それでも始まりから動けない



 理矢がやってきたのはそれから暫くしてからの事だった。
 rrrと水の中に不釣り合いな音が響いたと思えば、薫がケータイを取り出し誰かと話し出し、それが終われば蓮の拘束を解いたのち、陸に上がっていた。
「遅いですね」
「思ったより手こずってしゃいね。それより尾神蓮の回収ありがとうしゃいよ」
「お礼はキュウリ五本で良いです」
「分かったしゃいよ」
 二人が話しているのを蓮は少し離れたところから見ていた。本当なら今すぐ帰りたいところだが、それは叶わないだろう。ため息を吐く傍で理矢の様子が少し変わっていた。
「そうそう。薫。貴方にちょっと手伝って貰いたい事があるんだけど、いい?」
「別に良いですけど……。なんか、恐いですよ」
「ふっふ。いい加減にお灸を据えてやろうと思ってね。まあ、その前に蓮を家に送り届けましょうか」
「一人では返せないんですか」
「また、襲われる可能性があるしゃいからね。家に帰ってもその可能性はあるしゃいから、別の社員に待機してるよう話してるんしゃいよ。家の中でも今日一日は護衛しゃいね」
「へえーー」
「はぁ?」
「えっ?」
 理矢が間の抜けた顔をした。それもそのはず。先まで二人の話を聞いている素振り一つ見せなかった蓮が食いついてきたのだから。
「それ、どういうこと」
「それって」
「家の中でも今日一日は護衛って!」
「ああ。狙われてるしゃいから当然しゃい。まあ、犯人に目星はついてるしゃいから。今日中には終わらせるようにするから心配しなくとも大丈夫しゃいよ」
「心配とかそう言う問題じゃない! 勝手に止めてよ!」
震えた蓮の声が理矢を詰った。その顔は青白くって訳もわからずに怒鳴られた理矢にも怒りよりも心配が沸き上がるほどだった。
「どうしたんしゃい」
「どうしたもこうしたもない。兎に角止めて」
「でも……」
「分かった」
何がとは聞けなかった。真剣な瞳で蓮はそこにいた。息を飲み込み次の言葉を待つ。
「なら、俺もついていく。それなら護衛も必要ないでしょ」
「え、でも」
「いいから連れていけ」
「……分かったしゃいけど」
まっすぐな瞳。どれだけ言葉を募っても聞いてもら得ないのは分かってしまう。渋々ながらも頷いて、その心配を称えた目が蓮をみる。そのことに彼は気付かず、息だけが妙に荒かった。
「……仕方ないしゃいけど、一つだけ言っておくしゃいよ。今回の件。大部分はあいつが悪いけど、あんたも少しは悪いんしゃいから、あんまりひどいことはしないでしゃいよ」
最後に忠告の声をだし、三人はあるきだしていた。
「僕は一体なんに必要なんですか?」
「ん? お仕置きにしゃいよ」



三人が訪れたのは小さな森の中だった。そこには小さな社がある。理矢以外の二人が興味深そうに見るのに対して彼女はため息をついている。
ここまでくる間にも何度も稲の襲撃にあい、その旅に蹴散らしては来たが疲労が凄い。ただ一つ良かったことは尾神蓮が違和感の正体を感じ取ったことだった。そして、今、稲を撃退しながらも、周りを見ていた。確認するのは稲以外に誰もいないか。そして、誰もいないのを確認して、蓮は確信した。
 違和感の正体は稲がまるで自分の意思で動いているようにみえることだった。まるで自分の意思のように、誰かに操られている様子もなく動いていたのだ。稲は誰かに自分で動いていると確信した。

(だか、何故だ。何が起きている)
何かを知っていそうな理矢に聞くのも良かったが、いまはまだ教えてもら得ないだろうとの思いもあった。
疑問だけが轟いている。
そんな蓮に考える暇を与えないように稲の攻撃が深まっていく。深まっていくそれについに理矢の堪忍袋の緒が切れた。もともと深い方でなかったそれは、今まで我慢していた分も含めて大きく膨らんでいた。息を吸い込む理矢になにをするのかと訝しげに他の二人が見つめた。大きく開いた口から怒鳴り声が出ていく。
