あ、あの、人間ですか?」
 何とも変な問いだ。だが、この場合は仕方ないのだろう。僅かに首を動かして肯定する。
「じゃ、じゃあ、あの恐い人じゃないですよね……」
 また問われた問い。今度は少しの間迷った。一体何を基準に恐いと恐くないかを決めるのか。
 何が恐くて何が恐くないのか。
 彼にはそれが少しわからなくって。恐い人じゃないかと聞かれても、自分がどう思われているのかなどよく知らない。
(まあ、恐いとは思われているみたいだが、それよりも嫌われてるの方が近い。
 恐いか、恐くないか……。分からないな)
 頷く事も首を横にふる事も出来ず横たわったまま。問いかけた人が困ったように辺りを見ていた。
「えっと、取って喰ったりしませんよね」
 一体何を心配しているのか。
 思わず蓮は笑ってしまった。妖怪でもあるまいし、人を取って喰うような趣味は蓮にはない。それ以上にどう食べればいいのかも知らない。首を横にふる。
 相手はホッと息を撫で下ろしたようで、恐る恐る彼に近付いてきていた。
「えっと、本当にしませんね」
 最後の問いに頷く。
 その時、彼はこの声を何処で聴いたのかを思いだしていた。
 影が彼を覗き込む。
「あれ? 尾神蓮君……」
 影が呆然と呟いた。
(こいつは、一年四組の……)
 影は今連が通う高校の制服を着た少年。蓮と同じクラスに通う名を知らない少年だった。
「え、何で、尾神蓮君が。え、ええ、っへ、え、ど、どどどどどういうこと。どうしてこんなところに」
 えらく混乱している少年。蓮も同じように混乱していた。何故この少年が水の中にいるのか。そして、まるで地上と変わらないように過ごしてるのか。
「えっと、えっと、えっと。ああぁ、こう言うときどうしたらいいんでしたけ。あわああああ。あ、そうです。まずは理矢ちゃんに連絡を」
 蓮を置いて慌てる彼はポッケトから取り出したケータイで何処かに連絡をかけている。普通なら水の中では使えない。普通なら。
 だが、彼はどうやら普通ではないらしい。
 彼が一体何なのか。蓮は段々理解していた。
 理矢と呼ばれた少女。妖怪というなの人ならざる不可思議な存在を専門にする会社。水の中で息をして話しているその不可解さ。
(そうか。こいつは妖怪なのか)
 蓮はそう理解した。
「あ、はい。もしもし代川薫(しろかわかおる)です。理矢ちゃんですか。あ、はい。ちょっと急用なんですけど。……忙しいですか。あ、ありがとうございます。
 で、用事なんですけど、その人が川の中にいて。え? 死体じゃないですよ。生きた人です。そうなんです、そうなんですよ。人ってボンベもなしで川の中で五分間も生きていられるんですか。そんなもんでしたか? 違いますよね。どうなってるんですか。何が……え? はあ……。
 すぅーー はぁーーーーーー すぅーー はぁーーーーーー すぅーー はぁーーーーーー 
 ぁ、はい。落ち着きました。ちょっとあせていたみたいです。と言うか、まだちょっとあせているんですけど。大丈夫ですよね。あ、そうですか。分かりました。その言葉を信じます。あ、はい、誰かは分かりますけど。それが……尾神蓮君でして。僕等のところに転校してきた。理矢ちゃんも知っていますよね。……え? あ。はい。間違いなく彼ですけど、何か問題でも。……あれですか。持っていますけど。分かりました。あ、はい。では待っています。……はい。はい。分かりました。では、そう言う事で」
 電話は終わったのだろうケータイを閉じた少年、代川薫は改めて蓮に向かい合った。その手に何処からか海藻のようなものを持ちながら、彼の口に手をかける。
「すいません。口開けて貰えますか」
 何をするつもりなのかと半目になる蓮。薫はそれにも気付かず、開けて貰えますかともう一度口にする。何のつもりかも分からない薫に口を開けるのを躊躇っていると、しびれを切らしたのか、それとも勘違いしたのか、薫の手が蓮の口を半ば強引に開けた。喉の奥に水が入り、はき出せもしない何かがでる。
「ぁ、ごめんなさい」
 謝りながらも薫は開いた口に手に持っている海藻を押し込んだ。そして、口を閉める。
「どうですか。息できますか?」
 薫がそう聞いた。口を閉ざした蓮は目を丸く見開いて何かに驚いていた。
「ああ」
 声が出た。
「そうですか。よかった。