「いい加減にしんしゃい! これ以上やるならもっとひどいことするしゃいからね! ていうか、でてこいや!!」
誰かに対しての怒鳴り声はそれに返す人がその場にいない。少なくとも蓮や薫にはそう見えた。だが理矢は違うのか返事がないのにさらに切れ、攻撃してきた稲を凪ぎ払うとズンズンと大股で立っている小さな社に近づいていた。後を蓮と薫。
三人の邪魔をするようにして襲ってくる稲はすべて撃退され、さらに三人が社の近くまでくるとそれ以上は攻撃してこず、ただ困ったように辺りを回るだけとなった。
そんなようすお構いなしに社の祠前までたどり着いた理矢は、その扉にてを伸ばす。さすがに驚いた薫が止めようとするが、遅かった。扉は開かれる。
二人の目が点になった。
そこにあったのはご本尊などではなく、人の背だった。
いや、よくよく見れば人の背かどうかは怪しい。なにせ頭に黄金色の耳がついている。丸まっているらしい格好は何かを抱き締めているようにもみえ、もふもふと見え隠れする尻尾みたいなものから、抱き締めているのがそれであることが伺える。
二人がなにを言うべきか考え込む横で祠を開けた理矢は、こちらに向けられている背に思い切り蹴りを入れていた。
「起きろしゃい!」
「いったあああ!」
綺麗に決まった回し蹴りに飛び起きた人モドキがこちらを向く。それに理矢を覗いた双方が固まった。
「誰だよ。俺を起こすのは……」
「……えっ?」
「あんた……」
五秒弱は固まっただろうか。ゆるゆると動き出す。
「薫に尾神蓮」
「尾瀬くん……」
相手が二人の名を呼ぶ。それに習うように薫が相手の名を呼ぶ。そう。相手の名は尾瀬ゆうき。一年四組の蓮に喧嘩を売っていた少年である。彼の顔が強張る。はえている獣の耳がピクピクと動いている。ゆうきの目がキョロキョロと動いて、頭のなかではどうするかを考えている。動いていた目がある一点で止まった。そして、じっとそのひとを見ている。その間は本当に静かで、嵐の前の静けさだった。
一拍後、激しい声が響いた。
「理矢〜〜!! てめぇ、何考えてんだよ!! 何のつもりだよ!!」
怒鳴るだけでは足らず、首もとを掴みかかる。首を絞められても理矢は動揺もせずただ静かにゆうきを見つめていた。その様子にゆうきが怯んだ。
「何のつもり? あんたが何のつもりしゃい。私は忠告したしゃいよ。あんたが世界に与える影響を考えろって。だけど、あんたは私の忠告を聞かなかった。そのせいで尾神蓮は襲われたしゃい」
「えっ」
「見てみんしゃい」
 理矢に言われる様にゆうきは周りを見た。蓮と薫が居る。さらに向こう側には稲の蔓たちが蠢いている。それはゆうきが確認すると申し訳なさそうに萎んでいく。
「あんたが尾神蓮を排除しようとするしゃいから、あんたの意志を汲んだ奴らが尾神蓮を襲ったしゃい。あんたの所為しゃいよ。私はこんな事になる前にってちゃんと忠告したしゃい。それを聞かなかったあんたに私は罰を与える事にしたの。薫を連れてきたのはその為しゃい。尾神蓮は……帰るのが嫌だから?」
「家の中でも護衛されるのが嫌だからだよ。後はまあ、仕返し」
  理矢の疑問に答えた蓮の声が最後の部分に力がこもっていた。理矢の顔から血の気が失せる。
「いや、仕返しってなんしゃいよ。やめんしゃよ」
「冗談だよ。それよりこれってどういう事なの。こいつが稲達を操ってたの。何かそんな様子には見えないんだけど」
「あ、そうですよ。なにがおきてるんですかこれ」
 蓮の言葉に続けて若干今の状況に日ビリながら薫も問いかけてくる。二人の目がもう二人に状況を言えと語りかけていた。それに焦ったのは理矢ではないほう、つまりゆうきだった。
「嫌、それは……」
「あきらめんしゃい」
 慌てるゆうきにそんな無慈悲な言葉が落ちた。ゆうきが絶望的な眼差しで理矢を見るなか、彼女は静かに説明しだしている。