 それは水を吸って酸素を作るちょっと特殊な妖怪の草でして、それがあれば普通の人も水の中で息をする事が出来るんですよ」
「そうか……。お前は」
 何だと問うてくる鋭い眼差しに、薫はちょっとだけ困った様子を見せた。
「その、あんまり僕自分の正体言いたくないんですが、でも、こうなってしまっては仕方ありませんね
 僕はカッパです」
「成る程。カッパなら水の中でも動けるか……」
「あれ? それだけですか!? 僕が言うのもあれですけどカッパなんて非現実的ですよ。普通の人間はそんな物信じませんよ」
「それを言うなら普通の人間は川の中で長時間生きていたりできない」
「……それもそうですね」
 まあ、つまりは両方とも普通の人間からはかけ離れているのだった。息が出来、自由に動けるようになった蓮はもぞもぞと拘束されている体を動かす。
「ぁ、それきりましょうか」
「いや、いい」
 薫が申し出てきたのを断り、蓮は自分の両腕に力を込めた。稲の拘束を破ろうと外側に力を入れていく。
「いや、それだけでは破れないんじゃ」
 強く拘束している稲を見て薫はそう言ったが、そのちょっと後にはピッシリという音と共に体を拘束していた稲は千切れてた。
 浅い息を吐いて蓮は満足げに笑う。それを見ていた薫の頬は引きつっていた。本当に破れるとは思っていなかったのだ。
 蓮は立ち上がろうとした。立ち上がろうとして足下が揺れ倒れていく。
「大丈夫ですか」
 それを咄嗟に抱えながら薫は顔を咄嗟に顰めた。重い。予想していた体重の倍重かった。
「ああ」
 答えながら蓮は困った顔をしていた。
「この川はかなり深いんだな」
「ええ、まあ、そこそこには」
「水圧が重いな」
「大丈夫ですか」
「まあ、何とかはなる」
 会話をしながら薫は不思議な感覚に襲われていた。彼が今話しているのはクラスで話題の転校生だ。クラスではまだ一度も声を聞いた事のない転校生。
 そんな彼が今、目の前にいて、そして話している。とても不思議な感覚だった。
「尾神蓮君も話すんだね」
 それは当たり前な事だとも言えよう。何せ、人なのだから。だけど、それでもそう聞いてしまうぐらいには彼にとって以外だった。
「何、話しちゃいけないの」
「いや、そう言う訳じゃないんですけど。尾神蓮君が話してるところ見たことないから。学校じゃいつもみんなの事無視するし。真里阿ちゃん達は話した事あるようだったけど、なんか信じられないでいたんだよね」
 ふっと蓮は目を丸くしていた。
 その顔は血が全てなくなったのではないかと思えるほど青白い。
「尾神蓮君」
 名前を恐る恐る呼べば、焦点の合ってない蓮の眼が薫を見る。
「悪い……」
「え?」
「……いないから」
「いないって何が?」
 少しだけ声は震えていた。覗いては行けない何かを覗いている気分だった。青ざめた顔で口を閉ざした蓮は暫く動く事をしない。
「尾神蓮君」
「……」
 何処かを見つめた瞳は浅いため息を吐いた。
「帰る」
「へっ?」
「帰る」
 短く蓮が口にした言葉。それに薫は酷く慌てた。
「ぁ、待って、待ってください」
「なに」
「まだ、帰らないで」
「なんで」
 短く返してくる蓮は不機嫌と言うよりもどうして良いのか分からないようだった。それに薫は縋り付く。
「理矢ちゃんに自分が来るまで尾神蓮君を帰さないようにいわれているんです。ここで帰られたら僕がりやちゃん何をされるか分からないんです」
「勝手にされてたら」
「ちょ、それは酷いですよ。帰られたら困るんです。ここにいてください」
「俺も帰らないと困るんだ」
「それは分かりますけど、まあ兎に角お願いします」
「嫌だ」
 蓮の態度は頑なだ。話している今で帰ろうとしているぐらい。そんな蓮に薫はため息を吐いた。
「仕方ありませんね」
 そう言った薫は指先を蓮のもとに向ける。
 水が川の流れに逆らって動いた。蓮の周りで蜷局を巻き、そして、からみつき、蓮の体を拘束する。ほどこうにも強く絡みついてくるそれは千切れない。
「なっ」
「ほんとうにちょっと、理矢ちゃんがくるまででいいんで」


 そう言って両手を合わせる薫に蓮は顔を酷く歪ませていた













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