「あの稲達を操っていた訳じゃないしゃい。ただし、元凶はこいつしゃい。後で尾神蓮には謝らせるしゃいから、仕返しとかはなしでそれで許してやってしゃい」
「操っていた訳じゃないのに元凶なんですか」
「そうなんしゃい。どこからはなせばいいのやら、まあ、ざっくばらんに言うとねこいつは神様なんしゃい」
「はっ」
「へっ」
「……はぁーー」
 二人が驚きの声を挙げるのにゆうきからは深い溜息が落ちる。それにはよくぞ言ってくれたなと言う恨みも籠もっていた。
「神様……。ゆうき君がですか」
「そうしゃいよ。薫」
「それが俺が襲われた理由にどう関係するの」
「あのしゃいね、尾神蓮あんたこいつに敵認定されているしゃいでしょ。この町よりもう少し大きい範囲はこいつのテリトリーみたいな所があって、こいつが敵認定した奴を排除しようって、こいつの意志とはまた関係ないところで一部の空気が暴走かしちゃって尾神蓮襲撃事件が起きたんしゃい。まあ、だからこいつのせい。
 神様って厄介なんしゃいよね。怒ると本人の思っても居ないところで力の影響が出たりするしゃいから。それが今回の結果」
「成る程……です」
「まあ、確かになるほどだね。これで稲一つ一つに意志がある様に見えたのも納得した。操られている訳じゃなかったのなら意志で攻撃してたって事だからね」
「そういうこと。で、はい。尾瀬ゆうき。あやまりんしゃい」
「うっ……」
 理矢の話を項垂れて聞いていたゆうきの顔が顰められた。それには謝りたくないと書いてある。
「ゆうき」
 理矢の低い声がする。それでも謝りたくはなかった。
「嫌だ! 俺はあやまらねえ! 悪いとは思うけど、でもこいつは俺の敵だ。一番悪いのはこいつだ!」
「ゆうき!」
 理矢が怒鳴る。だけどゆうきはそんな理矢をまっすぐと見つめるだけで今の言葉を撤回しなかった。
「俺は楽しくみんなであのクラスで過ごしたいんだ! それなのにこいつが全然仲良くしないから。話さえしようとしないから悪いんだ!」
「尾瀬ゆうき」
 まくし立てるゆうきを理矢が呼んだ。その声は低く、そして落ち着いていた。その声にゆうきは止まるしかなかった。
「誰にでも事情てものがあるんしゃい。いい加減にしんしゃい。あんたがそんなのだとまた尾神蓮が襲われる」
「……」
「そりゃあ、蓮にだって悪いところはあるしゃいけど、一度その刃を収めんしゃい」
「でも……」
 ゆうきが唇を噛みしめた。蓮はそれを見ていた。冷めた目で見ていた。
「ねえ」
 口を開いて蓮は何を言うべきか一瞬だけ迷った。口にするのは彼が決めた事。だけど、また、男に怒られるなとそう思った。
「何だよ」
「俺はクラスメイトと何て仲良くできない。クラスメイトだけじゃない。どんな奴ともどんな理由があってもどれだけ俺の事を思ってくれても、俺は誰かと仲良くなんて絶対に出来ない。人と仲良くすることなんて出来ない。普通に話す事も、触れ合う事も俺はこの先一生しない。お前が何言ったて、他の人が何言ったて絶対にない。
 俺は一人で生きていく。誰とも関わらないで俺はそうして生きていく。それだけは絶対に変わらない。変わったらいけない」
 蓮の眼は真っ黒だった。意志のある真っ黒な輝きのない瞳。それを見てその場にいる三人が息を止めた。そこには深い深い闇があった。
「そんなの……」
 掠れた声がゆうきからでた。恐かった。本当に恐かった。闇がこちらまで浸食してしまいそうで恐かった。だけど、ゆうきにとっては譲れない事だってあった。
「ああ。あんたが納得しないのは分かってる。納得されなくても良いと思ってる。でも、もう俺に関わるのは止めてくれ。迷惑だ。ただ、」
 蓮はそこで言葉を止めた。それを不思議に三人が見る。聞きたくない様な、聞きたくない様なそんな気持ち。分かっているのはこれから言われる言葉が決して言い言葉ではない事。
 蓮はそんな三人を前にまた少し悩んだ。本当に行って良いのか。それを言ってしまって自分は大丈夫なのか。男に怒られる事は分かってる。そこはまあ、我慢して貰うとして。それを言って自分の心が大丈夫なのか。迷った。答えはでなかった。だけど蓮には言葉を紡ぐしかできなかった。
「ただ、あんたがどうしようもなく怒って、俺に当たらなくちゃ仕方ないって言うなら、その時だけは、俺が戦ってあげる。意味もわからず町の中で襲われるのは嫌だからね。その時だけは、まあ拳を交えてあげる。
 それが俺が出来る精一杯の譲歩だよ」
 風が吹いた。ゆうきは蓮を見た。その瞳は真剣だった。本気で相手にすると言っていた。
「じゃあ、俺もう帰るから」
 軽やかに蓮が告げた。他の人の声など待たず後ろを振り向いて歩き出している。
「待ってよ!」
 慌ててゆうきがその背を止めた。その声は震えていた。呼び止める声にも蓮は歩みを止めない。それでも叫んでいた。
「何で、何でそこまでして人と関わろうとしないんだよ! 何でだよ」
 蓮の足が止まる。振りかえた彼は悲しそうな顔していた。
「俺には人と触れあえる事が出来るほどの、勇気も、心も、もう無いんだ」
 かき消える様な声はそれでもその場にいる三人に確かに聞こえていた。去っていく背を止める事が出来なかった。



 くすくす。

 笑い声がするのに蓮は足を止めた。さっきまでいた場所からそう離れてはいない。
「見てたの」
「ああ」
 誰もいない場所に小さく呟けば、蓮のすぐ後ろには男が現れていた。前を向いたまま蓮はその気配を感じる。これから何が起きるのか確かに理解していた。
  グサリと嫌な音がする。
 蓮は億劫な仕草で自分の体を見下ろした。腹部が熱を持ち痛みを示してくる。それは酷い痛みで身体中に広がる様な感じさえした。それでも蓮は倒れることなく自分を突き刺した刃を見下ろした。
「君は僕のだ」
「知ってるよ」
「こうやって君に怪我させて良いのは僕だ」
「ああ」
「僕は君にどんな事だってしていい。どんな事をしても君には拒否する権利なんてない」
「ああ。そうだな」
「君は僕のだ」
 男の低い声が響く。その目は憎悪に満ちていた。
「なのに君は……」
「殺せないんだろう」
 蓮の声に男の目が大きく見開かれさらに憎悪に染められた。
「君は、君って奴は……」
「あの人に言われている。お前は殺せない」
「……」
「まあ、神を殺せるのかどうかは知らないがな」
「殺せるよ。神だって殺せる」
「そうか」
  蓮は単調に呟いた。腹部から血が流れて気力を奪っていくけど、それでも蓮はただ立っていた。男を見ないでただ前を見ていた。
 腹に突き刺さったままの刃が紅い色に輝いている。
「ねえ、このまま、横に切り裂こうか」「勝手にしろ」
 蓮は至極どうでも良いという様に答えた。
「君は自分の命なんてどうでも良いよね」
「どうせ死なないからな」
「そうじゃない」
 男の声が震える。
「君はそうじゃなくたって、自分の命なんてどうでも良いんだ」
「そうかもな。終わりにしたってもう良いんだ」
 静かな声が響く。蓮は空を見上げた。空は茜色に染まり上がろうとしている。
「君は僕のだ」
「知ってるよ」
 男の問いかけに蓮は単調に答える。どうなっても良いと本気で思っていた。
「死ぬのは恐い」
「いいや。もうみんな死んだ。お前が、殺した」
 小さくて静かな声が響いた。男はそれを冷めた目で見た。蓮の眼が遠くを見ている。
「そうだね。でも全部君のせいだ」
「そうだな」
「これからもたくさんの人が死んでいくよ。君に、君が、近付く物全部僕は壊していくんだ。
 君は僕の物だ」
 世界が緋色に包まれる。
 だけど彼の心はとっくに色を亡くした緋色の中だった。
「そう」







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